リュバンは、マリー・アントワネットお抱え調香師として活躍していたジャン=ルイ・ファジョンが香水店を開業した1774年に生まれたピエール=フランソワ・リュバン(画像左)が、1798年、24歳で創業した会社です。リュバンの師匠であるジャン=ルイ・ファジョンの家は、代々香料、調香にかかわる家柄でした。ルイ15世お抱え香水商で、1720年にオリザルイルグランの原型を作ったファジョン・アイネは2世代上の親戚です。リュバンは、家がファジョンの店の近所だったので、親が奉公に出したわけですが、丁稚と言えば最初の仕事は「使い走り」ですよね?弟子入り当時のリュバンは10歳。お得意様はマリー・アントワネット。ファジョンは香料も自社製造でしたので、マリーさまお好みのバラ香料とか、オーダー香水を「ご自宅までお届け」するのが、リュバンの仕事だったんですね。届ける香りはマリーさまお好みですから、香りって記憶に残りますよね?丁稚のリュバンは運んでるうちに「マリーさまの香り」がすっかり頭に入って、勤務中に処方もこっそりパクっておいた。そのうちフランス革命が激化して、1792年革命戦争が始まった時、パリを脱出してグラースに疎開します。グラースにいる間、引き続き香料の本場で勉強をつづけたんですが、パリにいない間、師匠のファジョンは王室つながりでつかまったり、もとお抱え調香師なんてマイナスイメージだから一時廃業してで直したり、マリーさまは処刑されちゃうし、いない間に焼け野原ですよ。6年後、すっかり大人になってパリに戻ってきた1798年、開業したのがリュバンの前身、オー・ブーケ・ド・ローズという香水店です。「バラの花束」店名は、丁稚時代にマリーさまのもとへせっせと運んだバラ香料のオマージュで、なき女王への便乗ネーミングです。19世紀に入り、リュバンの店は当時の流行物好き(アンクロワイヤーブルとメルベイユーズ)に大ヒット、時代はナポレオンの統治で、開業から10年で王妃ジョゼフィーヌご用達にのし上がります。1830年代にはブルボン王朝が復興した後も、王室ご用達を賜り、マリー・アントワネットの子供で唯一生き残ったマリーテレーズ・ド・フランスの鶴の一声で社名に「Aux Armes de France オ・ザルム・ド・フランス、その名も「フランス紋章」の御紋付きにアップグレード。王室イメージも120%アップ(当社比)、その一方でフランスの香水会社として初のアメリカ輸出を開始、11830年代後半にはアメリカに初の代理店も開設します。1830年代のアメリカといえば、南北戦争の30年前ですよ。西部劇だって19世期後半の話です。ちなみに日本は鎖国中です。ともあれ旧社会、新世界双方からサムズアップでかなりのやり手ですね。