La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

無断転載禁止

The Undead : Lubin 1

f:id:Tanu_LPT:20200901130429p:plain
それでは次のブランド、リュバンをご紹介します。ムエットはチャプター2、4から8番の5本です。香りの紹介までしばらくリュバンの歴史を、現在のオーナーが登場するまで一気にお話しますが、適当にムエットを嗅ぎながら聞いてください。

f:id:Tanu_LPT:20200830220334j:plain

 
 

f:id:Tanu_LPT:20200901131233j:plain

リュバンは、マリー・アントワネットお抱え調香師として活躍していたジャン=ルイ・ファジョンが香水店を開業した1774年に生まれたピエール=フランソワ・リュバン(画像左)が、1798年、24歳で創業した会社です。リュバンの師匠であるジャン=ルイ・ファジョンの家は、代々香料、調香にかかわる家柄でした。ルイ15世お抱え香水商で、1720年にオリザルイルグランの原型を作ったファジョン・アイネは2世代上の親戚です。リュバンは、家がファジョンの店の近所だったので、親が奉公に出したわけですが、丁稚と言えば最初の仕事は「使い走り」ですよね?弟子入り当時のリュバンは10歳。お得意様はマリー・アントワネット。ファジョンは香料も自社製造でしたので、マリーさまお好みのバラ香料とか、オーダー香水を「ご自宅までお届け」するのが、リュバンの仕事だったんですね。届ける香りはマリーさまお好みですから、香りって記憶に残りますよね?丁稚のリュバンは運んでるうちに「マリーさまの香り」がすっかり頭に入って、勤務中に処方もこっそりパクっておいた。そのうちフランス革命が激化して、1792年革命戦争が始まった時、パリを脱出してグラースに疎開します。グラースにいる間、引き続き香料の本場で勉強をつづけたんですが、パリにいない間、師匠のファジョンは王室つながりでつかまったり、もとお抱え調香師なんてマイナスイメージだから一時廃業してで直したり、マリーさまは処刑されちゃうし、いない間に焼け野原ですよ。6年後、すっかり大人になってパリに戻ってきた1798年、開業したのがリュバンの前身、オー・ブーケ・ド・ローズという香水店です。「バラの花束」店名は、丁稚時代にマリーさまのもとへせっせと運んだバラ香料のオマージュで、なき女王への便乗ネーミングです。19世紀に入り、リュバンの店は当時の流行物好き(アンクロワイヤーブルとメルベイユーズ)に大ヒット、時代はナポレオンの統治で、開業から10年で王妃ジョゼフィーヌご用達にのし上がります。1830年代にはブルボン王朝が復興した後も、王室ご用達を賜り、マリー・アントワネットの子供で唯一生き残ったマリーテレーズ・ド・フランスの鶴の一声で社名に「Aux Armes de France オ・ザルム・ド・フランス、その名も「フランス紋章」の御紋付きにアップグレード。王室イメージも120%アップ(当社比)、その一方でフランスの香水会社として初のアメリカ輸出を開始、11830年代後半にはアメリカに初の代理店も開設します。1830年代のアメリカといえば、南北戦争の30年前ですよ。西部劇だって19世期後半の話です。ちなみに日本は鎖国中です。ともあれ旧社会、新世界双方からサムズアップでかなりのやり手ですね。
 

f:id:Tanu_LPT:20200901132129j:plain

リュバンの賜ったオザルムドフランス紋章
さて、1代で財を築いたピエール=フランソワ・リュバンには嫡男がなく、1844年に70歳で亡くなった時*、弟子のフェリックス・プロがリュバン2代目社長に就任します。ここからは、お手元の家系図もあわせてご覧ください。2代目から100年以上、リュバンはこのプロ家が同族会社として経営を続けます。1885年にはフェリックスの息子、ポール・プロが3代目社長就任、1898年には初のアメリカ支社をNYに設立します。それまでは代理店だったんですよね。今度は支社です、直営。日本でいったら、ブルーベルとかフォルテが代理店だったブランドが、成長して日本法人を立ち上げたって感じです。3代目のポール・プロはリュバンを大きく成長させまして、20世紀に入り、1900年にはクールブヴォワに当時最大の香水工場竣工(写真下)、フランス香水協会の会長にも就任します。
f:id:Tanu_LPT:20200901132909j:plain
そこから20年、1920年に4代目に交代しますが、ここからは共同経営です。ポール・プロの息子、マルセルとピエール兄弟が共同経営者として4代目就任します。リュバンは、4代目まではオーナーが調香師を兼ねていました。

f:id:Tanu_LPT:20200830215222j:plain

 


第二次世界大戦終了後の
1945年、マルセルの息子、アンドレ・プロとピエールの息子、ポール・プロが従兄弟どうしで5代目共同経営者に就任します。戦前から続くフランスの香水会社は、たとえ戦火を逃れても、大なり小なり衰退し、対外は時代の濁流に飲まれて消滅してしまいます。でもアメリカで認知度のあったリュバンは、アメリカに市場をシフトし、のちにジャン・パトゥの2代目専属調香師になるアンリ・ジボレを迎え、1955年に「喝采」でグレース・ケリーのアカデミー主演女優賞受賞を祝し、ジン・フィズを発売したところ、これがアメリカだけでなく世界的大ヒット。

f:id:Tanu_LPT:20200901133327j:plain

さあ、戦後も行けるぞ!と思われましたが、徐々に業績が悪化。1960年代の終わりには(ポールとアンドレ・プロが)5代続いたリュバンをフランスの製薬会社、サノフィへ売却します。その後サノフィはリュバンをドイツの総合メーカー、ヘンケルに売却。1994年にはヘンケルがドイツの化粧品メーカー、ミューレンスに売却します。ミューレンス、覚えていてくださいね。この3社を転々とするうちに、すっかり処方がやせてしまい、せっかくヴィンテージを入手し皆さんにご紹介していますが、時代的には亡骸を嗅いでいるのと同じかもしれません。そこで、20世紀末に登場するのが、現オーナーのジル・テヴェナンです。

f:id:Tanu_LPT:20200830215305j:plain

1958年生まれのフランス人、ジル・テヴェナンは、1981年ビジネススクールを卒業後、ジャカルタの在インドネシアフランス大使館に駐在、貿易担当として2年働いた後フランスへ帰国、なぜかここでゲランに就職するんですよ。海外勤務経験を活かして、ゲランでも国際担当として働いている時、1987年ゲランがルイ・ヴィトンに買収されたので、それを機に転職、いくつか渡ってロシャスに入社します。当時のロシャスは、70年代はゲラン最大のライバルとも言われ、歴史に残る作品も次々出して、新社屋も立ち上がって登り調子だったんですが、その裏ではドイツのヘアケアメーカー、ウエラに買収されたころだったんですよね。当時のウエラは、手あたり次第ブランドを買収していて、1996年にはグッチを買収してトムフォードを立て直しプロデューサーに迎え、社内はグッチの話題で沸騰中だったんですが、そのさなか、2年前の1994年にウエラは先ほど登場したミューレンスも買収していて、ミューレンスにくっついてリュバンの権利をウエラが持っていた事を知るんですね。テヴェナンさんはゲラン出身で、クラシック香水にも憧憬が深い方だったので、リュバンの歴史を知るにつけ、これはちゃんと一から立て直して、今でいうメゾンフレグランスとして高級路線でリブランディングした方がいいって、散々ロシャスやウエラの上層部に掛け合うんですが、はー、それって食えんの~?的な扱いで、全く暖簾に腕押し。そこでテヴェナンさんが出た行動が凄くて、1998年にロシャスを辞めちゃうんですよ。それで、自分で個人投資家として仲間を募って起業して資金確保、6年後の2004年、なんとウエラからリュバンの権利と処方を全部買い取っちゃうんです。やっちまいました、激アツ!元上司のジャンポール・ゲランの勧めもあったみたいなんですが、当時のジャンポールさんは、19世紀から続いたゲランの経営を自分の代で手放して、内実傷心の身ですよね、ゲランよりも歴史のあるリュバン復興を、自分じゃどうすることもできないけれど、生きてるうちに見てみたかったんじゃないですか?復興に当たっては、60年代にリュバンを手放した5代目ポール・プロの息子、ローランとフレデリックの6代目プロ兄弟が2006年に経営に参画、出資もしてくれたそうで、プロ兄弟は実際の矢表には出ませんが、しっかり復興に携わっているので、30数年間の外部経営後、すぐ下の世代にブランドが戻ってきた、とも言えます。リュバンは死んでも死んでも蘇るというよりは、1798年から今まで220年以上、倒産とか消滅した期間が全くないので、一度も死んでない。完全なアンデッド系ブランドです。

f:id:Tanu_LPT:20200901134131p:plain

再生リュバンのヴィジュアルイメージ
権利を手にしたテヴェナンさんは、ゲランやロシャスにはいたけれど、リュバンが好きってだけで調香のプロではない。薬学系でもないし調香を学んだわけでもないので、自分はディレクターにはなれない。自分は潤滑な運営を行い、作品は信頼できる調香師に頼もう。それもクラシック香水をきちんと理解していて、現代の香料規制にのっとりつつも、オリジナルのクオリティ、昔の香りを誠実に再現できる腕のある人。これがなかなか見つからない。資金繰りよりも苦労したそうで、2005年、まずは復興リュバン初のオリジナル新作として薄口女王、オリビア・ジャコベッティにイドルを依頼しますが、肝心のクラシック・コレクションの復刻で、ようやく見つかったのが、デルフィーヌ・ティエリーと、はい、ジャン・パトゥのキャバレーで大フォーカスしましたね、この方です。トマス・フォンテーヌ。
f:id:Tanu_LPT:20200830215343j:plain
f:id:Tanu_LPT:20200830215141j:plain
(左)トマス・フォンテーヌ。昨年のジャン・パトゥ特集も併せてご覧ください (右)テヴェナン氏とツーショット
リュバンは2009年から過去のアーカイブ復刻の発売を開始しますが、要は、トマス・フォンテーヌさんは、このリュバンの復刻で評価を上げて、この数年後、ジャン・パトゥの専属調香師としてイギリスのデザイナーズ・パルファムズに迎えられたわけです。ちなみに、ピュアディスタンスのヤン・エワウト・フォス社長によると「テヴェナン氏について、業界の人間から悪い話は一度も聞いた事がない。古いブランドだからキャバレーで突っ込みどころ満載だろうが、あんまり意地悪はするなよ」と釘を刺されたほどです。
 
 *6代目ローラン・プロ解説によるリュバン史では、P.F.リュバンの生没年は1774-1853となっており、79歳没の説もある。ちなみに当ページの古い資料はすべてプロ氏のリュバン史より、他はだいたい公式サイトより掲載しています。
 
f:id:Tanu_LPT:20200902180040j:image
📡Meet LPTV ライブ配信のお知らせ📡
キャバレーで紹介しきれなかったリュバン作品を中心に、キャバレーの舌の根も乾かぬうちにインスタライブ配信でお届け!
2020年9月5日(土) 17:00-18:00
よろしくお願いします!
 
 
contact to LPT