La Parfumerie Tanu

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- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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Rallet 1843, from Russia with love

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近代香水の歴史を語る時、パリ祭(革命記念日)の元となったバスティーユ襲撃(1789年7月14日)を挟んだ前後10年には、後世名を残すブランドが3つも勃興し、現在もなんだかんだ言って手を変え品を変え親会社を変えブランドとして生き残っています。その3つとは、いの一番にイメージするのが1775年創業のウビガンですが、 創業年順に一例をあげると、エルテピヴェ(L.T.Piver、1774年)、ウビガン(Houbigant、1775年)、リュバン(Lubin、1798年)と続きます。1828年創業のゲラン、イギリスで最も古い香水メーカーの一つと言われるグロスミスは1835年創業、そして今回ご紹介するロシア/フランスのラレーは1843年創業なので、18世紀に創業したこの3つの会社的には新興後発ブランドというのが、現在のネームヴァリューではぶっちぎりのゲランからすると少々気に入らない所かもしれませんが、ブランドの歴史にはくをつけるのは、その歴史においてどんなエポックメイキングな出来事を起こしたかであって、単純な創業時から数える年限ではないというのは、リュバンやエルテピヴェがこれと言って決め手がない一方で、同じ時代のウビガンは世界で初めてアルデヒドを使ったり(ケルクフルール)、初めて合成香料クマリンを使用し、本来は香りの無いシダをモチーフに幻想香水という概念及びフゼア系というジャンルを創出した(フジェール・ロワイヤル、1882)点で、後世に残る目玉(メルクマール)が歴然とある事で明らかです。ゲランにしても、王室御用達やジャック・ゲラン時代のヒット作連発という点は勿論、ジッキー(1889)でクマリン及び1876年に発見された合成香料バニリンを投入し、天然香料と合成香料のバランスの良さという歴史的評価が高い偉業を成し遂げているのがブランド力の大いなる底上げになっている点の一つだと思います。

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ラレーの歴史一覧表

前置きが長くなりましたが、それでは今回ご紹介する、2014年に復興したロシアブランド、ラレー社はどんな目玉があるかというと、正直なところ、人々の興味を引くのは、パリ万博に彗星のごとく現れた日本のゲイシャ女優、川上貞奴(マダム・サダヤッコ)のトリビュート香水「サダヤッコ(1900/1925/2016)」を作ったことと、のちにシャネル及びブルジョワの専属調香師となるエルネスト・ボーが働いていて、シャネル5番となる元ネタをラレー社の処方から出して、シャネルの5番の元ネタである1番をラレーで売ってヒットした、という点に尽きるのではないでしょうか。
 
ラレーの歴史は日本語版ウィキペディアにも掲載されているので、詳しくはウィキもしくはウィキの元ネタであるhttp://www.perfumeprojects.com/museum/marketers/Rallet.shtmlをお読みいただくとして、かいつまんで紹介すると、1843年、若干24歳だったフランス人ベンチャー、アルフォンス・ラレーがロマノフ朝時代の帝政ロシアはモスクワのヴラトスカヤ通り47番地に創業したラレー社は、オーデコロンや石鹸などのトイレタリー製品の製造販売を順調に拡大していきましたが、1857年、アルフォンス氏が健康上の理由で二人のロシア人共同経営者にラレーの商標権と株式を移譲後、早々にフランスへ帰国してしまいます。創業からたった十数年でオーナー起業家から地元経営者へ移譲となったラレー社が、本当にビッグになるのはその後約40年、’A.Rallet & Co.’の名称でロシア人が経営したのち、1898年に世界初の天然香料会社、シリス(1768年創業-1967年に石油会社UOPにより買収)が買収してからになります。すでに1878年パリ万博にて入賞もし、工場など設備投資としても十分整っていたラレーにシリスの原料技術が融合、1900年には入場者数最高記録を見たパリ万博に新作「サダヤッコ」を投入、話題性としてもスーパーホットな製品に世界中が注目し、帝政ロシアだけでなくルーマニアやペルシア、セルビアなど数多くの王室御用達の銘を受けました。1910年には675種ものアイテムを製造し、1914年にはモスクワ工場にて1600名もの労働者を雇っていたそうです。フランスなど海外にも製造拠点を構え、エルテピヴェ、ウビガン、コティのロシア代理店もやっていたというから商売うるわしく繁盛していました。
 
1881年、モスクワ生まれのフランス人、エルネスト・ボーは、実父がラレーのモスクワ工場で働いており、実兄も同社の管理部門にいたので、17歳の時石鹸部門の研究員として入社(現代の就職事情からみるとかなり親の縁故系ですが、勤務先に親父と兄貴がいるのってやりづらくなかったんでしょうか)しました。入社2年後の1900年に徴兵のため2年休職、徴兵終了後は調香部門に異動となりました。香水部門の技術部長で、サダヤッコの調香も手掛けたA.ルメルシェが革新的な考えの持ち主で、当時最先端の技術を率先して取り入れるべく、ちょうどロシアの代理店をやっていた前出のウビガンやコティの技術もちょいちょいいただき(笑)、ボー氏もよき薫陶を得て腕を上げていきました。1907年には自身が調香技術部門長に就任、ボロディノの戦い100周年記念香水、ブーケドナポレオン(1912)を発売し、ナポレオン豪華パンフレット付きで大々的にセールスした結果大成功を収めましたが、これに気をよくしてブーケドナポレオンのペアフレグランスにあたるロマノフ朝300年記念香水、ブーケドカトリーヌ(1913)を発売するも、これがまさかの大コケ。さらっとひっこめて影も形も紐づかない名前に変え出直したのが、ラレー・ル・No.1(1914)になります。
第一次大戦勃発後、ボー氏は再度徴兵され、ロシア革命が勃発して2年後の1919年に帰国後、ラレーの工場はソビエト政権下で国営化していたため、フランスの製造拠点に帰国したフランス人従業員とともにフランスへ渡り、そこで1919年から20年の1年間で、ラレーのカンヌ研究所にて後にシャネル5番及び22番の前駆体となる処方のシリーズをシャネル向けに作成し、その中から1番~5番、20番~24番、合計10本の試作品からココ・シャネルにより「5番」と「22番」がチョイスされたのは有名な話です。1922年ボー氏はラレーを退社、24年にはユダヤ人実業家、ヴァルタイマー兄弟に技術主任として雇用され、その後はご存じのとおりブルジョワやシャネルの香水を手掛けていきます。
ソビエト脱出を図った構えたラレー社はフランスで苦戦し、遂には1926年シリスがラレーを手放し、コティが買収するも、そのコティが遺族に見切りをつけられてファイザーに買収された1963年、ラレーのブランド名は消失します。

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新生ラレーの初出4種、左のマークは万博での入賞マークかどっかの国のご用達紋章

 
…ああ、長かった。結局歴史のお勉強が長くなってしまいましたが、ブランド消失から約半世紀経った2014年、フランス人イラストレーター兼ウェブデザイナー、ステファン・ガノー監修のもと、モンタナやバルマンといった戦後デザイナーフレグランスのリローンチや、高級ランジェリーのオーバドゥも抱える、エンパイア・オブ・センツという(何ともセンスの悪いネーミングの)代理店により復興する運びになりました。広報はパルファム・モンタナ部門(オーナー親族)が兼任、2014年の復活第一弾として4種のオードパルファムが発売されましたが、公式ウェブサイトにも断り書きのある通り「トリビュート香水」と最初から銘打っているところから、決して可能な限り史実に忠実な形で過去の名香を復活させるのでなく、雰囲気上等で「いにしえのラレー」な雰囲気を喚起しつつ、昔の万博勲章や広告をウェブに散りばめながら、香りは一からやり直したものですが、これがまたイメージ先行型でクラシック香水のヴァイヴのない仕上がりというか、ひとえにこのデザイン監修をしているモダンなデザイナー色が強く、おばあちゃんの着物を借りてきたけどー、柄超かわいいけど顔まで古臭くしたくないしー、カラコンとつけまでがっつり盛ってますー、みたいなアンマッチ度の高い、オレオレ感がそこここに感じられ、香水を売りたいんだか自分を売りたいんだかわからない出っ尻ぶりに、看板を借りているラレー社に対するリスペクトがあまり感じられないのが残念です。アートワークも残念なら、当の香り4種も、すべて実際に体につけて試香しましたが、もうひと押しの出来栄えと言わざるを得ませんでした。ウェブサイト全体としては、先日ご紹介したルガリオン同様、しっかりと歴史を調べ(まあ、ウィキや香水関連アーカイブサイト、パフュームプロジェクツに充実してますが)、画像満載でワンストップでわかるようにしているのは評価に値しますが、プレスキットではもっとあからさまに「ラレーのル・No.1がシャネル5番の原型だ」と喉まで出かかっているのも少々虫がいい気がします。
 

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左:ラレー社 Le No.1、右:シャネル向け試作品5番

次回、残念だと言っておきながら、記録は大事!初出全4種のレビューを一挙公開!
 
画像提供:レティシア・ベナディ氏(エンパイア・オブ・センツ広報、パルファム・モンタナ担当)
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