キャバレー会場。(左)超絶ソーシャルディスタンス、対面距離4m以上確保。(中)中洲にはアンデッドな面々がそろい踏み (右)終了後は当然中洲で三密状態ベルサイユの調香師ミシェル・アダムが、ルイ16世即位、すなわちマリー・アントワネットが女王の座に就いた1774年にオープンした香水店、À la Reine des Fleurs(アラレーヌドフルール)が、L.T. ピヴェの前身ですが、この店の名前。「花の女王」ですよ、明らかに即位便乗のネーミングですよね。同じ名前のオーデコロンも同時発売。それでうまい事ルイ16世ご用達を賜る栄誉に恵まれます。のちのLTピヴェ社長になるルイ=トゥサン・ピヴェが1787年に生まれる、13年も前の話です。
(左)アラレーヌドフルール(1774) EDC 425ml (中)オーデコロンドプリンス(1850) EDC 425ml (右)LTピヴェのオーデコロン類は金属キャップで封緘してある良心設計王室ご用達を賜っておきながら、大した話題もなく19世紀に突入、創業から30年ほど経った1805年、アダムさんは従弟のピエール=ジェローム・ディセに事業継承します。アラレーヌドフルールがディセの代になった4年後、ここでようやくL.T.ピヴェの登場です。1809年、ピヴェは22歳でディセに弟子入りします。弟子入りから4年後には、共同経営者にまでのし上がりまして、10年後の1823年、ディセさんが亡くなったのを契機に36歳で社長就任、社名をL.T.ピヴェに変更します。つまり、実際のL.T. ピヴェはここから始まるので、厳密には18世紀創業とは言えないし、ピヴェ本人はマリー・アントワネットとも時代がかぶってないんだけど、大目に見ます。ピヴェさん、ここからが長いです。亡くなるまで50年以上、L.T. ピヴェを右肩上がりに牽引していきまして、いくつも工場を開設して事業拡大、再び王室ご用達香料業者となり、パリ本店を含む5店舗に拡大、海外支店も開設します。ピヴェさんご在世時の大ヒット作が、1850年発売、ムエット1番のヘリオトロープ・ブランです。アーモンド寄りのヘリオトロープが甘くて優しい粉物ですね。ゲランのオーデコロンインペリアルが1853年発売ですから、その3年前ですよ。