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Cabaret LPT vol.12 | The Undead : Marie Antoinette and 3 undead brands

今回のキャバレーは、18世紀に創業し、死んでも死んでも蘇りながら現在も存続している超老舗ブランドの特集です。この3社には、共通の経営者や枝のれん分けなどのつながりはありませんが、すべてある人物と繋がっています。それはオープニングビデオにも登場したフランス王妃、マリー・アントワネットです。
フランス革命はベルばらで学んだという方、特にここにいらっしゃる妙齢加齢のご婦人方は多いと思うのですが、ベルばらは歴史に基づいたフィクションです。しかし、その歴史というもの自体、今を生きる人たちの利益に最適化して、どんどん書き換えられているうえ、世界中に研究者がいるのでいまだに新発見や新解釈も登場していますが、まずは、マリー・アントワネットに哀悼の意を表し、1分間の黙祷を捧げたいと思います。ハン1さん、お願いいたします。(1分間黙祷)黙祷終わります。
 
それでは、本題に入る前に、マリー・アントワネットと3ブランドの関係を簡単にご紹介します。お手元のカラー年表を見ながら聞いてください。ちなみに、これからお話する各ブランドの歴史について、どこどこのご用達とか、そういう素敵な話は、どこも公式サイトで目玉アイテムとして紹介していますので、各自ご確認いただく事にして、キャバレーではもっと客観的にお話したいと思います。

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マリー・アントワネットと三大アンデッドブランド比較年表
マリー・アントワネット簡介

 
マリー・アントワネットは、1755年11月2日、女帝マリア・テレジアの末娘としてオーストリアに生まれました。当時の王室は政略結婚が当たり前なので、マリーさんも14歳でお国の事情でフランス王室へ嫁ぎました。19歳の時、結婚相手がルイ16世になったので、本人もフランス王妃になりましたが、まわりにいい大人や信頼できる人があまりいなかったのと、ご自身もあまりしっかりした人ではなかったので、周りの人にたきつけられるがまま、賭け事やおしゃれにのめりこんで、結果国の財政が傾いて、国民に憎まれてしまいました。1789年7月14日、バスティーユ監獄襲撃からフランス革命が始まって、1792年に戦争状態になったので、愛人のフェルゼンが国外逃亡を企てましたが、すんでのところで逃亡失敗、家族全員パリに連れ戻されて幽閉され、1793年10月16日、ルイ16世に続き、ギロチンで公開処刑され、37歳でこの世を去りました。 
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キャバレー最終回のオープニングを飾るビデオの主役は、麻久里しず先生に描いていただきました
マリー・アントワネットについては、逸話や名言が多数残されていますが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」など、悪意を持って誇張されているものもあります。今、何でもネットで検索したら出てくる時代になり「忘れられる権利」を主張する人がいる世の中で、自分と自分がやらかしたことを、死んでも忘れてもらえない。これは、相当きついです。しかも尾ひれ腹ひれでしょ、それで儲ける人がいて、肖像権度外視で死してなお200年以上、売り文句としてタダで使われ続けています。儲ける相手も相手です。死んでも死んでも蘇るんだから。

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ロイヤルストレートフラッシュ
マリー・アントワネットと言えば、18世紀フランスのファッションアイコンとして有名ですが、香りとセットで語られる王族としては史上最強です。21世紀においてなお「マリー・アントワネットの香り」と、一個人をテーマに新作が出るのは、この人位じゃないかと思います。日本でもベルばらの影響もあり、香水鉄板ネタとして①バラ②貴族③マリー・アントワネット、この3つのうちどれかにハマれば売れるしメディアも取り上げやすいですが、記憶に新しいところでは、フランシス・クルジャンが、最初日本限定でマリーアントワネットの肖像画にインスパイアされたアラローズを2014年に出しましたよね。マリーアントワネット、バラ、イケメン調香師。ロイヤルストレートフラッシュです。日本ではそういう謳い文句で登場しましたけど、公式サイトではマリーのマの字も出ていません。日本市場、甘く見られています。さてこの傾向は、今に始まったことではなくて、既にご在世の頃からマリー印で商売していたのが、これからご紹介するウビガン、リュバン、LTピヴェです。比較年表をご覧ください。ピンクがマリーさんの一生で、他の色がブランドです。創業者本人が実際にマリーさんへ香水や香料を納めていたのはウビガンだけで、リュバンは当時師匠の代わりにベルサイユ宮殿に届け物をしていた丁稚奉公だったし、LTピヴェに至ってはギロチン当時6歳ですから全く接点がありません。しかし、創業の発端になった調香師や香水店が、かつて王室ご用達だったので、延々と「うちの香りはマリーさまご贔屓で」「いやいやいや、うちの香りを死ぬまでご愛用…」と語り続けるわけです。
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