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Cabaret LPT revisited | Shiseido 1 : prewar - 1950s

 
Theme 1 : 資生堂
圧倒的国内最大手、日本が世界に誇る化粧品会社。文化的意義も高い
 
創業1872年、昨年創業150周年を迎えた国内最大手会社。薬局から始まり、化粧品事業に着手したのは創業より25年後の1897年、かつ化粧品会社として真のスタートは2代目社長、福原信三が就任し、化粧品部が創立された1916年からで、初の香水は1917年に発売。
世界約120か国の国と地域で販売されている、圧倒的な世界企業。2021年には海外売上高比率が6割を越え、国内メーカーとしては群を抜いています。ちなみに海外売上高比率はコーセーが約3割、花王が7%です。なお資生堂は今年ヨーロッパ進出60周年になります。
1990年と2009年にロングセラー品の大規模な改廃を行い、特に2009年の改廃で戦後昭和のラインナップは一部を除き終焉した。それでも現行販売のラインナップは国内最多
共通してグリーンで立ち上がり、パウダリーで終わる、資生堂ここにありという香調は、日本人の嗜好と高温多湿の気候、そして昭和という時代によしとされる女性のあり方そのものだったのかもしれません。
左)1958年(昭和33年)の雑誌広告。文字が小さく見づらいが、容量違いを含めのべ30数種類ある。今では考えられない豊富なラインナップ 右)ドルックス 香水。ドルックスも戦前から販売、当時は高級ラインだった
Chapter 1 | 戦前 戦後昭和への架け橋

 

1 ヘリオトロープ(1917/1933/1948) 香水
19世紀末/明治からの流行、夏目漱石の三四郎(1908)でも出てくる。1970年代前半まで販売

資生堂が初めて香水を発売した1917年のラインナップに入っている香りです。、ヘリオトロープは、19世紀からの流行で、ヨーロッパの老舗ブランドはたいがいヘリオトロープものを作っていました。今でもアンデッドのL.T.ピヴェがヘリオトロープ・ブランを現行販売しています。日本にも明治25年、1892年にロジェ・ガレのヘリオトロープ・ブランが輸入され大人気だったので、国産香水も模倣物として、資生堂だけでなく、どこの会社も出していて、戦後の創業でも最初に発売した香水のラインナップにヘリオトロープがあるのが普通でした。21世紀、粉物と言えばアイリスが主流ですが、19世紀から戦前で粉物と言ったらヘリオトロープで決まりです。
廃番までに2回リニューアルしていますが、これはおそらく1948年版、第3世代のヘリオトロープです。1958年の雑誌広告(上記)には、150円とあります。私が持っているものは、外箱に価格が500円とあり、1972年に発刊された資生堂100年史の、「昭和47年4月8日現在発売製品一覧」にも載っていましたので、1970年代前半に流通していたものだと思います。肌乗せの可能なほど劣化が少ない、アーモンドとか杏仁豆腐っぽい香り、酸味のない甘さですね。
ヘリオトロープの天然香料はすごく回収率が悪いので、だいたい合成香料のヘリオトロピン+バニリンで作って、原価が安いのか、当時の広告を見てもヘリオトロープものは安いラインで、70年代半ばからバカスカ新作が登場するので、そのあたりでヘリオトロープは廃番になったと思われます。

資生堂 ヘリオトロープ(1917/1933/1948) 香水 1970年代前半
1948年当時150円、現在の通貨価値で3,600円程度。当時の資生堂で一番安かった
2. ホワイトローズナチュラル(1936/1954) 香水
 
戦中の販売休止期間を除き、約90年現役のホワイトローズナチュラル。現存する資生堂の香りで最も長寿の作品です。
香りは、説明の必要がないシンプルなバラの香りですね。展開をつけるためにベルガモットでグリーン寄せ、イランイランでコクを出しています。
今販売しているのは1954年のリニューアル版で、戦前と戦後ではボトルデザインが異なり、戦前は普通の四角いボトルでした。
現在の豪勢なデザインのボトルはカガミクリスタル製造で、このボトルになってから、来年で70年です。使い終わったらふたでハンコを彫るという都市伝説があった程です。
日本人は昔から鉄板でローズ好き。資生堂も、1950年代白ばら、ホワイトローズ、ホワイトローズナチュラルと紛らわしいローズ系香水が3つもありました。
1950年代は、日本が勢いよく戦後という晴れ舞台に驀進し始めた時代で、資生堂も高額商品を出してきます。一番安いヘリオトロープで150円だった1954年、リニューアル時の再販価格が18,000円ですよ。ヘリオトロープとの価格差が120倍。当時の大卒初任給が8,700円(人事院)だったので、初任給の1.8倍以上です。令和5年3月卒求人の大卒初任給が212,500円ですので(厚生労働省、東京労働局調べ)、今の通貨価値でざっくり44万円。バカ高ニッチブランドも玉砕です。
そのくせ、ホワイトローズナチュラルの現行価格は税込24,200円で、約70年で35%しか上がっていないのは、まじめな企業努力か興味がないかのどちらかでしょう。
ホワイトローズナチュラルは、どこのデパートもテスターは置いていませんが、長年のリピーターが多く、定期的に買いに来る顧客の為に1-2個在庫している、地方のデパートや古い薬局兼化粧品店が多いです。場末の薬局でも案外リピーターがついているのは、かつて薬局が化粧品店も兼ね、国産香水のアンテナショップとしてしっかり機能していた証拠ですね。
販売員さんに聞くと口をそろえて「香水は、他のはきつくて使えないが、ホワイトローズナチュラルだけは欠かせないというお客様の為に切らさないようにしている」というんですよ。地方の老舗デパートでは、1mlちょっと入ったサンプルを用意している処もあり、金沢の大和で貰った事があります。
売れ続けるのはユーザーの「ホワイトローズナチュラルを使っている誇り」なんだと思いますが、残念ながらそれはユーザーの消滅でそろそろ終わるかもしれないですね。

ホワイトローズナチュラル(1936/1954)香水 30ml 現行品

それでは次の香りに行く前に、資料で古い新聞のコピーみたいのを見てください。これは、日本粧業という業界誌の、1952年、昭和27年の広告と記事です。結構、香水出てきてますよね。

日本粧業 1952年(昭和27年)3月記事抜粋

【tip 1:なぜ1960年代に入るまで、国産香水がめちゃくちゃ売れたのか】

終戦から1960年に入るまでの15年間は、国産香水が雨後のタケノコ状態で乱立した時代で、大概は海外の有名どころの模倣品なんですけど、特に黒水仙、ミツコ、エメロードが目立ちますね。
戦争が終わって、一息ついて身だしなみという点で香水をつけるようになったそうで、ポーラ文化研究所、コーセーOBのコメントによると、当時の家風呂の普及率、エアコンの普及率と相関関係があるそうです。1960年代前半のエアコン普及率は、当然ゼロで、家風呂普及率も2件に1件、当時家に風呂がないのは普通だったんですよ。だからと言って、毎日銭湯に行くわけではないから、身だしなみとして香水を使う。特に銭湯でも昭和後期まで洗髪料は別料金だったので、今のように髪は毎日洗いませんでした。ハン1さんは、今でも週に2回だそうです。当時一般的だった銭湯から内風呂へ変化したのは、戦後の高度経済成長を向えてお風呂付の団地が大量に建てられたことが背景にあるそうです。
また、デオドラントアイテムが普及する前の時代というのも重要で、日本にデオドラントアイテムが登場したのは1960年代、昭和30年代後半になってからで、実際1970年代になっても、資生堂は、オーデコロンを首筋やわきの下に、手で「ひたひた」付けましょう、と本気で宣伝していました。今の感覚で想像すると、汗と混じって大変なことになりそうですが、当時は今より暑くなかったので、香水で何とかなる、のどかな時代でした。
 
日本初のロールオン型:1962(S35)年、ライオンのバン(Ban)
米ブリストル・マイヤーズとの技術提携
日本初のパウダースプレー型:1974(S49)年、花王のエイトフォー(8x4)
独バイヤスドルフ社との技術提携
 
次は、資生堂1960年代の作品をご紹介します。
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