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Cabaret LPT revisited | Shiseido 5 : 1980s

Chapter 4 | 1980年代 バブルの目覚めと昭和の終わり

それでは、オイルショックからバブルのめざめとして、1980年代、昭和50年代から昭和の終わりまでをご紹介します。

9 むらさき(1980) 資生堂アメリカ 香水

1964年の禅、1977年のインウイと同じく、資生堂インターナショナル配給の国際モデルとして大々的に売り出されたのがむらさきです。今お試しいただいているのはオリジナル版です。グラースのブランド、M・ミカレフの調香師、ジャン=クロード・アスティエが手がけており、この仏具を彷彿するような、濃い紫一色のボトルに、縦書きの毛筆体で「むらさき」ですよ。たまらなくジャポネスクですね。

むらさき(1980) 左よりオードパルファム(ピュアミスト)、EDP、香水

今回紹介した資生堂の作品の中で、このむらさきが一番個性が強いと思います。仏花として日本人になじみ深い、菊がメインノートにいる、ビターグリーンの効いたシプレフローラルで、ガルバナムの湿っぽいグリーンで枯れた「和」を演出。昭和の資生堂らしい、華奢な女性にしか出せない、ちょっと不可解な、計数しがたい色香がベースにきちんとあり、生まれつき胸板の厚い海外のファンには、この願っても手の届かない胸板の薄さがことさら美しく感じられたのでしょう。 猛烈なガルバナムとヘディオンの一撃で始まり、その後は徐々に青みの強いバラ、菊、ユリ、アイリスでパウダリーになっていきます。トップのガルバナムとアイリスがひたすら尾を引いている感じで、一度使ったことのある人なら一発で「あ、むらさき」と判る香調ですね。ただ、これが強烈バリバリ和風かというとそうでもないし、洋風では決してなくて、過去にも未来にも、和にも洋にも辿り着けない境界線にいるむらさきは、いい香りなんですがある意味難易度が高いかもしれません。
ちなみに今売っているむらさきは、1990年のボトルリニューアルに合わせて処方も変更していて、香りがだいぶ痩せてしまいました。

むらさき(1990年リニューアル版)オードパルファム

10. 花椿(1987) EDP 

花椿は、資生堂創業115年、(顧客サービスの一環として創立した)花椿会50周年記念に会員に配布された感謝品で、翌年、この花椿をべースに桜マシマシの花桜、その次の年には花椿に菫マシマシの花菫が、3部作として配布されました。花椿は資生堂の商標ですね。
これぞ資生堂グリーンフローラルの結晶、なんとこれはタヌ最初の資生堂香水でして、当時バイト先ですごくいい香りの先輩がいて、何をつけているか聞いたら花椿で、これ売ってないんだ、と小分けしてくれて、大事に大事に使いきりました。その後3部作を手に入れる機会があり、懐かしさで一杯になりました。湯上りに極上のクリームでスキンケアをした余韻を昇華したような、ふんわりと体温と共に上気する、ボトルイメージそのもののやさしい香りです。資生堂が長年の研究で抽出に成功した、やぶ椿の香りを再現しているとのことですが、まさしくこれが「資生堂の香り」です。
もともと花椿という香水は、1917年に発売されており、静岡県掛川市の資生堂企業資料館では、1917年に発売されたオリジナルの花椿を、ボトルも発売当時のデザインを忠実に再現して発売していましたが、現在は廃番です。個人的にはこの花椿会感謝品の花椿を、一般品として是非とも再発してほしいです。

左より、花椿、花菫、花桜 EDP50ml

Story2                           

今年は東日本大震災が発生して12年目、つまり13回忌の年にあたります。震災直後、かなり情緒不安定になったんですよね、それで何故か昭和の国産香水のデッドストックを買いあさるという奇行に走りまして、当時は自分でもよくわからなかったんですが、今思うに、子供の頃、街には普通に国産香水の香りが流れていて、本能的にそこが安心できる香りだったんでしょうね。特に母を思い出して、本当に落ち着けたのを覚えています。うちの親、資生堂なんか一切使ってなかったんですけどね、母はポーラ使ってましたので。それで、そこで集めた主に資生堂の製品で、後日1本LPTで特集を組んで、2017年のキャバレーに発展したわけです。中野ブロードウェイの地下にある化粧品店に立寄った際、資生堂の香水について尋ねると、廃番になったパヒュームなどを色々出してくれながら「こういうものを売れないからといって廃番にしてしまうなんて、文化が死んでしまう事なのよ。売れる、売れないじゃなくて続けるって事が文化なのに、資生堂も功利に走っていけないわ。特に、スーリールなんか絶対なくしちゃだめだったのよ」と、年の頃は60前後と思しき、おすぎ似のおじさんが熱く語ってくれたのを覚えています。おじさんもそのお店も、もうないですけどね。ピーコも早く見つかって欲しいですね*。

資生堂 1980年代の香り。右後ろは、花椿CLUB感謝品の復刻版花椿EDP (2007年)

資生堂 2023.4月現在の現行販売商品(レディスフレグランス)

メモアール(1963) オーデコロン(ファンシーパウダーは廃番)
禅(1964) オーデコロン(ファンシーパウダーは廃番)
琴(1967) オーデコロン、ファンシーパウダー
モア(1971)** オーデコロン、ファンシーパウダー
むらさき(1980/1990) オードパルファム ※リニューアル品
ホワイトローズナチュラル(1936/1954)香水
すずろ(1976) 香水

ユーザーがいなくなったら廃番になる諸行無常のロードマップが既に見えていますね。
自分が言うなという話ですが、ノンブルノアールとか、有名な廃番品を手に入らないのにやたら書く人がいる一方で、ちゃんと売ってるこれらの国産香水を今しっかり語り継ぐ人が誰もいないのは残念です。数年前にメモアールのファンシーパウダーが廃番になり、中古価格が高騰しています。

LPTから資生堂へお願い                

今回キャバレーの準備をしていてしみじみ思いました。資生堂は、かつて企業資料館で「花椿」や「菊」を復刻していましたが、もう少し販路を広げた形で、受注販売などで過去作をパルファムで復刻すべきだと強く思います。もちろん当時の香料や資生堂香水を資生堂たらしめる調合ベースは、香料規制で完全には作れないのは重々承知の上での陳情です。日本の香水ジャーナリズムが温故知新をよしとせず、常に海外ブランドと目新しい物にしかアンテナが向かないのも、ただでさえ壊滅的な国産香水市場において、こういう声が企業に届かない要因でもあるのは否めません。

一方で、メインストリームブランドが、ニッチに負けじとプレステージラインを出していますが、資生堂もやればいいんだと思います。シャネルのゼクスクルジフのように、過去作も交えてのラインナップで、資生堂には歴史を武器にできる強みがあります。資生堂はコングロマリットに買収されてるわけでもないし、やるかやらないかは社内で判断でき、ゲランやディオール等より自由度が高いのではないでしょうか。資生堂のアーカイヴ復刻は、世界的文化事業に値します。

 

* ピーコ:Cabaret LPT revisied開催翌日、無事保護されたピーコがおすぎとは別の介護施設に入所しているとの報道がありました。

**モア:過去記事で1969年発売としていましたが、今回入手した資生堂資料により、公式発売年が1971年となっていたため、改めました。

 

<Cabaret LPT revisited 参照資料>

・研究紀要 おいでるみん vol.19        
・研究紀要 おいでるみん特集号 「日本の化粧文化 - 化粧と美意識 -」
・研究紀要 おいでるみん特集号「香りと意匠 - 資生堂香水瓶物語 -」
・セルジュ・ルタンス…―夢幻の旅の記録
(以上、資生堂企業文化部刊)
・美と知のミーム、資生堂
・資生堂宣伝史 歴史・現代・花椿抄
・資生堂百年史
(以上、資生堂刊)
・麗人伝説―セルジュ・ルタンスと幻の女たち(ファム・イデアール) 
・エスプリ セルジュ・リュタンス
(以上、リブロポート刊)
・香水 (カラーブックス) - 堅田 道久 (著)(保育社)
・美と、美と、美。 資生堂のスタイル展(ブルーシープ)
・図解即戦力 化粧品業界のしくみと仕事がこれ1冊でしっかりわかる教科書(技術評論社)
週刊粧業 化学工業統計年報
業界誌アーカイヴ資料:日本粧業、国際商業、富士経済
取材協力:資生堂企業資料館、ポーラ文化研究所

 

次は、Cabaret LPT revisited 後編、訪問販売系メーカーや2017年の前回ボトル入手ができず照会できなかった大手メーカーの作品を紹介します、

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