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Cabaret LPT revisited | Shiseido 4 : Inoui (1977/1992)


続いて1977年の鳴り物入り、インウイです。

6.  インウイ(1977) P 

インウイは、日米合作で制作されて、資生堂名義ではなくインウイブランドで海外進出したラインの香水で、1992年にリニューアルしましたが、1996年に廃番になりました。

オリジナル版は、マットなグリーンウッディシプレ、少しだけ金属感がある、第一印象はパコラバンヌのメタル、それだと古くてわかりにくければ、トップのグリーンがピュアディスタンスのアントニアと近似値です。いずれもインウイの方が先で、当時結構「先を行っていた」香りだと思いますね。プワゾンとかジョルジオとか、80年代の爆香系が出てくる直前の、知的で抑えた色っぽさのある女性のイメージです。ミドル以降はお馴染みの資生堂らしいグリーンフローラルに落ち着きます。

インウイ(1977年版)香水

よくグリーンノートはリラックスタイム用とかオフの日のカジュアル用と紹介されていますが、むしろグリーンのさじ加減によっては、優しさとか包容力というよりは、これ以上ないキリキリとしたキツイ女性のイメージがあります。インウイはニューヨークでもミラノでもやっていける、バリキャリの女性をイメージしているので、それまでの資生堂の香りのように、高温多湿対策でグリーンを投入しているのではなく、オンでもオフでもイケてる行動派な女性の演出で投入しています。それでも今の主流から見たら、かなり穏やかで控えめですけどね。

左)インウイ(オリジナル版)オードパルファム、香水 左)インウイ(リニューアル版)香水

リニューアル版は、オリジナルより軽やかで透明感のある、ジューシィなグリーンフローラルシプレ、第一印象はすりガラス系シャマード。結構、資生堂の作品ってシャマードの幻影が見え隠れするんですよ。おそらく、ヒヤシンスとガルバナムの影響かな?オリジナルほど出来る女をアピールしていないです。イメージモデルはユマ・サーマンでした。
インウイはラインとしては完全廃番ではなく、今でも細々とメイクアップのリフィルだけ残っていますが、香水は1977年から96年と、70年代から90年代を駆け抜けて消えました。

それでは、1980年代の香りの前に、先ほど山口小夜子が橋渡しになった最重要人物の登場です。

ノンブルノアール 1982年(昭和57年)10月新聞広告。
お茶の間でお父さんが広げた新聞のこっち側に、ルタンス様がご降臨状態
当時40歳。ご年配になってからのお姿の方が香水ファンにはなじみ深いのでは

はい、セルジュ・ルタンスです。ルタンスが1979年、資生堂と仕事がしたいという手紙を書いて、資生堂の専属だった山口小夜子さんにその手紙をお願いするんですね。それで当時国際部長だった福原義春さんがすぐにOKの手紙を出したんですが、手紙がなぜかフィリピンへ行ってしまい、手紙が届くのに1年かかったそうで、ようやくルタンスが来日して対面交渉にこぎつけたと、またのんきな話ですが、とにかく晴れて契約。当時のビジネス交渉で手紙は生きた伝達ツールだったんですよ。国際電話なんか、高くてかけられない。日本ーフランスじゃ6秒90円という時代です。当時のざるそばが1杯280円、ざるそば1杯18秒ですよ!当時ルタンスはディオールの専属メイクアップディレクターだったんで、ディオールを蹴って1980年から20年間、グローバルイメージディレクターとして専属契約します。日本向けにもいろいろやって、それではここで、インウイの、ルタンス前とルタンス後のCM比較をご覧ください。

 

 

初代インウイは「NYのバリキャリをイメージ」でしたけど、80年代に入りルタンスプロデュースで恐怖のどん底ですね。ナタを振り回してました。今ならおそらく放送できないでしょう。
この映像は1980年・1986年インウイのメイクアップラインのCM で、インウイのルタンスプロデュースはメイク物だけ、パッケージデザインやロゴはそのままです。世界へ発信する資生堂のイメージを一手に担いましたが、アート性が高すぎて日本人置いてけぼりでした。ヨーロッパでは大絶賛でしたが、アメリカでは不評で「また顔面蒼白かよ」と言われ続けたそうです。

ちなみにルタンスは、日本の古い香水評論家には「ホモのおじいさん」と呼ばれていて、ホントひどい話です。戦後昭和にリスペクトをもってゲイとか、ましてやLGBTなんて言葉はなかった、ホモかおかま。ルタンス氏はディオール時代に女性と結婚し、80年代に残念ながら死別しますが、今50歳くらいになる息子さんが、2005年の回顧展で通訳として来日したり、ルタンス関係の書籍では翻訳を担当しているので、見た目はそうかもしれないけど、違うと思います。

今回戦後昭和の国産香水、特に資生堂の回顧を行うにあたり、ルタンスと資生堂は自分の想像を上回る共生状態にあり、ディオールでのキャリアを棄ててまで資生堂の専属になり、人生の後半をすべて日本とのつながりで活動した方だと言う事を知り、現在の日本はどうあれ、それだけでも自分の国が誇らしく思え、Cabaret LPT revisited 開催は自分の糧となりました。

 

Tips : 資生堂企業資料館の刊行物               

資生堂編の最後に、参考書籍の一覧を掲載しますが、中でも見つけて本当に良かったのは、資生堂企業資料館ミュージアムショップで販売している「研究紀要おいでるみん」という社内報でした。ルタンス特集をしているvol.19(2005.12月号)では、当時の国際部長とルタンスの対談や、資生堂のグローバルイメージディレクター時代、一緒に仕事をした関係者のルタンス人物評などあり、私は、これまでセルジュ・ルタンスという人にも、一連の香水作品にもさほど強い興味はなかったのですが、セルジュ・ルタンスという人がぐっと身近に感じられましたし、特集号 「香りと意匠 - 資生堂香水瓶物語 -」(2008年10月号)は、資生堂を含む国産香水史の集約的記事が豊富で、資生堂の歴代香水の発売年が年表としてまとめられており、自分の中の断片的な知識を数珠つなぎに一本化してくれた貴重な刊行物です。あくまで社内研究として発刊されていて、書籍コードもないので一般流通しておらず、企業資料館に電話で注文し、現金書留で代金を支払う必要がありますが、その手間を払ってなお有り余る情報の裏付けと知見が得られました。ひとしきり購入後、キャバレーの前日に資料館に行ったのはバカ行動でしたが(笑)

次は、1980年代の香りをご紹介します。

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