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Cabaret LPT revisited | When, What, Why Japanese Perfumes in the postwar SHOWA

Cabaret LPT revisited | When, What, Why Japanese Perfumes in the postwar SHOWA
当日参加したLPT読者による、解説中の店主タヌ(法廷画風)
 
戦後昭和の国産香水:ヴィンテージ品の注意    

今回登場するのは、リニューアル品を除いて、すべて戦後昭和の国産香水で、ヴィンテージ品です。通常、配布するムエットはイベントの直前に作成するんですが、今回はヴィンテージ品の為、立ち上がりの劣化香を飛ばすように1週間ほど前に作成しました。
今回のリハビリマッチに際し、新たに新品未開封品のヴィンテージボトルを一通り買い直しました。トップノートやフレッシュな香りを作る香料が経年変化で飛んでいるため、肌に乗せてトップの焼けた部分を飛ばすと、ミドル以降の香りで本来の香りとなります。肌乗せして30分もすると、仮死状態だった香りが一気に目覚めます。この30分は我慢してください。今回、劣化の度合いを確かめるため、両腕に少しずつ何種類も香りをつけて、最初の30分は不安でしたが、気づくと戦後昭和の美人が勢ぞろいと言わんばかりのえええ~香りに包まれましたので、香りの美しさは私とハン1さんがギャランティします。
アラブの特集をした時は、半年間殆どアラブばかり試していたので、最初はどれも同じに感じたのが、だんだんわずかな違いが分かりようになって、特集迄組むことが出来ました。戦後昭和の国産香水も、雑に嗅ぐと似たり寄ったりで違いが判らないかもしれませんが、それは馴染みのないジャンルの音楽が、最初はどれも同じ風に聞こえるのが、聞いているうちに個性がどんどんわかってくる楽しみと同じです。ただ、音楽と違って、ヴィンテージ香水は鮮度との戦いなので、楽しむには一刻を争うので、キャバレーは一期一会の真剣勝負です。
 
はじめに 

トークセッションの前に、今回は国産香水の特集という事で、取り上げさせていただいたメーカーの方には大変お力添えをいただきまして、すべて廃番にもかかわらず、メールでの問合せに丁寧にお答えいただいたり、ズームミーティングで質疑応答の場を設けてくださったり、今回のキャバレーは国内メーカーの協力なしには成り立ちませんでした。また昨日は、ハン1さんと静岡の掛川市にある、資生堂の企業資料館にも足を運び、滑り込み取材をしてまいりました。この場を借りて、心より御礼申し上げます。

左)資生堂企業資料館へ向かうハン1。毎週金曜日しか開館していない為、キャバレー前日に日帰り訪問 右)ポーラのヴィンテージ品。今回、ポーラ文化研究所が月例開催している学芸員とのZOOMミーティングでは、30分という短時間ながら、戦後昭和の国産香水に関するヒントを多数頂戴した。本来はポーラ所蔵資料だが、コロナの影響で閉館しているため、学芸員さんたちも苦肉の策としてZOOM中参照リンクをバンバン送ってくれた
昭和とは    

昭和は64年まで。1989年1月7日まで(天皇崩御)
天皇崩御の際、駅で号外が配られた。タヌ21歳 大学4年生 
その日は、在日アメリカ人(姉の職場の友人)とそのお兄さんを、姉が何かの用事で行けなくなったので、代わりに東京観光に連れて行く日だった。池袋に出て、ジョイスとスティーブと合流した途端号外配布。2人とも日本語ができないので「なんだ、何があったんだ」と兄妹でザワザワ。当時英語があまり得意でなかった私には、姉のかわりにアメリカ人2人を観光に連れて行くこと自体一杯一杯なのに、天皇崩御とか元号が変わるとか、説明できるわけもなく、仕方なく号外を見せて「昭和、ジ・エーンド!」位いうのが精一杯だった。

 

《序編:国産香水の共通項9か条》            

それでは、戦後昭和の国産香水の共通項を9つご紹介します。

戦後昭和の国産香水を一言で言うと「寸止めの美学」。総じて「身が薄い」。当時の日本人女性と同じです。1950年代前半、30代女性の平均身長と体重が148㎝、48㎏で、約70年後の2020年が158㎝、54㎏なので、体格も一回り違いますよね。(厚生労働省・国民健康・栄養調査)

②高温多湿対策1:大なり小なりパウダリーなグリーンフローラルシプレで、わざと輪郭をぼかしている、シプレ寄りのグリーンフローラルが香調の核になっている事が多い。特に資生堂はどの香りにも基本のグリーントーンがある。独特のもたり感、良い意味でキリキリこない、キレの弱さが特徴です。よく言えばソフトフォーカス、表情で言えば伏目がちかな?この独特のもたり感が、高温多湿でも不思議と不快な匂いになりにくい。日本特有の気候にあわせ、汗で香りが混じり合わない工夫といえます。

③高温多湿対策2:ベースが軽い:ベースノートにアンバーやレジン系があまり使われず、ドライなムスク系が多いです。

④高温多湿対策3:基本セットは香水とパウダー。気候に合わせて湯上りにパウダーのみ使う人も多かった。それに対し、気候的に冷涼な時期が長く、湿度の少ない欧米の基本セットは香水とボデイローションになります。親子二代で営業している、中村橋のポーラの販売店、フリージアさんでお話を伺ったところ「今はさっぱりフレグランスのラインは売れないけれど、かつては特にボディパウダーがかなり売れた」と言っていました。

⑤全体主義、出る杭は打たれる国民性を配慮しているのか、突出した個性が抜きんでているものは少なく、俯瞰的に見て似たり寄ったりを貫いています。

資生堂を除き、舶来品を後追いした周回遅れな部分は否めず、若い新規顧客を掴めなかった訪問販売系は、21世紀に入ってもユーザーの為に天然記念物的な作品を残していました。(メナード:モンプティルゥ、ポーラ:モンスクレなど)

⑦オリエンタル系は殆どない。オリエンタルと言っても結局フローラルがメインになる。スパイスもあまり使われない。日本では、この時代スパイシーな香りは鬼門でした。今でもスパイスがいける日本人はその筋の人だと思います。

⑧手頃なものから超高額価格帯まで、ひとつのメーカーでどんな懐事情のお客さんにも対応できた。安いメーカー高いメーカーではなく、同一メーカー内での価格帯が幅広く、松竹梅鶴亀狸のシリーズがあって、それぞれの価格帯で基本のセットが揃う、つまり消費者の懐事情に合わせてメーカーを変えずに選べる企業努力をしていました。アラブメーカーと同じです。実はこれがグローバル戦略では、社会階層によって同じ会社の製品を使う事はありえない欧米のマーケットには足かせとなったので、資生堂は手頃な価格帯のブランドは事業ごと売却して、資生堂の名前で安いものを作らない経営方針に変え始めています。

⑨顧客の囲い込み:国産香水の販売チャンネルは街の化粧品店、もしくは化粧品メーカーと契約している薬局で、資生堂は花椿会、鐘紡はベルの会、コーセーはカトレア会といった会員制にして購入金額に応じて非売品の感謝品がもらえました。その一方で値引販売はなく、お店も売れなければ返品できるという再販価格制度で、1997年まで守られていたので、安心して新作がバンバン入ってきました。21世紀になりドラッグストアの台頭で、化粧品店はほぼ絶滅寸前。私の住んでいる桜台でも25年前、4-5件あった化粧品店は2000年前半にすべて閉店し、隣の練馬に1件残すのみになりました。

                                     
◯昭和末期のゲランやシャネルなどの価格と比較 1989年7月現在 平成元年

例:シャネル 5番 14ml 21,500円 19番 28ml 34,500円
  ゲラン ミツコ 7.5ml 14,000円 60ml 60,000円
  キャロン ナルシスノアール 15ml 18,000円
      エルメス カレーシュ 30ml 34,000円

資生堂 禅 6.2ml 4,900円 ホワイトローズナチュラル 30ml 22,000円
ポーラ ランコントレ 25ml 19,600円
メナード メルファム 30ml 33,980円 モンプティルゥ 17ml 9,700円
カネボウ ほとんどの香水が15ml、2400~9,000円

○令和5年4月現在の価格例
シャネル №5 30ml 34,500円→44,000円(税込)→40-50%の値上
ゲラン シャリマー30ml 46,200円(税込)
資生堂 ホワイトローズナチュラル 24,200円(税込)→据置

 

次回より、各メーカーの作品をご紹介します。
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