【ギィ・ロベール師 簡解】
ギィ・ロベール師は、1926年フランスのマルセイユ生まれで、2012年5月28日に86歳で天寿を全うされ、今年で6年を迎えます。日本ではちょうど7回忌という大事な年忌に当たり、亡くなった日は月曜だったんですが、今年の祥月命日である5月28日も同じ月曜日でした。
ロベール師の家系は代々高名な調香師が登場していまして、ここで近年の家系図を作ってきたのでご覧ください。
まず、ロベール師のおじいさん、ジョセフ・ロベールはまず第一に溶媒抽出法を開発して特許を取った方です。のちにゾンビ系香水ブランドの歴史で頻出する香料会社、シリスの主任調香師に就任し、かのフランソワ・コティを指導した方でもあります。ジョセフさんが開発した溶剤抽出法ですが、英語ではソルベント・エクストラクション・プロセスといって、当時のアンフラルージュ法、動物の油に塗り付けて抽出する方法よりもパワフルな天然香料が抽出できるんですが、ジョセフさんがこの溶剤抽出法で取った香料を当時のウビガンやリュバン、ゲランに売り込んだところ、屁もひっかけられなかったそうなんですよ。唯一目の色変えて使ったのがフランソワ・コティだけだったそうです。
そして2代目、おじさんのアンリ・ロベール、この方1950年代から70年代にかけて、シャネルの専属調香師として活躍された方です。エルネスト・ボーとジャック・ポルジュの間ですね。一番の代表作はシャネルの19番ですが、戦前から長いキャリアを持つ方で、ドルセーのル・ダンディは1925年、コティのミュゲドボワは1936年に手掛けています。アンリ・ロベールの甥っこにあたるロベール師は、調香師としては3代目になります。
ご子息のフランソワ・ロベールも、4代目調香師として現役の方で、パルファン・ロジーヌ作品を多数手掛けています。ロジーヌの処女作であるローズドロジーヌや、先日ジェントルマンコーナーでご紹介したフォリードローズもその一つですね。
はい、家系図の説明は以上です。続いてロベール師ご自身のキャリアを簡単にまとめると、1949年(23歳)より調香師になり、1999年(73歳)まで、約50年間調香師として活躍されました。資料によると、戦前はグラースのラボで下積みした後、戦後おじのアンリ・ロベールと共にニューヨークへ渡り、既に実力派調香師だったおじさんの下で、本格的に活動を開始します。1970年には独立し、アトリエ・クワンテッサンスを設立、1976年には調香師として最高の名誉であるビリアーナブランビーラ賞を受賞。ビリアーナブランビーラ賞?聞いたことあります?方々調べましたが2018年の今となってはさっぱりわかりませんでした。こういう調香師がもらう賞といえば、フレグランスのパフューマーオブザイヤーとか、調香師の永年勤続賞みたいな、ライフタイム・アチーブメント・アワード辺りが一般的ですが、まあ、なんかすごい名誉な賞を取ったんだな位頭に入れて下さい。現役時代、ロベール師はエルメス、ロシャス、ディオールと戦後フランス香水のトップブランドで歴史的名香を幾つも遺したのは皆さんご承知のところで、これから実際に香りを体験していただきます。
【ギィ・ロベール師の名言】
ロベール師といえば「香水は良い香りでなければならない」この名言に尽きると思います。Un Parfum doit avant tout sentir bon(A Perfume must above all smell good)
ある時、良い香水の定義とはなんですか?との質問に「難しい事は何もない。香水は良い香りでなければならないけれどね」と即答した所から、この名言が生まれたと言われています。
また、有名な香水評論家のマイケル・エドワーズがロベール師に生前「名香が生まれる秘訣は何ですか」と尋ねたところ「作る人・頼む会社・世に出る時期、この3つが正しく重なりあった時、良い香りは運に恵まれる」"A good perfume that had the luck to be chosen the right person in the right company at the right time"とも答えています。
要は調香師の腕、その腕を活かす企業、そしてその香りが評価される時代、この三位一体でないと、いい香りは生まれないって言うんですよ。どんなに才覚ある会社と一緒に調香師がいいものを作っても時期が悪ければダメ、いい腕を振るっても頼んだ会社が悪ければダメ、良い会社が今だと思って頼んだ調香師が悪ければダメ。そういう例、皆さんどれだけ見てきましたか?私は見てきました。よろしくお願いします。
それでは、これから実際にギィ・ロベール師が手がけた作品を、時系列でご紹介していきます。
【1950年代】
まずは、ロベール師が20代後半から30代前半にあたる1950年代の作品をご紹介します。3作ありますが、残念ながらボトル及び試香資料は、一般人の財力では入手する事ができませんでしたので、ネットで拾った写真と香調だけご紹介します。
Doblis / Hermès 1955
ロベール師が手がけたブランド作品として最初に登場するのが、エルメスのドブリです。こちらは、エルメスとしては3作目の香水にあたりますが、エルメスはのちにカレーシュを出すまで香水はお得意様限定販売だったので、当時一般市場に出回る事がなく、のちに2004年、ジャン=クロード・エレナが再処方してハロッズ及び一部エルメスブティックにて1000本限定で復刻しましたが、お値段も本数もまぼろし級で、この2004年版ドブリですら、オークションに出回っていますが、オークションと言ってもヤフオクやイーベイじゃないですよ、クリスティーズですからね!パンピー無用の世界です。香りとしては、女性向けでエルメスの革製品を色濃く彷彿させるフローラルレザーだそうです。
Lasso / Jean Patou 1956
次に手掛けたのが、ジャン・パトウのラッソです。ラッソもレザーの利いたフローラルシプレだそうで、キャッチコピーは「あなたの秘密兵器(your secret weapon)」。どんな秘密兵器なのか興味津々ですが、やはりヴィンテージ品はどうみてもカビジュースなボトルがANAで台湾に行けちゃう位の価格で、eBayに出ていたのを見ただけで断念しました。広告が結構残っているので、ドブリと違って普通に一般流通したものだと思います。
Chouda / Gres 1959
その次は、パルファム・グレのコーダです。コーダは一般流通しなかった上、復刻版もないので、ドブリを上回るまぼろし系の作品ですが、制作当初、グレはブランド初の香水として1959年、ロベール師のコーダと、ベルナール・シャン調香のカボシャールと同時発売したのですが、繊細なグリーンフローラルでマダム・グレご自身のお気に入りだったコーダは生産終了までにたった5リットルしか製造されなかった上、マダム・グレが1993年、89歳で亡くなるまでにほぼご自身で使いきったという話まであります。この写真のボトルは、ロシアの香水コミュニティ、ラ・パルフュムリから拾ったものです。名前がいいですね、タヌが足りないけど。所有者はロシアのコレクターです。