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Cabaret LPT revisited | Door-to-door sales in the postwar SHOWA 2 : Menard, Oppen

 

それでは次の訪販系メーカーに移ります。名古屋の日本メナードです。

NAGOYA | メナード化粧品 名古屋の戦後創業訪販系

東名阪訪問販売系その2、日本メナードは、1959年、ヘアケア商品のダリヤから訪問販売部門を独立し、名古屋に創業したメーカーです。創業者の野々川大介氏が1990年まで社長を務め、現在は長男の純一氏が2代目社長で、創業して64年ですが、まだ2代目というのが凄いですね、純一氏も社長に就任して33年です。メナードは海外の香料会社や調香師と積極的に協業して香水を作ってきましたが、数年前、戦後昭和の国産香水はすべて廃番になり、現在は平成の作品のみ、6点販売しています。海外ではメゾンフレグランスブランドとして位置付けられ、フィレンツェのピッティフレグランツェなどニッチ系ブランドのフレグランス展示会に出展したり、ワルシャワの最高級香水店、クオリティミッサラにてフレグランスやスキンケアラインの取扱があるなど、他のメーカーに比べて独自の路線を行っています。23か国の国と地域に販売拠点があり、訪販系で最も東欧やバルカン半島に強いのは日本メナードです。

それでは、ここからムエットの番号が前後しますが、18番をお願いします。

18. モンプティルウ 香水(1973)

日本メナードのフレグランスの現行ラインナップとしては最長寿だったモンプティルゥは、メナードが岩下志麻、松坂慶子と専属契約した翌年、創業より14年目にあたる1973年7月に発売され、昨年メルファムのパルファムが終売した2017年2月現在、メナード唯一のパルファム(香水濃度)となりましたが、数年前にオンラインストアから姿を消しました。ちなみにメナードは、2017年当時は1970年代に発売された香りをなんと5種類も現行品として作り繋いでいたので、クラシック香水ファンにとっては桃源郷のようなメーカーでした。
フランス語で「愛しい人」「小さな恋人」の名を持つモンプティルゥですが、まさに「愛しい昭和の恋人」。ちょっとだけ悪い女の予感も持ち合わせた、体臭のある芳香を放つ生身の女性を感じる、戦前の黄金時代の香りにも通じる往年のシプレーアルデハイド(フローラルアルデヒドシプレ)です。厚み、深さ、染み出し感、そしてパウダリーなベースと、クラシック香水への期待すべてに応えていた、おばあちゃんの鏡台系です。ちなみにLPTで「おばあちゃんの鏡台系」は高評価です。先ほどのモンスクレより舶来香水度が高いので、クラシック香水の好きな方は、もし新古品があったら絶対おすすめです。

モンプティルゥ 香水 30ml

メナードには、こちらも廃番になったメルファム(1979)という、マダムロシャスとかディオレッセンス、アムアージュのゴールドを作ったギィ・ロベール師が手掛けた事になっている、メナード創業20周年記念香水がありますが、もう廃番にもなったし、時効だと思うのでお話しますが、実はギィ・ロベール作ではなく、当時の日本人調香師によるもので、メナードのコンペで処方が通って、ギィ・ロベール名義で出してよいと許諾を得てメナードが発売した作品なんですよ。数年前、全国開催された「におい展」の臭いを作った方ですね。これは、今ここにいるLPT男子から、2018年11月に開催したジェントルマンコーナーのキャバレーで伺って、ギィ・ロベールといえば、1本キャバレーが立った位、私にとっては尊敬する調香師ですし、翌年の1月、すぐに名古屋で香水店及び調香体験セミナーを行っている調香師の方に、セミナーを予約してお話を伺いに行ったんですよ。もちろんメルファムの話も確認できましたが、それよりも調香師の方が当時体験した、戦後昭和の香水業界に関する醜聞の数々を、3時間ほど聞くハメになり、調香体験というよりは恐怖体験でした。その時作った香水は、もちろんクラシックな粉物系をお願いして教えてもらったんですが、古典調香や当時の香料など、大事な話はまた次のセミナーで…と言われ、聞きたくなかった話も学んだ処方も作った香水もどっかに行ってしまって、私は興味があると知りたくなる方ですが、物事、知りすぎるのも良くない、としみじみ思いました。英語でもCuriosity Kill The Catということわざがある位なので、世界共通ですね。

メルファム オードトワレ、香水30ml、香水リフィル30ml メルファムは、中央の香水瓶が製造できなくなり廃番になったが、数年は右のリフィルボトルでリピート客への販売対応を行っていた。リフィルボトルで充分な存在感

  

 

それでは、訪販系の最後、大阪のオッペン化粧品をご紹介します。

OSAKA | オッペン化粧品 大阪の戦後創業訪販系

 1953年大阪の西成に創業したオッペン化粧品は、今年創業70周年で、もとは龍宝堂製薬という名前でした。訪問販売の他に、エステの先駆けみたいなビューティサロンを兼ねた営業所が、現在も1000か所、ローズメイトと呼ばれる販売員が24000人います。要は、オッペンから仕入れて自宅で販売する、個人事業主が24000人もいる会社って、そういう会社です。医薬部外品や健康食品にも力を入れています。
オッペンは、何といっても本支店ビルのデザインと「言ったもの勝ち」の迫力あるネーミングが特徴です。強気なコピーライトの勝利ですね。例えば
・六本木ロアビルにあったエステサロンは「東京ゴールデン・ドア(黄金の扉)」
・現在5代目となる看板香水は「ホール・オブ・ビューティ(美の殿堂)」
いずれも「めくるめく」という形容詞が似合います。

正直なところ、オッペンのピークタイムは既に終わっていて、かつてはバンバンやっていた全国ネットのテレビ番組のスポンサーも90年代で終わり、全国の主な本支店の建物も、昭和感がすごくて、例えば7年前の春に金沢へ行ったんですが、小松空港から金沢市内へ入っていく道のりに、ミニチュアの大仰な四角い香水瓶が、やはり大きなネオンサインをつけた巨大な横長のビルになったような、一目見て昭和の建物だとわかる異形の建物が出てきて、何だこりゃと思ったんですが、後で調べてそれが全国23か所の一つ、オッペン金沢支店で、ネオンサインは有名な「ネオン塔」と呼ばれるものでした。残念ながら、キャバレー開催の1年後2018年3月に金沢支店は移転、社屋ごと解体されて、2023年4月現在、現在ネオン塔が現存するのは香川支店1か所のみ。香川名物、讃岐うどんとネオン塔ですね!

左)最盛時は全国18か所にあったネオン塔も現在は香川支店1か所のみになった 
右)独特な雰囲気のオッペン支社

オッペンの香水と言えばホールオブビューティ。創立25周年を記念して1978年に発売された第一世代と、1989年発売の第二世代のボトルを持ってきました。第一世代は、これこそホールオブビューティで、オッペン本社の社屋をシンボライズしたものです。社花であるバラを用いた、カリスマ的存在感を持つローズのシングルノート(ソリフロール)、というより天然ローズオイルをアルコール希釈したもので、厳密にいえば調香を施したものではないですが、天然ローズ香料の良さ100%を楽しめる、まさにバラ好きな日本人のハートを直球でわしづかみした「作ったもの勝ち」の香水。センチュリーローズをイメージしているそうです。大輪のバラですね。ローズオイルはブルガリア産ダマスクローズで一年に一度の摘み取り花だけを使っているそうで、プレスリリースでは「香水の究極、シングルフローラル」。ここでも言ったもの勝ち発言が出ていますね。 パッケージのモデルチェンジを重ね、現在第5世代として現行販売中です。

ですが、あえて試香をするほどでもないと思って、今回は現存するもうひとつの香水、ホットナイトをご用意しました。

左)ホールオブビューティの歴史 右)ホールオブビューティ 香水。左:第2世代、右:第1世代。 第一世代は社屋を模したデザイン

19. ホットナイト(1971)EDC 

今回のキャバレーの為に、オッペン化粧品のオンラインストアで入手しました。シンプルな角柱型のボトルですが、かつてはキャップがホールオブビューティ型でした。オリエンタル系とありますが、断じてオリエンタル系ではなく、普通のフローラルブーケです。なんどか実装しましたが、ケミカルに感じる以外は、どの辺がホットナイトなのか、全体像が掴みにくいですが、堅めのローズで始まって、小一時間すると昔の香料たっぷりだった時代のクリームみたいになる香りです。後半肌になじむと、まずまずいい感じのスキンケア香になり、ラストはしっとりとした渋めのシプレ香すら発するので、立ち上がりのぞんざいさに比べたらミドル以降が中々よく、案外使えるかもしれません。

左)ホットナイト オーデコロン 右)現在オッペンの香水はホールオブビューティ(第4世代EDT)とホットナイトのみ

それでは、前回のキャバレーでは、良いコンディションのヴィンテージが手に入らず紹介できなかった、大手メーカー2社を紹介します。

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