La Parfumerie Tanu

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Vol de Nuit (1933), my best favourite pre-war Guerlain

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Vol de Nuit, my best favourite pre-war Guerlain

一昨年まで、百貨店のゲランカウンターに立ち寄った際、必ず尋ねるようにしている質問がありました。
「すみません。夜間飛行はどこのデパートのゲランカウンターに行っても見かけないのですが、どうしてですか?」
答えは、どこの百貨店でも同じで「本社からディスプレィする商品の指示があり、その通りに並べております。夜間飛行は、年間を通し殆ど店頭に並べることはございません」確かに、百貨店のゲランカウンターには、夜間飛行は出ていません。かといってブティックフレグランス扱いでもないので、どこのカウンターでもカタログ通り在庫はしているから「言えば出してもらえる」扱いではあります。
昨年都内某百貨店のゲランカウンターでプロペラボトルがちょっとぞんざいに、ディスプレイ台下の引出しから半身見えていたことがあったので、この質問をするのはやめたのですが、シャリマーやミツコのように、夜間飛行が堂々と主役として棚の主人公になっているのは、パルファムがあれだけアイコニックなプロペラボトルの姿をしていながら、ついぞお目にかかったことがありません。
 

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夜間飛行 香水 プロペラボトル30ml、2011年製造
そのくせ、ゲランカウンターでは、ミツコが好きな方の「次の1本」に進めるのがこの夜間飛行で、実際、どちらも巨匠ジャック・ゲランの作品で、ミツコのフルーティな酸味とシャリマーのパウダリーな甘さ、双方いいとこ取りな部分はあると思います。
 
夜間飛行が生まれるまでのゲランは
1910年代 第一次世界大戦前:ルールブルー(1912) 第一次世界大戦後:ミツコ(1919)
1920年代 シャリマー(1925)
1930年代 夜間飛行(1933)と、この20年間に錚々たる面々が登場し、いずれも一度も廃番になった事がないのは驚異的だと思います。
 
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夜間飛行 香水 クアドリーブ型15ml

左:1980年代前半 15ml 右:1980年代前半、1980年代後半(紺ラベル)

夜間飛行の発売された1933年という年は、日本では昭和8年にあたり、世界大恐慌から4年経ち、ドイツではヒトラーが首相となりナチスが台頭してきた年で、世界の雲行きが徐々に怪しくなっては来るものの、普通に暮らしている分にはまだあまり実感が伴わない時代で、アールデコの全盛期でもありファッションも絢爛豪華。ジャン・パトゥの絶頂期もこの頃ですし、シャネルやスキャパレリもバチバチ火花を散らしていた時代です。世界旅行という意味でも移動手段に飛行機が加わり、この夜間飛行もVol de Nuitという名の通り、当時としては最先端をいく人気のテーマを題材にしています。サン・テグジュペリ作「夜間飛行(1931)」にインスパイアされ誕生したゲランの夜間飛行は、1933年7月、25歳でパリーアンジェの連続12時間飛行に成功した若き女性飛行士、エレーヌ・ブーシェ(1908-1934)に捧げ、挑戦を恐れない、自立した勇敢な女性へのエールとなりました(残念ながらブーシェは夜間飛行誕生の翌年、訓練中の事故で墜落死、死後レジオンドヌール勲章授与)。 
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左:香水 8ml 1980年代後半~90年代前半 右:EDT 50ml 1990年代後半
また1933年は、香水にフォーカスしてもブランドの看板商品や大ヒット作となったアイコニックな作品が多く生まれた年でもあり、一例としてスキャンダル(ランバン)、フルールドロカイユ(キャロン)、セクレドヴェニュ(ヴェイユ)、ディヴィーヌ・フォリー(ジャン・パトゥ)、スール・ヴォン(ゲラン)が登場しています。中でもキャロンのフルールドロカイユは、日本では「石の花」として昭和のご婦人方に大層愛された名香、ランバンのスキャンダルは、先日ご紹介した「死ぬまでに嗅いでおきたい111の名香」2019年改訂増補版にて「死ぬまでに嗅いでおきたかった名香5選」として、廃番になったあまたある香りの中でも特筆すべき5作の一つに選ばれています。ちなみにこの年生まれた著名な日本人女性はオノ・ヨーコに黒柳徹子と大物揃いです。
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左:ウォッチボトル型EDC、1960-1970年代 右:EDT 100ml、1980年代半ば
夜間飛行は、香調としてはグリーンウッディシプレに属し、大まかにいうとベルガモット、ガルバナム、アイリス、オークモスの王道シプレ構成で、当時としてはリフト感を出すためアルデヒドも効かせ、のちのシャマード(1969)からウール・エクスキース(1984)へ流れる潮流の先鞭を切っています。快活さは違いますが、広義には系譜の中にシャネル19番(1971)も居るといってよいでしょう。現在はパルファムとEDTの2濃度展開、過去ウォッチボトルのオーデコロンが20世紀後半まで製造されていましたが、1980年代ゲランにオードパルファム濃度が登場した際、夜間飛行のEDP(またはPDT)は製造されませんでした(見たことがないだけかもしれないので、要検証ですが)。ゲランのクラシックは、濃度ごとにファンがおり、私自身もパルファムよりもEDTやEDPのほうがしっくりくる作品があるのですが、夜間飛行に関しては、声を大にしてパルファム一択だと思います。パルファムは、ヴィンテージは経年変化の都合もあり、現行品とはイントロが違い、若干の表情は違えどヴィンテージ、現行品共に美しく、ちゃんと同じ曲を演奏しているのがわかる出来で、ベースにヴィンテージ特有の地鳴りがあり、パウダリーな表情が若干ダスティで、ガルバナムのグリーンがよりシャープでビターなヴィンテージと比較して、グリーンの部分がフレッシュで透明度が高く、ジューシィな現行品は、処方変更の刃に亡骸となる宿命のクラシック香水の中では、抜きんでて香りの良さを素直に享受できる秀作です。香りの厚みやふくらみという点で、パルファムと比較してEDTは展開がフラット、特に現行品は20世紀品と比較して水っぽいので、和食で言ったら懐石料理と松花堂弁当ほどの差があります。EDTはパルファムの下地のようなもので、EDTを全身に、パルファムをポイント付けするのもよいと思います。また、幸い夜間飛行に使われている香料は、経年変化に強いものや熟成でより良くなる香料が多いのか、1960年代後半のものから80年代と半世紀~30年以上経過したものでも、シトラス部分がどうしても焼け、立ち上がりの回転数が多少狂ってはいても、これまで試香してきたヴィンテージに比べたら、格段に劣化しにくいようで、40-50年前のウォッチボトル入りオーデコロンなど、アルコールが塩梅良く抜け、近年のEDTよりも香り持ちが良かったりと、良い意味で嬉しい驚きが多いのも特筆に値します。
夜間飛行は一度だけドジョウ「夜間逃避行(Vol de Nuit Evasion)」が出ましたが、もともとアトラプクールだったものを名前を付け替え、限定販売しただけで夜間飛行のDNAを継承したフランカーではないものの、名前だけは原題、日本名ともに秀逸だったと思います。
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左:リフィラブルEDT 93ml、1980年代後半 右:同、2010年代2本、1980年代後半
実は夜間飛行は過去にも何度か愛用者に勧められて使ってみたのですが、正直なところ、その良さがわかりませんでした。本当に好きになったのは、一通りゲランのクラシックを体感し、特にシャリマーの良さがわかってからでした。きっかけは2016年、体調を崩し数か月休職を余儀なくされた時期、たまたま手にした夜間飛行のパルファムが、体温で暖められた香気を吸い込むたびに五臓六腑に染み渡り、弱った心と体に良く効いた事に感動し、そこから現行品、ヴィンテージと良い出会いのあるたびに入手するうちに、気づいたら各濃度合わせて20数本のフルボトルが手元に集まっていました。夜間飛行は、そっと寄り添いながら、つかず離れず、そしてひと時たりとも所作を邪魔しない香りです。消え入り方も美しく、序破急もクラシック香水らしく、ミドルからの抑えた甘さとパウダリーなベースノートに心底くつろぎを感じます。夜間飛行は、こっくりと濃厚でありながら、幻惑的な魅力を誇示する香りではありません。表情も決して破顔一笑ではないけれど、あなたの目をまっすぐ見ながら微かにほほ笑む大人の女性が、たとえ目元は笑っていなくても、口元こそが彼女の本心-そんな引き潮の美学が夜間飛行にはあります。この一歩引いた美しさが、今の時代、ブランドが照準を合わせる購買層への売りになるヒットポイントに欠けるのですが、引き潮の美学に対し、脊髄反射する感受性が育つチャンスは今の流行にはないし、ジャーナリズムもこういった香りを正しく評価できる人が殆どいない気がします。そしてこれは、あながち日本だけの現象でもないと思います。近年のゲランが、モンゲランのような香りに舵取りさせざるを得ず、また実際ヒットしているのを見ると、一部の愛用者だけに細々と生きていければ御の字なのでしょうか。
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香水 7.5ml 1960年代ー70年代 内箱のMarly Horse印のあるものは製造期間が短く、1960年代の製造と思われる
ここまで書いて、夜間飛行のEDTが国内終売するという話を耳にしました。ゲランはこのところアプレロンデ(1906)やナエマ(1979)クラシック・アイコンが次々廃番となる中、真偽をゲランお客様窓口に確認したところ
 
「2020年12月31日廃盤予定の製品は以下となります。
 
・イディール オーデトワレ50ML
・ランスタンマジー オーデパルファン30ML→100MLに切替
・シャンゼリゼ 香水30ML
・アンソレンス オーデパルファン30ML→50MLに切替
・シャリマー 香水7.5ML
・サムサラ 香水30ML
・ランスタン・ド・ゲラン 香水30ML
夜間飛行 オーデトワレ100ML
・ラプティットロープノワール 香水7.5ML
・シャマード 香水30ML
・シャマード オーデトワレ100ML
 
今後は、夜間飛行は香水のみのお取り扱いとなります。ご愛顧いただいておりますのに恐れ入りますが、何卒ご了承いただけますようお願い申し上げます。(ゲラン株式会社お客様窓口回答、2020年8月5日)」
 
あまりの終売の多さに、一瞬「存在の耐えられない軽さ」という映画の邦題を思い出すほど残念な気持ちになりましたが、一縷の救いは、夜間飛行はEDTが終売するもののパルファムは販売継続との事で、なんでも軽いものを売りたがり、また実際売れる日本の香水業界において、一つの光明のように思えました(一方シャマードは香水・EDT共に終売で、これでシャマードは日本のゲランから消えると思うと、ゲランでは戦前なら夜間飛行、戦後ならシャマードを偏愛している身としては手放しには喜べませんでしたが)。とはいえ、日本の市場で香水だけが生き残るというのも最早不自然な話だと思うし、パルファムの終売も時間の問題だと思うので、ぜひ終売にならないうちに店頭でお試しいただければブログ冥利に尽きます。よろしくお願いいたします。
 
2020.9.20追記
先日、ゲラン帝国ホテル店に行った時に伺った話ですが、今年の大幅な国内終売は、日本だけでなく世界的に一旦終売した後、現在50mlや100mlサイズで販売している終売対象品の中で、75mlサイズのいわゆるミツコと同じデザインに統一して再販するんだそうです。よって年内で国内終売する夜間飛行EDTは、現在ビーボトル100mlで販売されていますが、75mlで戻ってくるそうです。ジッキーは現在EDTとPの取扱ですが、EDTは75mlEDPで再販になるそうです。
それは嬉しいのですが、残念な事にシャマードはEDT、P共に終売ではなく世界的に廃番となるそうで、せっかく昨年(誰もやってくれないので)LPTで50周年特集を行ったばかりなのに翌年廃番って、LPT死神かよ‼︎と涙してお店を後にしました。あの逆さハートボトルとも今年でお別れです…まあゲランの場合、数年後なんかのプレステージラインに吸収して何倍もの値段で戻ってくる事も多いので、永遠にサヨナラではないかもしれませんが。
 
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