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Cabaret LPT vol.4 | Hollywood Cosmetics

戦後昭和の国産香水、最後はパターン③カリスマ美容家系をご紹介します。
 
<カリスマ美容家系
 
ラストはハリウッド化粧品をご紹介します。
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メイ牛山 カバ系のおばちゃん、懐かしいですね。
創業者のご主人、牛山清人(きよと)氏と一回り年が若かった上、96歳まで現役だったので、創業者夫妻で大正から平成まで経営を掌握していました。
大正時代に日本で初めてパーマネントを導入、昭和2年に銀座で美容院オープンしました。ちなみに吉行あぐりが市ヶ谷に山の手美容院をオープンしたのは昭和4年です。
※ただ、昭和2年当時、まだメイ牛山は美容界に登場しておらず、専ら清人氏の経営する美容院が先進的な技術を導入していました。メイ牛山さんは、昭和7年にハリウッド美容講習所に入学後頭角を現し、昭和14年、28歳、清人氏40歳で結婚してから美容家「メイ牛山」の登場となります。
 
レディーチャタレー(1984)

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レディーチャタレー オードトワレ、粉香水
※ハリウッド化粧品の看板香水ともいえる粉香水は1956年から発売しており、
このレディチャタレーは1984年、オードトワレと合わせ粉香水 が発売されています。
シプレよりのオロナインローズ系ですね。
 
※ここで、ハリウッド化粧品の元美容部員、お名前は仮名ですが、イソガイさんのインタビューをお届けいたします。(会場では人口音声でお届けしました)

『1990年代に、ハリウッド化粧品の美容部員をしておりました、イソガイと申します。レディチャタレーについてお話させていただきます。

レディチャタレーは、1984年、多分映画で話題になった時期に発売されたんですよね。愛に生きる女性の情熱と優しさを表現しました、みたいなコンセプト文を、研修資料で見たことがあります。

実際の香りは高貴で上品なローズで、なんか名前が誤解を生んで良くないんじゃないかなぁ、と若者ながらに思っていました。

「ラベンダー色のパウダーをフカフカのパフでポンポンすると、フワッとパウダリーにローズがかおって、湿度の高い日本の気候でもさわやかに使えます」、というふうに売れ、と言われましたが、店頭で実際に売ったことはないです。

今は会長職に就いている、牛山かつとしさんという、メイ先生のご次男が若い頃グラースに修業に出たことがあるとかで、かつとしさん肝いりの商品だったと思いますが、彼が調香までしたかどうかはわかりません。

私が在籍した頃は副社長だったかつとしさんは、梨元まさるをもっと上品にしたような雰囲気のかたでしたが、六本木ヒルズの計画段階で、自分の部屋にヒルズ全体の模型をバーンと飾っていて、書類とか持っていくと「イソガイ君、これが六本木再開発の全貌だよ。素晴らしいでしょう」と良く見せてくれたものです。

その頃は、まだヒルズのヒの字もできていない頃で、心の中で「嘘つけ、そんなもん六本木にできるわけねーだろ」とか思っていましたが、辞めて何年かして本当に六本木ヒルズが完成し、ハリウッドタワーとかできた時は、心の中でかつとしさんに謝りました。時は流れ、かつとしさんが社長になった時は「やったね、かつとしさん!」と思ったものです。

美容部員としての勤務地は、1年目が上野松坂屋、2年目がダイエー碑文谷店でした。20年以上前のことなので記憶が薄れていますが、何人か印象的なお客様はいました。上野松坂屋で、一本当時2500円のフェイスパック用のクリーム(一般的なチューブ入りのヘアトリートメントくらいの容量)を、1〜2日おきという猛烈な勢いで買っていくお客さんがいて、他のものは一切買わないので、毎回の単価は2500〜5000円と控えめなのですが、とにかく週3回は買いにくるので、結果的に会員ランクは一番上、というお得意様でした。で、どう使っているのかよくよく聞いたら、毎日のように全身パックしていたそうです。なるほど、確かに肌はきれいでした。しかしさらによく聞いてみると、それ、毎回銭湯でやってたんだそうです。銭湯で薄ピンク色のクリームを全身パック…

とりあえずこんなところでしょうか。ありがとうございました。』

イソガイさん、ありがとうございました。現在イソガイさんは結婚後3人のお子様に恵まれ、練馬区内で幸せに暮らしておられます。
 
ヨシエイナバ パルファムデニュイ (1984)

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ヨシエイナバ パルファムデニュイ 香水
さてレディーチャタレー発売と同じ年、当時盛り上がっていたDCブランドブームの中でも群を抜いていたビギグループのイナバヨシエとコラボして、デザイナー香水をOEMしていました。香木の効いたわびさび系ウッディオリエンタル、今回ご紹介する香としては最も異質で、デザイナー稲葉よしえの意向が強く出ているものと思われます。
 
〈圏外大手化粧品メーカー事情〉
 今回ご紹介したメーカー以外について、概況をお伝えいたします。
 
◎カネボウ
輸入代理店としての香水販売にも注力し、キャロン、レヴィヨン、ダリなどのフランス香水を全国の化粧品店でくまなく販売するという他の化粧品メーカーにない路線だった。数多くのカネボウブランドも発売していたが、資生堂と比較してより日常使い、悪く言えば格下のイメージは否めず、ヴィンテージとして出物が少ない。倒産後花王に買収されてからは香水販売に対し消極的
 
◎コーセー
雅、ミリュウ、ボワなど代表作も多いが、流通量が少なかったのか、ヴィンテージで出物が少なく、良いコンディションのものを入手できず
 
◎アルビオン、花王
あまり香水販売に注力していなかった
 
総括                 
現在、残念ながら国産香水は減速に歯止めがかかりません。ロングセラー品の一斉終売、限定品やご当地香水みたいのは出るんですが、 長く売る定番香水の新作が殆どでない、ボディケアの延長しか残していない状態が「日本の香水はどんどんダメになる」の動かぬ証拠でしょう。むしろ、戦後昭和の女性の方が、ハレの日は舶来香水、毎日の香りは身近な国産香水と使い分け、自信をもって年相応の美しさを香らせていました。そういう意味で、使う側の意識も美魔女とか若さに固執する、成熟を否定するネオテニー的風潮と、過度の清潔志向、香水は臭いといってしまう貧困な固定観念が年々強くなって、嗅覚を退化させているものがある。そして圧倒的な海外ブランド信仰ですね。自分の国には、自分の国の人に対し誇りを持って売りつなぐ国産香水が、もう殆ど残っていないというのは、本当に、本当に寂しいです。そういう意味で、昭和の国産香水は、それが限りなく西欧の後追いであれ、よりどりみどりで楽しかった、と婆狸はぱっくり口を開けてオイオイ泣くのです。
 
しかしながら、今回ご紹介した戦後昭和の国産香水の中には、40年、50年と頑張っている現行品もあるし、きっと気づいてほしいと願っているはずです。震災の時のように母を思い出してむさぼるように国産香水を買いあさった6年前、本当に心が救われたのは、何より私たち日本人を向いて作られて、生活の中に親和していた香りだったからでしょう。今年のLPTは、ブログ本編で戦後昭和の国産香水に力を入れていきます。今回ご紹介しきれなかった香りも丁寧に取り上げていく予定ですので、よろしくお願いいたします。
 
香りのご紹介は以上でございます。今回も長い時間お聞きくださいまして、ありがとうございました。
 
 
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