ラポルト氏は、調香師の顔ともう一つ、園芸家という顔を持っていたそうで、生涯を通じてとりわけダリアの栽培に心血を注いでいたそうです。ラルチザンやMPGと併行し、並々ならぬ情熱でダリアを育て、ダリアに関してはヨーロッパ屈指の園芸家としても知られていたラポルト氏は、香りにまつわる植物園を開園したいという気持ちが高まり、1997年にMPGを離れ、ついには調香師を引退する道を選んだそうで、MPGのブランドコンセプトでもある、16-17世紀のバロック文化を色濃く喚起するダリアという花の形状が、調香師としてのクリエイションと花の栽培家、人工物と天然美の矛盾について熱く語る事もあったという彼の情熱は、香水にも植物にも同等にかけられていたからこそ、ミュールエムスクなどの歴史に残る作品を残しえたのだと思います。直弟子のラージュ氏によると、ラポルト氏はムスクとアンバーには殊の外思い入れがあったそうで、MPGの作品中、もっともラポルト氏の技が生きているのはアンブル・プレシューとフレシュール・ムスキッシムと答えています。MPGのラポルト作品といえばアンブル・プレシュー、サンタル・ノーブルが有名で発売当時のオリジナルボトルが高値で取引されたり作品としての評価も高い一方で、捨て値でデッドストックが流通しているものもあり、デッドストックの中に直弟子が傑作と押すフレシュール・ムスキッシムが、そして直弟子の最後の作品であるこのキュイール・フェティッシュが入っているのは、なんとも心に風の吹く思いがします。一方で業界との迎合を極度に嫌ったラポルト氏が生前もっとも嫌ったのは、見本市の出展とデパートへの参入で、フランス調香師会の加入も拒み、引退までの間一度も名簿に載ることはありませんでした。2013年の買収により、現オーナーがハロッズ、セルフリッジ、ニーマンマーカスなど名だたる高級デパートに積極展開を図っているのを冥府のラポルト氏はどう思っているのでしょうか。自身が興したものは、形が実る頃にはもう情熱が醒めてしまい、次への情熱へと駆られていき、そして手放す…その繰り返しで今や世界企業として成長したシスレーの歴史は1976年ドルナノ家が創業したことに書き換えられ(ちなみにラポルト氏はシスレーで調香作品を残しておらず、在職中一般発売されたオードカンパーニュはジャンクロード・エレナ調香)、大手に買収され拡大路線に乗ったラルチザン、弟子が買い取り、そして次なる資本へと渡っていったMPG。最後は植物園の園長として人生を締めくくったニッチフレグランス界のパイオニア、ジャンフランソワ・ラポルト。不器用な巨星がひとつ、墜ちた…
Cuir Fetiche(2011)
立ち上がり:ぬう。甘い…これは私のようなむくつけき髭親父がつけるものではない…
昼:かなり角が取れてきて、香りは非常に上品な甘さ、しかしこの香りが自分から出ているのに違和感ありあり。
15時位:昼と変わらず、持ちがとても良い。香りも良い。悪いのは俺だけだ。
夕方:少し爽やかな感じがこのタイミングで出てきた。もう少し前から来てくれればまだなあ。
ポラロイドに映ったのは:シモーヌ深雪
Tanu's Tip:
革手袋のジェントルマン第2日目は、前出のキュイール・カナージュと比較されて紹介されていることの多い、既に日本撤退したメゾンフレグランスブランド、メートル・パフュムール・エ・ガンティエ(MPG)のキュイール・フェティッシュをご紹介します。
その前に、MPGのブランドオーナー調香師であり、ニッチ系香水というジャンルを語る時、決して忘れてはならない先駆者、故ジャン=フランソワ・ラポルトと彼の直弟子の調香師でありMPGの共同制作者であったジャン=ポール・ミレ・ラージュについて振り返ってみたいと思います。今年はラポルト氏が立ち上げた3つ目のブランドであるメートル・パフュムール・エ・ガンティエ創業30周年に当たるのですが、現存するブランドでありながら、殆ど話題にされないまま、今年もあと2か月余りというのも寂しい話です。とはいえ、私自身、ラルチザンにもMPGにもさほど思い入れもなく今まで来ましたので、亡くなった時も特段の感慨もなかったのですが、その生涯を俯瞰して見るに「自分の情熱だけに従って生きた、不器用な巨星」という漠然とした姿が浮かび上がってきました、
1938年に生まれ、2011年に73歳で亡くなったラポルト氏の生涯とブランドのその後を、時系列で整理してみました。
1972年(34歳)
ジャン=フランソワ(JF)・ラポルト、植物系化粧品ブランド、シスレーをローラン・ド・サン-ヴァンサンと共同創業
1976年(38歳)
シスレー、起業家のユベール・ドルナノにより買収
(シスレーは現在もドルナノ一族の家族経営である)
JF・ラポルト、ラルチザン・パフューム創業
1988年(50歳)
JF・ラポルト、ラルチザンを離れ、メートル・パフュムール・エ・ガンティエ(MPG)創業、弟子のジャン=ポール・ミレ・ラージュと共同制作
(作品は各々の単独調香。ラージュ氏はMPGに出資も行う)
1997年(59歳)
ジャン=ポール・ミレ・ラージュがMPGを買収およびオーナー調香師としてブランド継承、その後も4年ほど共同制作を行う
2001年(62歳)
ブルゴーニュ地方ヨンヌ県メジーユ近郊にある所有地内に作った、香りにまつわる草木を集めた植物園、ル・ジャルダン・ドゥ・パフュムールに専念すべく調香師を引退
2011年11月7日(73歳)
ジャン=フランソワ・ラポルト逝去
2013年
ラポルト氏の友人だったファハド・アルトゥルキがMPG買収。ファハド・アルトゥルキは1989年に中東(サウジアラビアの首都リヤド)で初めてMPGを販売したメゾンフレグランス店、Arrar Perfumesのオーナーでもある
2015年1月
スペインの大手香水ライセンス会社プッチ、ラルチザン・パフューム買収
年表にもある通り、MPGの作品はラポルト氏だけの創作ではなく、最初から直弟子のジャン=ポール・ミレ・ラージュと手分けして制作しており、ラポルト氏は創業から9年でMPGを去ってしまうので、ブランド30年の歴史では、実はラージュ氏の作品のほうが多く、このキュイール・フェティッシュも、奇しくもラポルト氏逝去の年である2011年、ラージュ氏がMPGで手がけた最後の作品です。これ以降のMPGは誰が調香を手掛けているのか開示していません。ラージュ氏は2013年のブランド売却と共にご自身の調香師としてのキャリアにも幕を下ろし、現在はMila création Parfumsのディレクターとして活躍しています。
香りとしては、立ち上がりのレザー感がキュイール・カナージュのレザーよりも厚手で硬く、ボトルに設えてある赤い革のコルセットの通りなのですが、コルセットで締め上げられている超寸胴のボディから立ちのぼるのは、なんとも肉質の柔らかいもちもちとした白い肌、レザーノートが潮を引くと、体温であたためられたスキンムスクと共に立ちのぼる優しいフローラルノートで、フローラル部分はキュイール・カナージュと同じくローズ・ジャスミン・イランイラン・アイリスですが、アイリスよりローズ勝ちで、サンダルウッド・アンバー・ムスクといったオリエンタルベースの地塗りに支えられ、バニラの甘さが心地よく肌に馴染みます。立ち上がりと着地の印象がかなり違い、持続も控えめなので、同じパウダリーなフローラルレザーで全体的な品の良さと香りの展開を楽しみたい方にはキュイール・カナージュよりもキュイール・フェティッシュをおすすめします。
と、結構まじめにまとめたつもりですが、ジェントルマンのポラロイドに映ったのは、大阪のドラァグクイーン界を牽引する立役者、シモーヌ深雪。なんだかもう、ジェントルマンにセンシュアルなフローラルレザーものを頼むと、十中八九気持ちの良いものが映らないのは、革イコール倒錯の世界、みたいなヘンテコな紐づけがこれまでの人生のどこかで行われた重大なきっかけでもあったのか、今度革のコルセットでもはめて問いただしてみようと思います。