La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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Knowing (1988)

ノウイングEDP 30ml

1960年代後半の着任から1998年の引退まで30余年という長きにわたりジャン・パトゥの専属調香師を務めたジャン・ケルレオ師(83)ですが、馬車馬の如くバカスカ新作を出しまくる当世巷の専属調香師とは違い、任期中のパトゥ作品は

1000 (1972)
Eau de Patou (1976)
Patou pour Homme (1980)
Ma Liberte (1986)
Sublime (1992)
Voyageur (1994)
Patou For Ever (1998)*
Un Amour de Patou (1998)*
*= 次期専属調香師ジャン・ミシェル・デュリエ(現ロシャス専属)との共作

と以外に少なく、共作を除く純粋なレディス作品はミル、オードパトゥ、マ・リベルテ、スブリームのたった4作しかありません。当時はひとつ新作をつくるのに十分な構想期間を設け、ひとたび世に出たら大事に売りつなぎ、それがなくては生きてゆかれないファンを獲得していったのだと思います。
とはいえ、その間ケルレオ師が次作の構想を練りつつぼんやり霞を喰って生きていたかというとそうではなくて、男一代の偉業、マ・コレクシオンシリーズ(1984)の監修、パトゥが親会社だったラコステやヨージヤマモトのフレグランスも担当しています。ただ後者は、例えば1920年代、エルネスト・ボーがシャネルとブルジョワの双方で調香を担当していたのと同じ、パトゥの延長線上である一方で、変わり玉として師が米エスティローダーにて手掛けたのが、今回ご紹介するノウイングです。

ご本人が専属のパトゥからマ・リベルテが発売されたあとを追うように世に出たノウイングは、ヒットが出れば社会現象を巻き起こすが泡沫商品も数多いローダーのラインナップとしては、発売後25年を経た現在もちゃんと公式ウェブサイトで単独ページが充てられている息の長い商品で、日本やアジア圏では販売終了しましたが、欧米では定番商品となっています。ちなみに国内でも成田など主要免税店ではローダー売り場の隅っこでEDPの白い箱を見かけます。

さてこのノウイング、一番の特徴は、背中がものを言う成熟した女性の香りで、決めてはオークモス。見返り美人系大柄シプレという当時ひとつの成功したジャンルとしては後発で、ローダーとしてはマーケティングを重ね、勝機を睨んで出したと思われる、手堅い路線といえましょう。この系統の香りはディーバ(ウンガロ、1983)が口火を切り、パロマピカソ(1985)、ラニュイ(同年)、モンタナ(1986、後者2点はいずれもジャン・ギシャール作)が続き、そしてこのノウイング(1988)となります。ラニュイ以外はすべて現行販売されており、のちの24,フォーブール(1995)を同じ遺伝子を持つものとして数えることのできる香調です。ローズ、プラム、チュベローズ、ジャスミンといったそれぞれに主張の強いもの同士の甘味と酸味が渾然一体とオークモスに束ねられ、パチュリやベチバーで枯れた量感を、サンダルウッドとアンバーで自熱する体温を加え、言葉など必要のない成熟した女性の滑らかな美しい背中を演出しています。全体を通してあまりセンセーショナルな香りの展開はなく、後ろ姿があまりに素敵なので前に回り込んだら言葉を失った、ということもありません。当時同時進行していたパリ、ジョルジオ、プワゾン、ココなどの爆香系とは一線を画した80年代を代表するもうひとつの主流で、この時代にしか現れませんでした。30年前、この香りと一蓮托生したファンとともに齢を重ね、やがて消えていくのでしょう。決め手となるオークモス、ツリーモスの使用が厳しく制限されている現在の香料事情では、わざわざこの路線での新作もでないでしょう。何故なら、ノウイングのような香りが望む、背中で語り、吸込むように相手を惹き付ける女性像というのが現代には継承されていないからです。妥協のない、端正なよい香りですが、現世での役目を終えているとふと感じることもあります。

閑話休題、ノウイングはこの路線のなかでは香調が硬く「私には非の打ち所がない」と自分から先に言ってしまうような正当性の自負を感じます。ユースデューに始まりスーパーエスティ、プライベートコレクション、ホワイトリネンと続き、ミセスローダーなき後もビューティフルやプレジャーズと続く、20世紀におけるローダーの主要作品には、香りの違いこそあれどの香りにも一貫して見られるアメリカならではの「正義感の主張」とも言うべき、我こそが正しいと主張して相手に有無を言わさない、見えざる圧力がそこにあります。このアメリカ的正義感が、ローダー香水を「アメリカの良心」という範疇に押し留めている遠因のように思えます。巷の香水を問答無用に一刀両断するアメリカの香水評論家がローダーの名香を手放しで誉めるのも、愛国心に基づく正義感の共鳴なのかもしれません。

そうはいってもローダーのフレグランス製品、特にクラシック系は非常に良心的な価格で40年、50年と廃番にならず
次代に継承する姿勢は素晴らしいと思います。そのうちローダーのクラシック香水も取り上げたいですね。



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