La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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Personne (2023)

「キュプロクスよ、おぬしはわたしの名を知りたいというのだな…わたしの名は『誰もおらぬ』という。母も父も、仲間の誰もが、わたしのことを『誰もおらぬ』と呼び慣わしているのだ」
                  ―ホメロス「オデュッセイア」第9歌、353-370(松平千秋訳、岩波文庫)

三つ子の魂とギリシア神話と日本

欧米と日本の「文化の違い」を最も感じるもののひとつ、ギリシア神話。八百万の神から生まれた日出処の民である日本人には、かなり遠い世界ですが、エンタメに咀嚼された形ではお茶の間でも頻出しており、マーベル映画の超人にしたって、武器ひとつとっても大なり小なりギリシア神話が元ネタです。香水の世界においても、ギリシア神話がテーマの作品は、枚挙にいとまがなく、これまでLPTで紹介した作品だけでも、フラッサイのメタモルフォシス・キャンドル(月の女神ディアナ、冥府の女神ペルセポネー)、ピュアディスタンスのアエノータス(風の神アイオロスのオマージュ)、マルク=アントワーヌ・バロワのアンセラード(知恵の神アテネに倒されたエンケラドゥスのフランス語読み)、古くはシャネルのアンテウス(ヘラクレスに倒された英雄)…と数知れず。
ギリシャ神話ものでも、絶大な人気を誇るのが、紀元前8世紀末に誕生した、ヨーロッパ文学の源流とも言われるホメロスの古代ギリシア叙事詩、オデュッセイア。ヨーロッパの子供たちが初めて読む本のひとつとも言われ、現在でも様々な角度で掘り下げる研究が後を絶ちません。一方、日本書紀や古事記が子供の読む最初の本になっていない日本では、オデュッセイアは何をかいわんやで、私も、せいぜいこのまんがを過去に読んでいたくらいで、全く知らないのと同じでした。 

☟実際のオデュッセイアとは全然違いますが、だいたいこんな感じです。何度読んでも大好き

ペルソンヌとは

そんななか「主人公オデュッセウス(英名ユリシーズ)の漂流譚に登場する草木を読む」というプロジェクトが発足。フランス文化省モンド・ヌーヴォーの招聘により、数学者でもあるアーティスト、ローラン・デロベール監修のもと行われました。
デロベール氏は、コーネル大学ローラン・デュブレィ教授と共同でオデュッセイアの緻密な分析を行い、その結果多数の現存する草木が叙事詩の中で語られていることを発見。プロジェクトの一環として、オデュッセイアの香りを制作する事になり、香りの監修はスーレマントを含む複数のフレグランス・コレクションを包括するアート・プロジェクト、ICONOFLY(アイコノフライ)のクリエイター、オリビア・ブランズブールに白羽の矢が立ちました。オリビアさんは、古代香に精通する調香師アレクサンドル・ヘルワニが適任と調香を依頼。太古の香りを再現するなら100%天然香料で、というルール以外は自由闊達に調香師が腕をふるい「オデュッセイアの香り」という壮大な叙事香、ペルソンヌへと昇華。2022年3月よりパリを中心とした欧米各地の美術館やギャラリーでペルソンヌを軸とした様々なアートプレゼンテーションを重ね、フランスでは2023年後半より、ICONOFLYの新コレクション、Les Jardins Promis(レ ジャルダン プロミ:「約束の庭」の意)の第一弾として一般市場向けに登場しました。

ペルソンヌに使われた主な天然香料。
トップ<策略(Ruse)>ヘンプ、ローリエ、洋梨、セロリ、ローズマリー、ジュニパー
ミドル<静謐(Gentleness)>グリーンフィグ、キャロブ、ヒヤシンス、ポプラバッド、イモーテル、フェヌグリーク
ベース<希望(Hope)>大麦、小麦ふすま、昆布、オークモス、バイオレットリーフ、レバノンスギ
8つのアコード

オリビアさんとアレクサンドル氏は、香水ペルソンヌの前駆体として、まず叙事詩オデュッセイアで、主人公オデュッセウスが10年間のトロイア戦争を終え、故郷イタケに帰るまでの10年間、神々と人間の思惑に翻弄され、遂に帰郷するまでの重要なシーンを、時系列で8つのアコードに置き換え、各国のアートプレゼンテーションで完成形のペルソンヌと合わせて紹介しました。

  1. ロートパゴイ族(トロイア戦争後の帰路、最初に漂着した島の住民で、偵察に出たオデュッセウスの部下に故郷を忘れる程おいしいロートス(ナツメ)の実を食べさせる丸腰の人々):キャロブ

  2.  ポリュペモス(一つ目の巨人キュプロクス族のひとりで、ポセイドンの息子。部下を喰われたオデュッセウスが名を聞かれ、冒頭の歌の如く「誰もおらぬ(Je suis "Personne")」と名乗り、大木で眼を潰してポリュペモスから逃げるが、父ポセイドンの恨みを買い、その後の海路で悲惨な厄災に遭い部下も次々落命する。香水名の由来となった場面):紫ブドウとローリエのアコード

  3. キルケー(オデュッセウス達が流された島の仙女で、部下を豚に変え、オデュッセウスらを1年軟禁するも最後は無事に帰るための注意事項つきで解放するが、結果として更なる災難へ送り出し、無事では済まなかった):オークモス

  4. サイレン(キルケー注意事項その1、妖艶な歌で船人を狂わす魔女。部下たちに蜜蝋の耳栓をさせ、オデュッセウスだけが歌を聞くも、部下ともに辛うじて生き逃れる):昆布と蝋

  5. スキュレ(キルケー注意事項その2、未だかつて船乗りが越えた事のない魔の淵カリュブディスで人を喰らう怪物):グリーンフィグのアコード

  6. カリュプソ(キルケー最注意事項を守らなかったせいで部下が全滅した果てに流れ着いた島に住むウエットな女神。オデュッセウスを夫にしようと7年間軟禁するが、神々の審判がくだり解放する):サイプレス、バイオレットリーフ、ファーバルサム

  7. ナウシカア(カリュプソから逃れ、漂着したパイエケス人の国の王女。国王アルキノオスに繋ぎ、オデュッセウスに帰郷の道をつける):ヒヤシンスのアコード

  8. イタケ(妻ペネロペイアと息子テレマコスが待つ、オデュッセウスの故郷):マスティック、ローズマリー、ローズ

この8つのアコードを束ね、オデュッセイアを総括する香水、ペルソンヌとなりました。アコードに登場するのが、人物はロートパゴイ族とナウシカ姫(風の谷のナウシカの元ネタ)だけで、話中大活躍のアテネなど大御所の神様はゼロ、あとは仙女や怪物などの人外と場所というのが興味深いです。

ペルソンヌ EDP 50ml。セロファンレスのペーパーパッケージに、
寒冷紗のヒマティオンをまとったボトルを納めている
香水・ペルソンヌを知る

LPTは香水ブログなのでアカデミック路線はこの辺にして、しっかり実装レポートをお届けします。ペルソンヌは、オデュッセウスの人間ドラマと彼が生きた古代ギリシアの風景を現代に召喚した香りとして、ローラン・デロベールらが調査した、オデュッセイアに登場する40の草木のほとんどが香料として用いられていますが、海辺の草…ヨシだのアシだのが多く「入っているんだ」程度の認識で良いと思います。一方で、ストーリーには登場しないけれど、オデュッセイアは海にまつわる漂流譚ですので、海を象るのになくてはならないキーノートに昆布、花要素としてイモーテルが効果的に登場します。第一印象は「陽光に焼かれた磯の香り」。塩辛さを感じるセロリと昆布の旨みを、乾いて熱を帯びたイモーテルの埃っぽさと削りたての鉛筆が去来するレバノンスギが牽引するハーバルウッディシプレです。
私の肌では、立ち上がりにセロリが大爆発し、マリンノートを超越した磯の香りと鉛筆香、そこからふかした大麦、小麦ふすまのホコホコした穀物感が飛び出し、可食部多めの新機軸か?と一瞬たじろぎますが、次第にイモーテルを土台としたフィグリーフやバイオレットリーフに幽かなヒヤシンスが顔を出し、穏やかなグリーンフローラルが見え隠れしながら肌になじんでいきます。ミドル以降は磯と穀物の香りをうっすらと保ちつつ、何とも言えない温かみに包まれていくのですが、この温かみの正体はココアの代用品となるキャロブや、カラメル様の甘さをもつフェヌグリーク、バルサミックなポプラバッド、洋乳香とも呼ばれるマスティックなどのベース。バニラ、トンカビーン、ムスク、アンバーなど、香水に対し無意識に期待するあったか甘み成分は無添加で、全体的な体感は軽め&ロングラスティングです。LPTで紹介した香りの中では、フラッサイのエルデスカンソを彷彿とさせる一面もあり、穀物がアクセントの香りがお好きな方にはぜひお試しいただきたいです。
正直なところ、日本人にとって血肉になっていないオデュッセイアの筋抜きで、純粋に香水としてペルソンヌを楽しめるかというと、100%肯定はしませんが、私自身前情報なしでペルソンヌを実装し、トップのミネラル豊富な香味ハーブ感と、ふとした瞬間にはっとする美しい花々の表情、そしてミドル以降の柔らかく肌に溶け込む温かさが不思議と癖になったのと、後日レビューの為に(年末にコロナ再感染し、帰省返上で高熱の中じっくりと)オデュッセイアを読み、ああ、この香りの感じが、このヤマ場から来ているんだな…という「香ってから知る」楽しみが凄かったので、これこそLPTが常々提唱している「Unknown Pleasures(知らない香りは、未知なる悦び)」の極みだと思いました。

オデュッセイアに登場する40の草木リストと、今回読んだ日本語訳。
リストに記載されている歌番号と翻訳を照合する作業は中々楽しかった

次回、オリビア・ブランズブールの勅命でペルソンヌを手掛けた調香師、アレクサンドル・ヘルワニのインタビューを本邦初公開でお届けいたします。乞うご期待!

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