La Parfumerie Tanu

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The Undead : Houbigant 2, post war to bankrupcy

それでは、ムエットのチャプター4を出してください。12番から14番の3本です。
 
世界恐慌から戦時中にかけて発売されたのが、ムエット12番のプレゼンスと、13番のシャンテリーです。プレゼンスは戦後に復刻したもので、ボトルデザインから80年代の再発ものだと思います。これもパルファム・イデアルに近い、大人の女性らしい、シヴいウッディフローラルですね。シャンテリーも重ためのパウダリーなオリエンタルフローラルで、ウビガンの権利が転々とする中、長く売りつながれていった作品です。実際、高校生の時、池袋のソニプラで、シャンテリーのテスターを試した覚えがあり、安かったんですよ。箱にも入ってなくて、30mlで2000円くらいだったかなあ。当時の高校生の私は「甘くて重くて粉っぽい。シッカロールかよ」と思いましたが、当時の私、何もわかってない!の一言ですね。ただそれって1980年代当時、ウビガンはすでにドラッグストアコスメグレードだった、という裏返しで、貴重な記憶ではあります。シャンテリーの処方はマルセル・ビヨで、この人、ウビガンアメリカ支社長だったんですが、戦後はこの人がウビガンのフランス本社の社長に就任します。
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(左)プレゼンス(1929、レイモン・クリング作) (中央、右)シャンテリー(1941、マルセル・ビヨ作)
社長がアメリカ支社長経験者というのもあり、アメリカ市場に強かったからか、ウビガンは1969年、アメリカ向けにサブブランド、アリッサ・アシュレイを立ち上げます。あの安物ムスク、ウビガンのサブブランドだったって、知ってました?私は知りませんでした。気づいていれば、去年のLPT総力特集「1969年という年」にエントリーしてましたね!全く気づきませんでした。アリッサ・アシュレイは同年、アリッサ・アシュレイ・ムスク(写真左)を発売、これが欧米で社会現象級ヒットします。 
その後1970年代には経営悪化、ウビガン最大のヌイイ=シュル=セーヌ工場も手放す一方で、テコ入れのためにスポンサーのジャヴァルが1973年に連れてきたのが、イタリア人ミケーレ・ペリスです。はい、ぺリス、ここで登場です。この件について、ウビガンの公式サイトで何と書かれているかと言うと
幼少時から香水の世界に魅せられたミケーレ・ペリスは、早くから化粧品業界で働き始めました。1973年ミケーレはウビガン家の末裔と出会い、ウビガン社のコンサルタントとして迎えられました。」となっています。あれえ?ジャヴァル家って、ウビガン家の末裔なんだ?いつからそうなっちゃったのかなあ。
ちょっとここで日本におけるウビガンの歴史を押さえておきます。ウビガンが日本上陸したのはセザンヌ化粧品やキャンメイクで有名な化粧品卸商社、井田両国堂(1918年創業、現IDAグループ)が1978年、ウビガンの日本総代理店として国内販売を開始します。井田両国堂にとってウビガンは初の輸入事業で、その後日本でも一世風靡した、蛍光色のスタイリングジェル、デップ(1979)やミネラルウォーターのエビアン(1980)、ブルジョワ化粧品(1984)を最初に輸入したのも井田両国堂です。井田両国堂の販路と言えば、ソニープラザ。まだ今の「ドラッグストア」という業態がなかった80年代の日本を、ソニプラと井田両国堂は大いに輸入化粧品で賑やかしてくれました。だからドラッグストア香水化したシャンテリーがソニプラで売っていたわけです。ちなみに大正7年創業の井田両国堂も同族企業、現社長も井田さんです。なんだかアンデッド感がありますね。
ジャヴァル家にヘッドハントされたミケーレ・ペリスは、1981年ぺリスグループをミラノで創業し、9年後の1990年、ぺリスグループは本拠地をモナコへ移転、ミケーレの息子、ジャンルカ・ぺリスが副社長に就任します。
 

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経営悪化の止まらないウビガンは1990年、高級路線から大衆路線へリブランディング、過去作を再処方販売することになります。リブランディング前に出した最後の作品が、ムエット14番、デュク・ド・ヴェルヴァンで、これは当時廃番だったフジェール・ロワイヤルのリメイクだといわれていますが、さすがにフジェール・ロワイヤルと比べたら軽い男になっていますよね、80年代よくあるメンズの香り、以上。ですが、現在のウビガンはなぜかデュク・ド・ヴェルヴァンを廃番にせず、今お試しいただいているのも現行品です。
 
1993年、ウビガンは、ミケーレ・ぺリスをコンサルタントに行った、安物リブランディング展開もむなしく、1993年5,250万米ドル(約58億円)の負債を抱え倒産してしまいます。倒産の翌年、ウビガンはヴェルヴァンの自社工場をジバンシィに売却、その後ジバンシィがケンゾーに転売します。
 
さてここからが、没落と再生のヘルタースケルター、そして書き換えられた歴史ストーリーの始まりです。詳しくは、LPTブログで、アペルスュの記事で紹介していますが、ウビガンは倒産の翌年、ルネッサンス・コスメティック社と契約、製品12種の処方を売却、ウビガン名義で販売許可します。ルネッサンス社は、当時のベンチャー企業で、ウビガンへのリスペクトなんて別になくて、看板が欲しかっただけなので、大幅な水増し処方変更をして、ドラッグストア、ディスカウンターへ投売りします。ウビガンはルネッサンスに訴訟を起こしますが、訴訟中の1996年、ルネッサンス社の創業者が急死して、ルネッサンス社も1999年に倒産、資産を二束三文であちこちに買収されてしまいます。同じ年、ウビガンはルネッサンスの保険会社に対しても訴訟を起こし、ルネッサンスは跡形もなく消失しますが、スペインの会社でタブーやカヌーを出していたダナから派生したニュー・ダナが、ウビガンのライセンスを取得、自社製品にもウビガン名をつけ販売開始します。その後ニュー・ダナ社は、ドラッグストアやディスカウンター専売メーカー、ファイブスター社にウビガンのライセンス売却して、さらに処方が劣化します。もう、吹けば雲散霧消するほどの亡骸状態です。
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(左)ルーテス(1984、Parfums Parquet名義)だんだん経営の雲行きが怪しくなってきた時代の作品、廉価版オンブルローズとよく言われていた激しい粉物だが、オンブルローズ自体が当時処方転売でディープディスカウントの常連だったので目糞鼻糞を笑う (右)デュク・ド・ヴェルヴァン発売後、ウビガン倒産
そんな中、2000年にウビガンは、クレア・フレグランス社という会社にアペルスュとケルクフルールの製造を委託し、高級百貨店に販路限定しますが、この5年後の2005年、遂にペリス・グループがウビガンを買収します。ここでも、公式サイトでなんて書かれているか見てみましょう。
 
「ウビガン家の末裔とミケーレは固い友情で結ばれ、1981年ミケーレが初めて起業した際、ウビガンの代理店となりました。時は流れ、健康上の理由からウビガンのオーナーが経営を離れる事になり、ブランド売却を余儀なくされました。そしてぺリス家にはウビガン家の栄光を取り戻すべく、白羽の矢が立てられたのです。」
 
あれあれえ??ウビガンは、ウビガン家の末裔が、健康上の理由で手放したことになっていますね。まあ、倒産も、会社の健康状態の悪化による死亡と考えれば、乱暴に言ったら同じことかな?!個人的には、値崩れが行きつくところまで待って、底値で買ったんじゃないか?って穿った眼でぺリスグループを見たくなりますね。
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