La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

無断転載禁止

Bienaimé 1935, revived in 2021

f:id:Tanu_LPT:20220213220059p:plain

Bienaimé 1935, revived in 2021 after the long sleep

≪その後のビエナーメ≫
ケルクフルール生誕110年記念特集
 
2020年8月、Cabaret LPT vol.12 'The Undead'で総括したウビガン。18世紀から21世紀の現代にいたるまで、過去にどれだけエポックメイキングな作品があろうと、この先どんなにヒットを出そうと、ウビガンと言えばケルクフルール、ケルクフルールと言えばウビガンです。ただ、ウビガンと言えば創業者のジャン=フランソワ・ウビガンか一時社名に使われもした調香師ポール・パルケの名前ばかり語られますが、ウビガンの代名詞であるケルクフルールを作ったのは、調香師ロベール・ビエナーメ(1876-1960)です。今年はケルクフルール生誕110周年の佳き年にあたり、2022年最初の特集は、ビエナーメ1935をご紹介します。

f:id:Tanu_LPT:20200901151534j:plain

ロベール・ビエナーメ。1876年3月15日生まれ、ハン1さんと同じ誕生日。ビエナーメといえばこの写真しか
見た事がない。だいぶ爺さんに見えるので、
起業後の代表者写真だったのだろうか
ビエナーメは、84年間の長き人生で、多数の作品を手掛けたはずですが、一般的に知られているのはケルクフルール(1912)と、せいぜいエッセンスレア(1928、のちに1976年と2018年にジャン=クロード・エレナが再処方)位。もう少し調べると、ウビガンではケルクフルール以前にリラというシングルノートの作品を輩出しています。1909年に当時の専属調香師兼共同経営者だったポール・パルケにヘッドハントされたビエナーメは、7年後の1916年、パルケの死去によりウビガンの共同経営者となりますが、ヘッドハントから23年間勤めた後に独立、自身の名を冠したブランド、ビエナーメ社を1935年に立ち上げます。
ビエナーメ自身は、ウビガン在籍中の1923年から、独立後1942年までの約20年間、何度か国立調香技術協会の会長に就任するなどフランスの香粧品業界では権威ある人物でもあり、老舗香水会社の経営者というポジションを手放し、満を持しての独立だったのが伺えます。
f:id:Tanu_LPT:20220213215519j:plain
f:id:Tanu_LPT:20220213215555j:plain
f:id:Tanu_LPT:20220213215610j:plain
ビエナーメ社広告。左より1935年:La Vie en FleursとEveil、
中央1949年:Jours Heureuxとメイクアップ品、右1949年:Vermeil, Jours Heureux他5種

ただし1935年と言えば、ビエナーメ59歳、起業するにはやや遅い年齢ではありますし、社会的にはヒトラーが第1次世界大戦の落とし前、ヴェルサイユ条約を破棄してナチス再軍備を宣言し国連脱退、ユダヤ人の公民権を停止するなど、ナチスの猛勢と第2次世界大戦の産声にヨーロッパが飲み込まれ始めた時期で、これから新たに商売を興すには、商機を見誤ったとしか言いようのないタイミングで、その結果、創業時に5作、続く2年間に3作発売した後戦争が激化、戦中にかろうじて1作出した後、終戦後の1948年から1949年にかけて3作出した後、ビエナーメ在世中に業績が低迷し、1950年代に入ってからは新作もなく、1960年に84歳で亡くなった後、ビエナーメ社は操業休止します。この時代的背景と相まって、ウビガン後のビエナーメについては、探せば現在も昔の広告は見つかるものの、ケルクフルールのように突出してヒットした作品がないからか、ウビガンつながりで興味のある人や、Grace E. Hummelのような海外の手練なヴィンテージコレクター以外は殆ど話題にしてこなかったと思います。
 
ビエナーメ社が輩出した主な作品:
Eveil (1935)*
Fleurs D'Eté (1935)*
La Vie en Fleurs (1935)*
Vermeil (1935)*
Sur les Aimes (1935)
Cuir de Russie (1935)
Caravan (1936)*
Fleurs de Provence (1937)
Les Carnations (1943)
Dentelle (1948)*
Jours Heureux (1949)*
Enfin Jeuls (1949)
Chypre Imperial (不明)
*は、当時の広告が多く見つかる作品で、特に戦前の作品は戦後も継続販売されていた人気作とわかる

f:id:Tanu_LPT:20220213220138p:plain

ビエナーメ1935のラインナップ。化粧石鹸、ボディソープ、ボディクリームやバスアクセサリーも揃う。これだけ豊富なバスラインが揃っているのは、メゾンブランドとしては珍しい。まさに往年の香水ブランド復活といえる
そのビエナーメが復興する事になるとはー休眠から59年後の2019年、ビエナーメ社の権利を購入したのは、パリでコンサル会社を経営するセシリア・メルギという女性起業家で、セシリアさんは当時34歳。経歴としては、パリのリセ卒業後、商業系大学の名門であるエセック経済昇華大学院大でMBAを取得後、幾つかのコンサル会社やアパレル系企業の開発部門などを経て、2018年にコンサル会社、サルバドール・コンセイユを起業。翌2019年に休眠していたビエナーメ社の権利を買い取り、4月にはビエナーメ1935として復興させます。作品が出そろったのは、権利を買収してから2年後の2021年、戦前の代表作であるラ・ヴィ・アン・フルール(1935)、ヴェルメイユ(同)、戦後の代表作かつオリジナル最後の作品となったジュ・ゼルゥ(1949、カナ表記が難しい発音のため仮称とします)の3作で第二の人生が始まりました。再処方を手掛けたのは、若手調香チーム、メールストレムのパトリス・ルヴィヤールとマリー・シュニレで、前者はヴィオレのサイクル001やジャック・ファット世紀の復刻、リリスドファットを手掛けたLPTではお馴染みの方です。メールストレムは、ビエナーメ1935の他にもティーオ・キャバネルのディフュージョンラインやジョヴォワのオリジナルシリーズ、シルヴェール・ドラクルトなど比較的手の届きやすいブランド作品の処方を手掛けている事が多く、予算内で最大限腕を振るう事を要求される、中間価格帯製品の評価を積極的に行っているLPT的には要注目のチームです。

f:id:Tanu_LPT:20220213221456j:plain

猛烈アタックして特別に送っていただいたサンプルセット。布ポーチに収められた詰め替え可能な3mlガラスアトマイザーに入ったサンプルと、昔の広告のレプリカ、グラシン紙に印刷された取説…これだけ「夢」の詰まった
サンプルセットがあるだろうか?発送対応国であれば、サンプル代€20は本製品購入時に値引きしてもらえる。
今、何とかしてビエナーメ1935製品を日本に居ながら買う方法はないか、そればかり考えている
香りの紹介に先立ち、オーナーのセシリア・メルギさんにお話しを伺いました。
-今回は、本来なら日本へは発送していないビエナーメ1935の作品を、特別に送ってくださりありがとうございます。昨年末、あのビエナーメがウビガン退社後に立ち上げたブランドの作品が、復刻ブームも一息ついた2020年代、まさか蘇るとは思ってもいなかったので、非常に嬉しいです。まず最初に、セシリアさんにバトンを渡したロベール・ビエナーメ自身について、ブランド復興を通しわかった事があったら教えてください。
セシリア 復興前、ロベール・ビエナーメの生前をよく知っている方にお会いする事が出来たの。もうその方しか生きていらっしゃらないんだけど、ビエナーメ社は、創業した1935年から1960年に亡くなる直前まで、ビエナーメ氏が一貫して経営の先頭に立っていたそうよ。芸術的な審美眼を持ち、調香技術協会の会長も務め、世界からフランス調香技術を生涯かけて守り抜いた方だ、と言っていたわ。人間的にもとても素敵な、お優しい方だったんですって。
ーそこまでの気概で生涯を送りながら、セシリアさんが復興させるまで「ケルクフルールを作った人」としか語られてこなかったわけで、よくぞ復興してくださいました。またお人柄について「優しい」という表現は、今回復興されたビエナーメ1935作品すべてに通じる共通項だと思います。さて、調香は何故メールストレムに依頼したのですか?
セシリア 調香を依頼する前、メールストレムのパトリスとマリーに会った時、彼らのクラシック香水に対する憧憬の深さと、香水の歴史について真摯な敬意を持っているのがわかって、私は本当に関心したの。それと、タッグを組む相手が、大手香水会社の厳しいしきたりみたいなものに汚されていない若手というのも良いわよね、だから彼らを採用したのよ。
-なるほど、大手の手垢に汚されていない若手で、かつクラシック香水への理解も半端ない相手がメールストレムだったと。確かに彼らのうちパトリス氏は、コンペに優勝し、リリスドファットとしてかのイリスグリを再生させた調香師ですしね。いい選択だったと思います。では、セシリアさんがビエナーメ社の権利を買った時、過去作の処方とか会社に関する紙資料なども一緒に手に入れたんですか?
セシリア ビエナーメ社の権利を購入した際、確かに処方もあったけれど処方自体の権利取得まではしなかった。また知人を通じてビエナーメ氏の処方記録を見せてもらう事が出来たけれど、昔の処方その通りには復元しなかった。あくまでインスピレーションのための参考にしただけよ。少しだけアイデアを現代にフィットするよう調整はしたけれど、歴史的価値は充分備えている作品に仕上がったわ。
-オーナーが記録を見て、頭に入れて、調香師に伝えて再現(笑)これまで①処方があって、現代の香料で極限まで再現(グロスミスなど)②処方はないが、ヴィンテージ品の残り香を再構築(ヴィオレなど)③処方はあるが、今風にアジャスト(ルガリオンなど)というのは良く聞きましたが、香水業界出身ではないオーナーが処方記録を土台にイメージを伝えて依頼、というのは初めて聞きました。ただ、ビエナーメ1935のサンプル3種を丁寧に実装させていただきましたが、いずれも確かにクラシックではありますが、時代の枠組みを超えて、ただただ「懐かしい」、優しさに溢れる美しい香りで、実際の処方を具体的に調香師に提示することなく、彼らはどうやってこの3作を仕上げる事が出来たのでしょうか?
セシリア 確かに処方はなかったけれど、ビエナーメ作品は私たちの情熱で蘇ったと言っていいわ。例えばヴェルメイユは、おばあちゃんの化粧台の残り香を再現したかったの。
-…おばあちゃんの、化粧台!来たあああ!!!
セシリア そう、私のおばあちゃんのバスルームにある化粧台はすごくパウダリーな香りがして、口紅の香りも凄く覚えているわ。ヴェルメイユには、私の想い出がいっぱい詰まっているの。ヴェルメイユを初めて試したお客様から「おばあちゃんの化粧台を思い出してすごく感動した」って感想を、何度も聞いたのよ!どこのおばあちゃんも同じなのか、面白いなあ、って思った。情熱と想い出で香りを作ると、こんなにも沢山の人とイメージを共有できるんだって感動したわ。
-日本では「おばあちゃんの化粧台」は、若い方が香水を表現するネガティヴワードの最たるもので、100%悪い意味しかないのですが、クラシック香水厳正サイトを標榜するLPTとしては、常にパワーワード、ポジティヴ表現の筆頭単語なため、てらいなく「おばあちゃんの化粧台の香りを作った」と言ってもらえて、感激です!!今こそ言いたい、香水が、香水臭くてなぜ悪い。おばあちゃんの化粧台の何が悪い!フランスの若者は、おばあちゃんにサムズアップで追いついたわけですね。本日は、ありがとうございました。
 
次回、復興3作品を一挙紹介します。おばあちゃんの化粧台も徹底解説。お楽しみに!
 
取材協力:セシリア・メルギ(ビエナーメ1935)、インタビュー:2022年1月18日
 
ビエナーメ1935公式サイト(日本発送未対応) 


contact to LPT