La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

無断転載禁止

Florentina (2016) : Need to dress (your heart and soul)

f:id:Tanu_LPT:20200625184628j:image
心の包帯系粉物香水 前編
 
LPTがブログ開設時より一貫して注目しているジャンル、粉物系。その定義は非常に幅広く、戦前・戦後のフローラルアルデヒド系からニベア/オロナイン系、イタリアンタルコ、化粧台のエレベーター(リップスティック系)、エッチな粉物(パウダリーレザー系)に至るまで、これまで多角的にご紹介してまいりましたが、親を送る年になってようやく開眼した新たな定義があります。現代人が成長する過程において、まず最初に記憶へ刻まれるであろう、食物以外の香り-乱暴にいえば、シッカロールや赤ちゃんのお尻拭きのような、誰かにつけてもらった絶対的安心感のある香り、その香りに包まれて意識を失い、新しい一日を迎えた香り-
 
常々私は、香水は肌着であるとお伝えしてまいりましたが、昨年の初め頃、その最たる香りに出会った感があります。肌着と言うよりはむしろ、心の包帯に近いかもしれません。何年もはき古した下着のように馴染む、肌が敏感になって何も使えない時のクリームとか、おなかはすくが具合が悪くて食べ物が喉を通らない時の、スープでじっくり炊いたお粥のような「香りのお粥」と言ってもよいでしょう。決して弱い香りという意味で言っているのではありません。
 
昨年の前半は、自分の器を越えてしまう出来事が同時多発しました。大小数えればきりがないですが、ひとつは現在のLPT directの前身、LPT e-storeの業務量超過とその清算。もうひとつは日本未上陸ブランドの来日プロモーションイベント2拠点主催。いずれも好きで乗りかかった舟とはいえ、どちらも自分にとって完全キャパオーバーだったため、会社勤務の傍ら遂行していくには、切れ目のない緊張が伴いました。そんな中手にしたシルヴェーヌ・ドラクルトのフロレンティーナは、いわば「ライナスの毛布」と呼ばれる安心毛布のような存在で、あまりの緊張にこれしかつけられない時期が続き、昨年2月から3月にかけてストック込みで立続けに同じものを3本も買ってしまいました。落ち着けば、物足りなくなるのはわかっていましたが、ベッドの中の自分を親が上から覗き込み、灯りを消してくれるような安心感に心底感謝しました。
 
ランスタン・マジー、アンソレンス、ゲランオムなどゲランの2000年代レギュラー作品やクルーエル・ガーデニア、グルマン・コキャンなどプレステージラインを手掛けたり、数度の来日コンサルテーションで日本でもその名が知れるようになった調香師、シルヴェーヌ・ドラクルトが、1987年から長きにわたり香水開発やエヴェリュエーターとして活躍後、2016年に独立し(ゲランから完全に離れたわけではなく、現在も同社コンサルタントとして勤務)ペット用品のサブスクリプションサービス、Animalboxを経営していた異業種出身の若手ベンチャー企業家、ピエール=アンリ・コーストノーブルとの共同経営で創業したブランド、シルヴェーヌ・ドラクルトは、ムスクやバニラなど誰もが知っている香料を主軸に、5つの表情を加え個性化したシリーズを展開しています。現在3シリーズ各5展開、計15作を輩出していますが、シルヴェーヌさんはディレクションが中心で、彼女が単独で手がけた作品はなく、ゲラン時代にタッグを組んだランダ・ハマニやモーリス・ルセルと2作共同調香したのみで、残りは主に若手女性調香師、イレーヌ・ファルマチーディ(テクニコフロー所属)が手がけています(ちなみに昨年登場したフルールドランジェシリーズでは、CYCLE001で紹介したパトリス・ルヴィヤールが1作担当しています)。メゾンフレグランスとしては至って良心的な価格帯と日本人が手に取りやすいサイズ展開が特徴で、世界対応の公式サイトでは7.5mlのトラベルサイズが€20、30ml・100mlのフルボトル(それぞれ€65、€135)、そして各コレクションがセットになったディスカバリーボックス(各2mlx5種、€10)は後日フルボトル購入時値引、しかも全品送料無料で日本へも発送してくれるので、ディレクターのネームバリューも手伝ってお試し購入された方も多いと思います。

f:id:Tanu_LPT:20200625125533j:plain

フロレンティーナ EDP 100ml
シルヴェール・ドラクルト初出シリーズ、コレクシオン・ムスクに属すフロレンティーナ(イレーヌ・ファルマチーディ調香)は、イタリア・フィレンツェ特産のアイリスが、主役のムスクにマッチングされた香りで、サブタイトルが堂々「パウダリームスク」。元々シルヴェーヌさんが手がけたランスタン・マジーが好きな私はその8文字に脊髄反射、いきなりフルボトルをブラインドバイし、最初は取り立てて特徴がなく、あまり面白みのないパウダリームスクに感じましたが、それは序章に過ぎませんでした。この、良い意味でどこにもしまりのない、甘く粉まみれのパウダリー感には硬さが一切なく、粉物の中でも最も軟質に仕上がるヘリオトロープ・アーモンド・バニラムスクがむしろアイリスを凌駕しており、最初から緩急なくふわふわ、ふわふわと一日中同じトーンでしっかり香るので、まさに心の包帯となって時に行き過ぎた緊張をほぐし、時に余計な思考を静止してくれました。この良質な思考停止感は、星の数ほどあるアイリスがメインのパウダリー系の中でも突出して優しく、母性に溢れる香りなので、男性にはちょっと実装しづらいかもしれませんが、パウダリーな香りでくつろぎを感じる方は、出先でつけなくても1本持っていると、おやすみ前の安眠香に重宝すると思います。

f:id:Tanu_LPT:20200625125604j:plain

パッケージは再利用可能なスチール缶に紙の帯が巻かれ、内側には各コレクション毎のミューズが描かれたカードがしつらえてある
シルヴェール・ドラクルトの作品は、よく言えばシリーズの統一感があり、悪く言えば若干似たり寄ったりの雰囲気(ベースが同じでマッチングを変えている、または同じデザインの肌着の色違いみたいな風情)なので、最初はサンプルセットを入手して、一番好みのマッチングが施されている作品を選ぶのがおすすめです。私は後追いでサンプルセットを試しましたが、幸運にもブラインド買いしたフロレンティーナが一番しっくり来ました。その後同じコレクシオン・ムスクのドバナ(アンヌ=ルイーズ・ゴーティエ調香)、コレクシオン・バニーユのヴァンゲリス(シルヴェール・ドラクルト、イレーヌ・ファルマチーディ共同調香)もボトル入手しましたが、ドバナとフロレンティーナはムスクシリーズの中でも年子の姉妹のように雰囲気が似ていて、ドバナの方が多少フロレンティーナよりマットオペークで(透過光が通りづらいとでもいうか)酸味が控えめなフローラルムスクです。この二つとシリーズ違いであるバニラシリーズのヴァンゲリスは少しだけオリエンタルなスパイシーバニラで、バニラを主軸に謳っていますがメインに主張するのはスキンムスク。明らかに前出の年子姉妹と血が濃くつながった従兄弟のようです。スパイスも下着のワンポイントにペーズリーが入っている程度なので、香調にあるオリエンタル感や溢れるバニラ感は期待しない方がよいでしょう。

f:id:Tanu_LPT:20200625125557j:plain

ちなみに、5月の終り頃に来たシルヴェーヌ・ドラクルトのニュースレターでは、今般のコロナ危機で先の見えない日々を過ごす中、シルヴェーヌさんご自身が、もっぱらフロレンティーナとドバナばかりつけていた、とコメントしていて、ディレクター本人が拠り所にしていた事に驚きと喜びを覚えました。こういった、悪く言えば毒にも薬にもならないような日常の香りの延長みたいな作風は、一部の評論家筋で酷評されているのを散見しますが、毎日超新星を見つけ、珍獣を発見するのが香水の愉しみ、みたいになってしまうのは、味覚障害に近いものを感じる時もあり、少々残念です。
contact to LPT