心の包帯系粉物香水 後編
乳幼児の肌に香水は有害ではないのか?という議論は欧米でも見かける話で、親によっては「どんな刺激物が入っているかわからないから、自分の子供に子供用香水なんて絶対使わない」「いやいや、お尻拭きから洗剤、ベビー用化粧品だって何でも香料たっぷり入っているじゃないか」「清潔第一、以上!」みたいな堂々巡りの会話を散見する、子供用香水。正確にはトドラー(2才以上の乳幼児)向け香水を意味し、オーサントゥール(ノンアルコール)製で赤ちゃんから使えるものもありますが、多くは一般の香水と同じくアルコールを使用したオーデコロン~オードトワレで2-3歳から使用可能、と下限年齢が明示されている事もあります。
日本では、バブル期に登場したジバンシィと子供服ブランド、タルティーヌエショコラのコラボレーション、プチサンボン(1988)が成人女性の間で爆発的にヒットし、続いて発売されたプチゲラン(1994)と共に人気を博しました。奇しくもこの2つの乳幼児用香水が発売された年は、ジバンシィがLVMHコスメティックスの1ブランドとして、ゲランが自社系列会社としてLVMHに買収された年にあたり、購買層を拡大したいコングロマリットの舵取りに狂いはなかったと思いますが、発売当時の売上先は殆ど日本だと聞いており、フランス側が「日本はそんなに赤ちゃんが沢山生まれているのか」と謎の出生率に首を傾げ、蓋を開けてみれば使っているのは殆ど成人女性、この国の大人の女性はこんなオムツの延長みたいな香りでオフィスやデートに出かけるのか、と大いに失望したという都市伝説もある位なので、この辺りから日本人のネオテニー(幼形成熟)は顕在化してきたのかもしれません。
そんな日本の特殊事情は脇に置くとして、そもそも香料の強いベビー化粧品を常用している欧米のママンが、子供向け香水を使うのは何故か、と考えたら、勿論子供のためのファーストフレグランスには違いないですが、個人的にはママン本人のためではないかと思います。私は子供がいないので確証はないですが、子供から漂う香りが、家事、育児、ひいては働く母親ならさらに仕事と、疲労と充足感のせめぎあいで無数についた心のすり傷を癒し、安心感に溢れる香りに包まれる子供を見て、親にとっても幸せな記憶として刻まれていく、そういうものではないかと想像します。
ベビーフレグランスが大流行していた90年代、イキった盛りだった私は、LVMHの担当者と同じく「大人の女が子供用香水なんか使えるか」と傍で小ばかにしていたのですが、それから30余年経った2020年のある日「タヌさんは、絶対自分じゃ選ばないだろうから」とLPT読者よりサンプルをいただいたブルガリのプチママンと、ニコライで気づいたらあった定番の子供用香水、プティ・アンジュが、まさしく心の包帯と言える香りだったので、備忘録として綴りたいと思います。
Petits et Mamans (1997) by Bvlgari
①ブルガリの②子供用香水、ときて、まず確実に接点のなかったプチママン。発売はブーム後発の1997年で、80年代後半の爆香系香水の反動で登場したシアーな香りに流行が移っていく端境期に、オーパフメ・テヴェール(1992)でデビューしたブルガリから、デビュー5年目、5番目の香りとして発売されました。当時はレディス2種(うち1種はオーフレーシュ)、メンズ・ユニセックス系各1種というミニマムなラインナップに子供用を突っ込んでくるとは、パパ、ママ、僕も私もみんなブルガリ家族を目指したのか(それはそれで少々お寒い気がするが)、プチママンの次に出たのが名香と言われるブルガリ・ブラックなので、結構なコントラストです。プチママンは同じ香りのオードトワレ(対象年齢:3歳以上)とオーサンアルコール(アルコールフリー)があり、オーサンアルコールは廃番のようでボトル入手したのは現行品のEDT(日本終売)です。調香は、LPTではメゾン・ヴィオレでお馴染みの重鎮ナタリー・ローソンで、ウィッシュ(1999、ショパール)、シシリー(オリジナル版:2003、D&G)で一躍世界的に名をあげ、アンクルノワール(2006、ラリック)でチェックメイトをかける前の作品ですが、彼女が手がけたもので廃番にならず現行品で残っている最も古い作品のひとつです(同年発売のバーバリー・ウィークエンド・ウィメンも現行品)。
さすがは粉物女王の才覚が光る、カモミールとアイリスをキメ細かなタルカムパウダーに香り付けし、白桃とバニラで甘さを足した、硬さの一切ないナチュラルなパウダリーフローラルです。カモミールティの少しリンゴっぽいフレーバーにピーチを合わせた、とても飲みやすいおやすみ用ハーブティのようにすんなり肌に馴染みます。子供用フレグランスにしては香り持ちがよく、夜寝る前にたっぷり両腕にスプレーし、朝起きてまだほんのり肌の上がキラキラと粉光りしているかのように香り「ああよく寝た…ああ、いい香り」と起きるのが楽しみになります。さすがにオンタイム、気を引き締めていこう!という時の応援には向きませんが、子供用と言うほど「バブバブしていない」ので、緊張を伴う時間が多い方には、手綱の緩め役としてあえてワークタイムに使ってもちぐはぐにはなりません。圧倒的なパウダリー感が肌のべたつきを精神的に抑えてくれるので、サマーフレグランスとしてもオススメです。日本では終売しましたが、並行輸入品やテスターボトルがECモールで100ml4,000円前後と大変アフォーダブルに入手できますので、ナタリー・ローソンファンには見逃せない逸品です。
Petit Ange by Parfums de Nicolaï
メゾンフレグランスが、21世紀に雨後のタケノコの如く発生するだいぶ前、それこそプワゾンやココ、ジョルジオが世の中を席巻していた1989年に創業したニコライ。パリを中心に小さなショップを構えながら30年以上、良心的な価格帯と(近年は時流に乗って高いライン、すごく高いラインが出てきてしまいましたが)豊富なラインナップ、そしてフランスの古き良きライフスタイルを感じさせるオーデコロンやホームフレグランスが充実しており、国内未発売の作品も沢山あるので、公式サイトや海外香水店の商品リストを見ると「なんかヨーロッパだなあ」という、どこまで行ってもいい意味で自分のDNAとは交じり合わない、西欧への憧れみたいなものが胸にふんわり涌いてくるブランドです。ニコライの作風は、良く言えば正統派の職人芸、悪く言えばちょっと野暮ったい。きちんとパターンから起こして、丁寧に縫製した良い生地のワンピースが、スッキリ現代的と言うよりはなんとなく昔のお嬢様、旦那様風で、そのまま初代ブランド調香師、パトリシア・ド・ニコライ(写真下右)と2代目当主、アクセル・ド・ニコライ親子(写真下左)を投影しています。
そのニコライがいつから売っているかわからない子供用香水、プティ・アンジュ(EDC、対象年齢2歳以上)は、メインノートがパープルライラック。子供用香水としてはかなりフローラル要素が強く、ライラックにふんわりバニラとジャスミンで甘さと柔らかさを、イランイランとサンダルウッドで少しだけ厚みを出しています。このライラックがかなり効いていて、北海道ご出身の方には春の香りとして懐かしさすら感じるのではないでしょうか。
ヨーロッパでもライラックは春の盛りの花なので、この甘くパウダリーな香りで子供の頃を思い出して心が鎮まる事もあるのかも…子供用にしては随分女性らしい…あれ?どっかで嗅いだことがある、この優しい、優しい香り…うちにある…数年前、どハマりしたあの香り…そう、ちょっと遠くにピュアディスタンスのオパルドゥがいる感じ。プティ・アンジュがそのまますんなり成長したら、オパルドゥになるような気がします。言うなれば「プチ・オパルドゥ」。オーデコロン濃度なので、前出のプチママンよりだいぶ消え入りが早く、同じように寝る前たっぷりつけても、朝にはきれいにいなくなっています。プティアンジュは2歳以上のお子様用ですが、こちらもそれほどバブバブしていないので、朝緊張する出勤時の包帯用に全身まとっても、昼休み前には殆どいなくなっているので、午後は違う香りをタッチアップして気持ちを切り替えるのもいいですね。100ml45ユーロと良心的な価格はニコライのルームフレグランスと同じ価格帯で、例えばパルファム濃度のオパルドゥだと夏場はちょっと重く感じるけれど、あのライラックの花束に顔をうずめるような心地よさが好き、という方のサマーフレグランスにおすすめです。