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Encelade (2022)

2022年5月19日、パリのメンズ専門クチュリエ、マルク=アントワーヌ・バロワの第三作目にあたる香り、アンセラードが本年5月19日に世界発売となりました。
3年に1作という、昨今の香水ブランドとしては非常に穏やかなペースで新作を発表しているマルク=アントワーヌ・バロワですが、バロワ氏自身および調香師カンタン・ビシュにとって、前作ガニメデ(2019)から本作までの3年間は、ミネラルノートを主軸にした「ガニメデ系」というジャンルすら確立した斬新な香調と商業的成功により、処女作B683(2016)からガニメデまでの3年間とは比べ物にならないプレッシャーと共にあったと思います。この3年でマルク=アントワーヌ・バロワは一般大衆紙やル・モンドなどの新聞などでも取り上げられるスターの階段を着々とのぼり、昨年7月にはパリのパレ・ロワイヤル地区の歴史的アーケード、ギャラリー・ヴェロ-ドダに香水専門ブティックをオープン、2022年5月現在で世界45か国(欧州30か国、その他15か国)、200拠点を超える取扱店を抱えるまでに成長。カンタン・ビシュは30代、調香師デビューわずか8年でジボダンのシニアパフューマーの座につき、メインストリーム系ブランド作品も多数手がけ、ここ日本でもかなり最前線で名前を聞くようになりました。

左)カンタン・ビシュ 右)マルク=アントワーヌ・バロワ 二人とも今年39歳。画:ハン1
2017年秋のLPT初登場時はまだ「フランスのクチュリエが始めた、全く知らないブランド」だったマルク=アントワーヌ・バロワも、今や世界45か国で販売されるようになった。
確実に言えるのは、彼は非常に強い「星」を持っている事。その星に導かれてか、
彼がカンタンと手掛ける香水には、すべて星が由来の名前がついている
ガニメデの世界的ヒットにより、毎年ドジョウを作ることもできただろうし、B683のようにエキストレや、オーレジェール版を作ることだってできたはずですが、あえて3番目の新たな「星」を探すことにしたーそれがアンセラードです。まずはなぜこの名が選ばれたか-星、星の発見者、ギリシャ神話を知っていただきたいと思います。

アンセラード EDP 100ml 写真:ロベルト・グレコ
アンセラード(以降、惑星および神話についてはエンケラドゥスと表記)は、1789年にイギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)が発見した土星の第二衛星で、表面は氷で覆われている冷たい星ですが、奥には熱源を持ち、塩化物が多く含む水蒸気を噴出する間欠泉があるため、氷の下には高確率で海があり、生命の誕生に必要な①熱源②有機物③水が揃っている事から地球外生命の可能性が高く、いずれは火山が噴火し、緑豊かなジャングルに覆われる未来も夢ではないと言われている衛星です。1789年といえばフランス革命が勃発、鎖国中の日本は寛政元年、伊能忠敬や杉田玄白が活躍した時代です。
左)エンケラドゥスの発見者、W・ハーシェル 中央)土星第二衛星エンケラドゥス
右)エンケラドゥス噴水(ベルサイユ)。溶岩まみれで怒りの火砕流を吐くおっかねえ噴水
発見したハーシェルは、もともとハノーファー(ドイツ)近衛連隊の楽団に父や兄と入団していたオーボエ奏者でしたが、勅命で同盟国イギリスへ転勤を命ぜられ、音楽家としてしっかり活動しながら天文学へも興味を抱き、ついには音楽からは完全に足を洗い、自作天体望遠鏡で数多くの重要な星を発見した異業種出身の天文学者です。1781年に天王星を発見した事からビッグバン、天体望遠鏡もスーパーヒットし大儲け。多くの後続天文学者を生み出し、晩年仲間と共同で設立した学会が、イギリスに骨を埋めた後、1830年に王立天文学会となり現存しています。音楽家時代にドイツからやってきた妹のカロライン・ハーシェル(1750-1848)も兄の影響で天文学に没入、女性初の王室お抱え天文学者になり、兄の研究を支えながら自分も彗星を多数発見、97歳まで活躍しました。裕福な未亡人と超晩婚したハーシェルが54歳の時に生まれた一人息子ジョン・ハーシェル(1792-1871)も父と同じく天文学者となりましたが、ダゲレオタイプやカロタイプなど、19世紀までに色々な撮影法が出揃った写真技術に対し「写真(Photography)、ネガ、ポジ」という名称を提案し、青写真を発明したことでも知られます。
衛星につけられたエンケラドゥスという名は、父の死後1847年、息子のジョンが命名・発表したもので、ギリシャ神話に登場する巨人族のひとり、エンケラドゥスに由来します。大地の女神ガイアと空の神ウラヌス(同じくハーシェルが発見した天王星の名でもある)の子として生まれたエンケラドゥスは、オリンポスの神と人が宇宙の支配権をめぐり争う大戦、ギガントマキア(巨人戦争)で、知と戦いの女神、アテナにシチリア島を投げつけられ圧殺されるも、シチリアの海に沈みながら痛みと憤怒が収まらず、世界最大の活火山・エトナ火山の下から今も焔と噴煙を吐き続けている激烈な巨人です。
 

アンセラードを初めて肌に乗せた瞬間感じたのが「熱源反応」。ドライなベチバーに重なる、ルバーブのきりりとした青々とした酸味…この熱源反応は、前作ガニメデにも感じたコントラストですが、カンタン作らしい、冷たく硬質で甘みのない立ち上がりの中に、相反する「熱い甘さ」がしっとりと潜んでいるのがわかります。ルバーブについては、香りの記憶が乏しかったので、期間中3回、産直農家より国産のルバーブを取り寄せ、包丁でカットした時に広がる青臭さから、砂糖をまぶし鍋でルバーブジャムを作るまで、脳内に香りの経過をセットして実装しましたので、アンセラードにはいかにルバーブが効果的に用いられているか、ぞんぶんに体感しました。

キャンドルを含むマルク=アントワーヌ・バロワ作品には、必ずレザーノートが含まれますが、アンセラードも’バロワトーン’ともいうべきスモーキーなレザー感が溢れ、肌の傍ではまるでしゅうしゅうと微かに音が聞こえてくるような、シダーウッドの軋みを感じながら、やがてベースの柔らかいサンダルウッドとトンカビーンが、じわじわと心地よい甘さとなって現れます。香調のベースノートにトンカビーンがあると、たいがいバニラやムスク、アンバーなど樹脂系の重さのある香料がそばで底支えしているものですが、アンセラードには、トップノートにシトラス香料を置かず、メインに花香料も重ねず、ベースの甘み成分はトンカビーン一本勝負。この、花散らしの雨が荒れ狂った後に通りすがる桜の樹のようなほのかな甘さを、前面のベチバーが主軸のグリーンウッディレザーから感じ取った瞬間、今まで「ただの甘みましまし応援団」位にしか自分の中で位置していなかったトンカビーンへの偏見が、カンタンの技で見事に瓦解しました。ラストは、ベチバー・ルバーブ・シダーウッド・サンダルウッド・トンカビーンのオールスターが混然一体と、最後まで香りの骨格がだれずに、美しく落ち着きます。

アンセラード EDP 30ml 写真:LPT
以上は3月末から5月中旬にかけて、散発的に実装した感想ですが、アンセラードにはハイファットな要素や重さが全くなく、酸味のきいたフルーティグリーンのルバーブが活きて、夏場も暑苦しくならないと思いますし、メンズ寄りの中庸ユニセックス系ですが、ウッディレザーのお好きな女性なら気負わず楽しめるでしょう。B683がマルク=アントワーヌ・バロワご本人を香りにしたような、笑顔の温かい包容力のある男性のイメージ、ガニメデが華奢な容姿の性別不詳な生物なら、アンセラードは男、または女であるのは確かで、しかも裸。素手で触れると体毛や胸の膨らみを感じ、肩や背中は冷たいのに、足の付け根や脇の下が、熱い…確かな生命反応を感じる、それがアンセラードです。
激しいコンセプトながら、個人的には一番自分がつけてしっくりと優しく香るのがこの作品で、周囲の方からも、特にラストノートの柔らかい甘さが非常に好評でした。もしB683・ガニメデ・アンセラード、3作を予備知識なしに1本選べと言われたら、甲乙つけがたいけれど、自分でつけるならアンセラードを選ぶだろう、と思います。

このヴィジュアルだけでも「繁茂するジャングルと溢れる溶岩を秘めた氷の香り」のイメージが香ってくる
 
【LPTよりお知らせです】
今回ご紹介したアンセラードを含むマルク=アントワーヌ・バロワ製品は、ブランドの提携によりLPT読者向け会員制コミュニティストア、agent LPTでご購入いただけます。

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