La Parfumerie Tanu

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- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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Abîme (1930/2022)

 

アビムは深みの香り
その構造は緩やかに ひとつの感覚へと霞みゆく
沸き立つような、沁みいるような

アビムは境界線の喪失
奈落の底への転換点
解き放たれてゆく甘露な感覚

この高鳴るめまい、この幻惑のささやきよ
 
1827年の創業から20世紀半ばに隠滅し、創業190周年にあたる2017年秋に復興したリバイバルブランド、ヴィオレ。復興からちょうど5年にあたる2022年10月5日、過去のアーカイヴを現代的に再構築したエリタージュ・コレクションの第7作として、アビムが世界発売されます。

オリジナルのアビム。画像情報はこれしかない。1930年といえば、前年に世界恐慌が勃発し、世界の潮目が変わった頃。当時のヴィオレは、どんな思いを込めて「奈落」などという恐ろしい名前を香水につけたのだろうか。 デザインに、微妙なシノワズリも感じる
これまでの復刻6作は、昔の処方こそありませんでしたが、ヴィンテージボトルや発売当時の広告が多数残っていて、そこから21世紀の現代に長く愛される形に生まれ変わりました。しかしアビムは、1930年発売という不確かな情報と、たった1枚の写真しか残っておらず、ヴィオレチームはこの「アビム(Abîme)」という男性名詞、ここに一点集中して蘇らせることにした、ヴィオレ復刻作史上最も「原型がわからない」香りです。もはや復刻とは言えないかもしれないですが、彼らがアビムという言葉の響きや意味から辿り着いたのは「吸い込まれるような深みの香り」でした。今回も、ヴィオレがエリタージュラインでタッグを組む巨匠、ナタリー・ローソンが手掛けています。ローンチパッケージを試香させていただいた第一印象を、ヴィオレのアントニー・トゥールモンドさんにお伝えしたところ、こんなコメントをいただきました。

アビム パルファム 75ml 国内発売未定(10/3現在)
※パッケージのブランドロゴ表示のため、帯を少し上にずらして撮影しています
-アビム(Abîme)は、英語ではアビス(Abyss)、日本語では深淵とか奈落を意味しますが、アビムという語感から、私は真っ先に「奈落(NARAKU)」を思い浮かべました。私たち日本人がこの「奈落」という言葉から想起するのは、底なしの真っ暗闇ですが、アビムの香りはすごく心が落ち着くというか、とても静やかで心地よく、言葉の恐ろしさとは相反する穏やかさを感じました。
 
アントニー・トゥールモンド(ヴィオレ)「僕もそう思うよ、僕にとってアビムは、無から心の平和へつながるゲートウェイみたいに感じるんだ。瞑想の境地とでもいうのかな。だから僕らは、様々な文化圏で魂を導くための聖なる素材として用いられてきた、フランキンセンスとパロサントを使いたかったんだ。僕もすごく心穏やかな気分になるよ。NARAKU...いい響きだね」
 
-無の境地。無という平和。アビムのムは「無」のムだったのか…なかなか奥が深いですね。
 
アビムを初めて香った瞬間、おなかのあたりにふっと太い木が当たったような感覚と共に目に浮かんだのが、信州の奇祭、御柱。樹齢200年の巨木を16本、山中から切り出して御柱とし、祭のハイライトである、氏子を乗せて坂から落とす「木落とし」では、毎回死者を出す程の恐ろしい神事ですが、香りとしては、様々な生木が、混然一体とした「神木」というひとつの氏子衆のごとくに香る、花香料ゼロ、極微糖の鉛筆系スパイシーウッディです。立ち上がりの、鉛筆を削ったようにドライなヴァージニア・シダーウッドにレザーを感じるスモーキーなチャイニーズ・シダーウッドの合わせ技と、ビリビリと鼻腔を刺激する麻辣級のチリペッパーにブラックペッパーがはじけ、結構刺激的でありながら、たちのぼる香気に肺が洗われていくようで、するすると気持ちが穏やかになっていくのが不思議です。エレミの少しだけレモンを感じる爽やかさを感じながら、ビリビリ感が鼻から抜けると、クリーミィなパロサントとサンダルウッドのまろやかさにフランキンセンスがくゆり、ベースのラブダナムがつなぎとなって、ひとつのおおいなる神木に包まれていきます。ラストは、肌の上でしっとりとしたココナッツのようなほんのり甘くとろみのある「パロサンタル」が静かにフェイドアウト。パルファム濃度としてはかなり持続が短いですが、消え入り方が美しく、つけて半日もしないうちに、何事もなかったかのように肌の上で「無」になるので、香水は、ラストが長々とダレて崩れていつまでも持続するより、潔く消えるほうが好印象という方には、逆に使いやすいと思います。

いつもの清楚なエリタージュラインのボトルなのに、背景紙を変えただけでアビム感炸裂。私のレビューで香りの雰囲気がわかりづらい方、この写真を参考にしてください
神木の目的は浄化。人間の内外-取り巻く空気と、その魂を浄化するには、厳かな中にも天に昇っていく軽やかさがなくてはなりません。アビムは、名前から想起するヴィジュアルイメージこそダークでミステリアスですが、全体的な香気は軽やかで、ベースの重さもあまり持たせず、肺を洗い、魂を洗う、心の洗濯板とでもいうべき深淵な清々しさは、ヴィオレチームの、願いに近い「無という平和」を完全に掌握し、アビムへと昇華させた、ナタリー・ローソンのウッディ使いの技も光っているのは確かで、かつて世界粉物二大ナタリー(もう一人はナタリー・フェストエア)と称した事がありますが、21世紀の傑作・アンクルノワールとこのアビムを産み出してくれたナタリーさんに敬意を表し、材木女王と呼びたいと思います。
 

ちなみにアビムのキーノートであるフランキンセンスとパロサントは、どちらも今世香水トレンドを牽引する人気香料ですが、前者は紀元前エジプトからミイラの防腐剤や墳墓の埋葬品として発見されたり、古代ユダヤ、キリスト教の秘儀で多用、正教会の樹脂を焚いた煙をくゆらす振り香炉は有名で、後者は南米の神木として長きに亘り珍重されてきた香料です。特にパロサントは、南米由来という事もあり、西洋社会にとって珍獣アイテム的に若干間違った方向で人気を博しており、日本でも浄化系スピリチュアルアイテムとして薫香用の木片や加工品が出回っています。一方で乱獲による絶滅が危惧され、2008年にワシントン条約で保護されてからは、生育地であるペルーやベネズエラなどでは自然に落ちた枝や倒木のみ使用可能ですが、生きている木の闇伐採が後を絶たず、問題になっています。これまでも、蜂の生態系保護などに貢献してきたヴィオレとしては、人間のエゴで聖なる木を撲滅に追いやるのは正しい道ではないとし、アビムのパロサントはあえて調合香料を使用しています。これは、ここ数年急成長している、販売イメージ戦略の意味合いも多分にあるナチュラル・パフューマリーに対し、むやみな天然原料偏重への警鐘でもあり、天然香料と遜色のない香りが再現できるのであれば、流行に反し、環境を守る選択肢を取る。これはヴィオレの既存社会へのアンチテーゼで、2020年、クラウドファンディングで中間価格帯のCYCLE001をゴールさせ、吊り上がっていくだけの香水の価格を、品質を伴った状態で何人にも手の届く存在に戻すという「市場への挑戦状」でもあったことから、優しく柔らかいイメージブランドの奥には、結構熱いものを感じます。
 
最後に、前作コンプリマン(2021)が光り輝くチュベローズだったので、光を吸い込むアビムとのコントラストにも注目ですが、まるで本記事冒頭の帯デザインのように、
-コンプリマンが光なら、アビムは影。
-光と影は表裏一体。
コンプリマンの前に立ち、燦然と皆既日食を起こすアビム。そのコントラストには、共通の願いー心のしあわせーが込められているのかもしれません。
 
取材協力:アントニー・トゥールモンド(ヴィオレ)
 
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今回ご紹介したアビムを含むヴィオレのサンプルは、LPT読者向け会員制コミュニティストア、agent LPTでご購入いただけます。
 

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