La Parfumerie Tanu

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Jean Patou | prewar 2 : before World Depression & Joy (1930)

それでは、次に1929年に勃発した世界恐慌の前に発売された二つの香りと、その復刻版をご紹介します。
 
戦前3【世界恐慌前】
7 Chaldée (1927) P
8 Chaldée (2013) EDP
9 Moment Suprême (1929)

 
7 Chaldee (1927) P マ・コレクシオン版
トリロジーに続きジャン・パトウが発売したのは、香水ではなく世界初のサンオイル、ユイル・ド・シャルデでした。まだ日焼けが富裕層のトレンドだった時代、蒼白な肌の欧米人が憧れた、燦燦と降り注ぐ太陽に愛されて黄金に輝く美しい肌を彷彿とする、古代バビロニアに興ったシュメール地域に栄えたカルデア人の名を与えられたユイル・ド・シャルデは大ヒット。今でいうサンタンオイルとか、日焼け止めみたいな化学物質は何も配合されてなくて、100%ヒマシ油に、香料だけ。シンプルイズベスト!お客さんはサンオイルというよりはパフュームオイル的に使っていたみたいで、とにかく香りが大人気。そこで、1927年に香りを特化したものがシャルデで、ユイル・ド・シャルデ自体も長らく生産されていたようです。

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シャルデ すべてマ・コレクシオン版、左からEDT75ml、EDT50ml、P30ml
さらっとフルーティなトップに始まり、程なくジョイ(1930)に共通する、若干の生臭さをはらむジャスミンが、同じく強い香りをはなつヒヤシンスやナルシスなどの生々しい甘さにまじりあい、調香にはありませんが動物的なムスクにしっかりと支えられた香気が立ち上る、フローラルの外郭をしっかり持った軽やかなオリエンタルです。ベースは動物性香料特有の軽やかさが主体で、調香にあるオポポナックスやアンバーはあまり感じられません。今回のムエットはパルファムでお試しいただいていますが、肌にのせると、もうムスクムンムンで、それこそ溢れるように香ります。現代では中々体感する機会がない古きよき香りなので、つける場所や季節は考えた方がよいかもしれません。
なお、デザイナーズ・パルファムズからの復刻第1弾として、マ・コレクシオンから最初に復刻したのがこのシャルデです。

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シャルデ EDT75ml、外箱と

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シャルデ EDP100ml エリタージュ版
8 Chaldee, Collection Heritage (2013)エリタージュ版
エリタージュ版は、現在使えない動物性香料やニトロムスクはあっさり諦めて、シャルデの柱をオレンジブロッサム、ナルシス、バニラの3本に絞り、全面に出したそうです。それでもその3つは天然香料で処方したというから、贅沢には違いないですね。
エリタージュ版は、トリロジーと同じく、忠実というよりは、誠実に再現した復刻版で、面立ちは立ち上がりから消え入りまでコレクシオン版に相当接近した近似値を描きます。ジャスミンの生臭いまでの生々しさ、ナルシスの球根系らしい押し、パトゥのベースによく出てくる、濃い甘さを湛えたオポポナックスやバニラ、ゲランがゲルリナーデならパトゥだからパトゥナーデ?がふんだんに組み込まれ、非常にクラシックな香り立ちの演出に成功しており、オリエンタルよりフローラル感が増しているので、フローラルの主軸となるナルシスやオレンジブロッサムに生々しいジャスミンの表情から、ジョイのパルファムにも通じる華やかさも持ち合わせています。ムスクは合成、植物性なので、さすがに毛足の長いファーに指を絡めたような、動物性香料特有の温かみのあるドライなリフトはありませんが、持続のよさはコレクシオン版パルファム以上です。現代に過去の香水を作る上の様々な制約事項を考えれば、努力の跡がそこここに見られます。

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モマン・スプレーム EDT75mlフラコン(左)、50mlアトマイザー
9 Moment Supreme (1929) マ・コレクシオン版
シャルデに続き発売されたのは、モマン・スプレーム。これもケルレオ版マ・コレクシオンの復刻です。意味は「至福の瞬間」、つまり「絶頂!」マ・コレクシオンきっての珍香で、一応分類はフローラルノートになるんでしょうか。
まず、つけた瞬間、シトラスのアクセントがきいたラベンダーとゼラニウムがシャキッ!と炸裂して、うわっ、女物なのに凄くマニッシュ!と驚くんですが、本当に驚くのはここではなくて、このトップノート、5分もしないうちにどこかへ消えてしまい、代わりに顔を出すのが何ともやるせないアンニュイなパウダリー・フローラルで、すんごい脱力感。一瞬スカッと快晴だったのが嘘みたいにどんより曇天かきくもって、日陰の薄ら寒さを感じさせます。まるで笑顔の眩しい爽やか系のイケメンが目の前でいきなり皮をはいで、顔面蒼白のけだるい女性に変身、みたいな珍妙な二面性が人気を呼んだのか、コレクシオンの中でも相当の入手困難品でした。香り持ちは弱く、朝つけても昼まで持ちません。すべての勢いをトップのラベンダーとゼラニウムが奪っています。「至福の瞬間」とはパリが最も絢爛豪華だった当時の様子を指すといわれますが、まさしくトップノートを謳歌できる5分間こそが至福の瞬間なのかもしれません。パリの黄金時代なんて、長い歴史からしたらほんの一瞬です。おまけにモマン・スプレーム出てすぐに世界恐慌ですからね。さすがにエリタージュ版では登場しませんでした。
モマン・スプレームの発売後、世界は未曾有の大恐慌へと突入します。しかしパトウはどん底の景気を逆手にとるかのように「世界で最も高い香水」として次なる至福の瞬間を待ちわびる富裕層めがけ、ジョイを発売するのです。

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初めて邂逅する「ジョイト1000以外のジャン・パトゥ」に場内歓喜

戦前4【ジョイ】Joy de Jean Patou (1930)
 
 

 
10 Joy de Jean Patou (1930)  P  Henri Alméras, original  circa early 1970s
11 Joy de Jean Patou (1930)  EDT, SA Designer Fragrance version, after 2011
はい、香水ファンなら、誰でも知ってるジョイです。誰でも知ってはいますが、誰もが試したことがある、とは、2019年の今となっては、言えない香りでもあるのがジャン・パトゥ作品だと思います。今お試しいただいているのは、ムエット10番が1970年代前半のパルファムで、11番が2011年以降のオードトワレです。香圧が全く違いますね。濃度も勿論ありますが、この11番のオードトワレでも随分な迫力だと思いますが、パルファムのこの押しったら、慣れない人には胃に来る強さ
 
ジョイを初めて店頭で試香したのは10年以上前ですが、その当時だって、名前は知っていたけど、実家にはなかったし自分でも試したことはなかったです。その当時でさえ、もう店頭にはなくて、店員さんに聞いたら出してくれた、あるのはオードトワレだけ、そんな扱いでした。それで、スプレーした瞬間、いきなり目の前に、厚化粧の古臭い金満女優が、歯にべったり口紅をつけて笑っているイメージが浮かんだのを、今でも鮮烈に覚えています。 今でもその基本イメージは変わらないのですが、花の香りで「豪華」を描くとこうなった、金字塔のようなフローラルです。
 
「世界で一番高い香水(the costiest perfume in the world)」として、最高級の天然香料をふんだんに使用している事でも有名なジョイですが「一番高い」のは、売値が高いんじゃなくて、コストがかかっているという意味での高い、ですね。ジャン・パトゥが、世界大恐慌の嵐が吹き荒れる中、いいものを作れと調香師のアンリ・ アルメラスにたきつけ、必死に試作品を作っても作ってもボツになり、やけくそになったアルメラスが「ここまで原価が高けりゃ、パトゥもぎゃふんと参るだろう」と精油の使用量が臨界点を突破したのがジョイで、企画が通って一番ビビったのは当のアルメラスだったそうで、原料が痩せたといわれているP&G時代の公式処方でも、ベースノートの合成ムスク以外はすべて天然香料であるとされていました。まあ、同じ天然香料でも、品質は松竹梅鶴亀狸ありますからね!香水というよりは「花の汁」という体感で、フローラル系なのにいつまでもどこまでも厚みのある香りが体から滲みだします。ジャスミンを髄とし、イランイランが肉となり、ローズ・チュベローズ・ムスクが色を成すシンプルな構成ですが、どれもが主役級の花精油、しかも(公称)グラース産最高級品。五者五様に香るのではなく、見事なまでに渾然一体となり、一塊の「華」として開花するのはこれが名香と言わずして何という、の迫力です。体調によってはつらいかも。個人的には神経が立ち上がる100%ハレの香りで、 オフタイムのリラックス用には向きません。しかし、ジョイは好き嫌いにかかわらず、クラシック香水ファンなら、必ず一度は試さなければならない香りだと思います。
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ジョイと言えば、シャネル5番、ミツコと並んでフリマアプリ投売り常連アイテムなのは、オークションで香水を買ったことのある人にとってはお馴染みだと思いますが、特にジョイはパッケージからして60年代、70年代前半のものでも未使用品が平気で2~3,000円で投げ売りされています。他の当時品ではこうはいきません。わかりやすいところで、ロベール・ピゲのバンディのパルファムが、いや、コティのロリガンでもいいや、60年〜70年代物の未使用品で2500円だったら、クラシック香水ファンなら脊髄反射で即買いでしょ?パトゥだって、ジョイ以外はそこそこ値段がついています。これって、いかに当時日本でジョイが流通していたかを物語る話ですが、どういう流通だったかが大事なポイントです。日本は戦時中から戦後、政府が国民の海外渡航を厳しく規制していて、一般人が自由に観光目的で海外旅行できるようになったのは1964年、さきの東京オリンピックの年からなんですよ。それでもよほどのお金持ちしか行けなくて、ようやく一般化したのが1970年代、米ドルが1971年に固定相場から変動相場制に変わって、円高が進んでからの話です。海外旅行や出張と言えば、お土産に舶来品を免税で買うのが楽しみの一つで、例えば出張土産で奥さんに香水、というのも定番で、自分も奥さんも香水使わないのに、ここは記念にいいものを買って帰ろう、お店の人に、おすすめは何ですか?って、お父さんは何がいいかわからないから、店員さんに選んでもらうと、まず売りつけるがジョイのパルファム。特に、パルファムでも2番目に安い(一番安いのは四角いボトルの1/4オンス瓶)1/4オンスの黒い嗅ぎたばこ型ボトル(7~7.5ml、時代によって容量が微妙に違う)は高いジョイのパルファムでも手ごろな方、かつ一番安いわけでもない。ここがミソ。そして小さいから荷物にならないので、良く売れたんだと思います。

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ジョイ パルファム、嗅ぎたばこボトル 時代によって7ml~7.5mlと表記が変わる
一方、香水を使わない奥さんは、そんな愛するご主人の気持ちだけいただいて、ジョイはたんすの肥やし。そういうのが40年も50年もたって、ご両親がご高齢、またはお亡くなりになって、お家を整理したら出てくる出てくる。その筆頭がジョイなんだと思います。実際、今お試しいただいているジョイのパルファムは、ジェントルマンの先輩のお母さまが4年前「お友達がそんなに香水好きなら、うちにあるのを全部上げなさい」って、それでも未使用品だけより抜いて、靴箱にぎっしり2箱送ってくれた中の一つだったんですが、先輩のお父様は、1970年代から80年代前半、ナイジェリアに駐在していたそうで、帰国のたびにお母様へのお土産として、空港で売っている一番高い香水を買って帰ったそうなんですよ。5番、ミツコ、ジョイも何本もありましたが、開封しているのは一つもなくて、開けたのは捨てたって言ってたから、たぶん1本開けて「わっ、これキツイ、使えないわ」といって、次にジョイをもらっても手を付けなかったんだと思います。ちなみにお母さん、グリーンがアクセントのフローラル系はお好きだったみたいで、グッチ№1とか、フィジー、シャネル19番は結構使ったみたいです。ちなみに後日、参考までに使用品でもいいので当時のものが残っていたらお譲りください、と頼んだら、だいぶ使った後の、ロベール・ピゲのフュテュールのパルファムと、フュテュール、フラカ、ビザが入っていたコフレの外箱(瓶はフュテュールだけ)をいただきまして、免税店でロベール・ピゲかよ!と驚きました。それにしてもお母さん、ちゃんとお父さんにジョイは要らないよって言わなきゃ!こうして、全国1000万の日本の奥さんが海外土産でもらった死蔵品が今、フリマアプリで投げ売りされている、その筆頭がジョイ。世紀の名香と歌われた香りの現実は、そんなものだと思うと、かなり残念ですが、流通量が多くても、ちゃんと消費されていれば、ここまで60年代、70年代物の未使用品は出てこないと思うんですよ。もちろん、国内代理店の商品管理シールがついているものも数多く見かけますが、いずれにしても箪笥の肥やしには違いないです。使うのではなく、贈るのが喜びとステイタス、そういう一面もジョイは持っていたんだと思います。
 
◎本日の記事でご紹介した時代の香りがダイジェストでお試しできる、サンプラーを期間限定でご用意しています。他にも、戦前別・戦後別のセット、選べる4種セットや、増量セットもございます。是非LPT直結チャンネル、LPT directへ!

 

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