La Parfumerie Tanu

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1000 (1972), vintage parfum and latest EDP

1000 パルファム 7.5ml, ヴィンテージ

2014年秋、日本撤退前と同じ代理店であるブルーベル・ジャパンから再上陸を果たした老舗パフューマリー、ジャン・パトゥですが、全国百貨店などで展開するブルーベル系香水売場に喜び勇んで足を運んでも、残念ながら新宿伊勢丹などの旗艦店以外では店頭には並んでおらず、購入を前提に取り寄せという取扱いで、たまたま通りがかった地元百貨店の香水売場で勧められた瞬間、脳髄を貫くような電流が走りクラシック香水のめくるめく世界へ...という衝撃的な出会いはそう簡単には訪れないのが現状のようです。一方旗艦店の新宿伊勢丹及び伊勢丹オンラインストアでは欧米でも販路限定のエリタージュ・シリーズ第一弾からシャルデ(カルデア)やオードパトゥ(シャルデはEDP、オードパトゥはEDT、各100ml・32,940円)なども限定で販売しています。

そういうわけで、ここから新規開拓に打って出るというよりは、固定客への販売継続と復刻・限定に目のない香水好き者相手に、パイを極力絞ってニッチな展開に方針を決めた国内代理店が選んだのは、これを外してパトゥ語れずのジョイ、一応新作で若年層向けのジョイ・フォーエバー、そして今回ご紹介する1000(ミル)だけでした。そもそも本国でもパトゥはP&G時代の作品を全滅させ、定番をジョイ、ミル、スブリームと新作1種にダウンサイズし、膨大なアーカイブを強力な戦略商品として限定販売する完全ニッチ路線で出直しているので「いい客つかめ、ちゃらちゃら売るな」は各国代理店の統一指針なのでしょう。ちなみに国内では取り扱いがありませんが、ミルもジョイと同じくパルファムが現行品でもあり、非常に流通量は少ないですが、見かけた範囲では米高級デパート、ニーマン・マーカスにて取扱いがあります(15mlUSD350。参考/ジョイ・パルファム国内価格:15ml60,480円)。

前置きが長くなりましたが、ミル(1972)は、オードジョイ(1955)とキャリーヌ(1964)を調香した2代目調香師アンリ・ジブレ(1911-1966)の早逝後に任を得た3代目専属調香師、ジャン・ケルレオ(1932-)のパトゥ初作にしてジョイと双璧をなす傑作として近代香水史に深くその名を刻んでいます。ただ、平たく言ってジョイが番長、ミルは影番みたいな部分があり、ジョイはすぐイメージできるけれど、ミルってどんな香りだったっけ?と言われると、明快に答えられない方が多いのではないでしょうか。私もその一人でした。香水の書籍には、必ず「天然香料だけでできている」「千種類の香料が使われている」「ケルレオ師、至上のキンモクセイ香料を探して中国横断三千里」「ロールスロイスで一件一件手渡し訪問販売」と、半ば都市伝説的な紹介しかないため、そんなの読んだってなおさらイメージが混沌としてきます。おまけに店頭には殆んどないのですから、香りを知りようがありません。そこで、縁あって手元にやって来た、発売当時のものと思われるヴィンテージのパルファムと、最新のEDPを比較して、もう少し具体的にどういう香りか皆様と共有したいと思います。

「何がなんでも後世に残る傑作を」ケルレオ師、構想10年・試作1000回。執念の千本ノック、「1000(ミル)」の名はここに由来します。「中国広東省で春、1年にたった数時間しか花開く事のない幻のキンモクセイから得られる天然香料(この下りだけで相当都市伝説臭いですが、公式ウェブサイトからの引用ですのでご容赦ください)」を主軸に、絶妙なさじ加減のチュベローズとジャスミン、そしてベルベットのようにパウダリーなオリスとバイオレットが織り成すハーモニーと、美しきブーケを束ねるマイソール・サンダルウッドからなる重厚なフローラル・シプレ」というのが公式な香調ですが、パルファムを嗅ぐに、それらの香料を単体で感じることはなく、ひとつの塊となったその香圧にのけぞります。第一印象は「地鳴り」。ヴィンテージですので、トップは経年相応に焼けているのですが、ほどなくしてパルファムをつけた場所がマグマなら、1972年という時が放つ地鳴りのような滲み出る渾然一体とした甘さのないウッディパウダリーな香りのマントルが、数滴つけただけで下着はおろか真冬のオーバーコートすら貫いて香ります。じわじわ、ふんふん、とても現代の香水では味わえない隙間のない重厚なシャージュは、織物でいったら水一滴通さない目の詰まった緞通のようです。この力強さは、後年ケルレオ師が渾身の思いで監修した復刻シリーズ、マ・コレクシオンの各パルファム達にも通じます。

構想に10年もかけたとのことですが、世界におけるその10年とは高度成長期の目まぐるしい発展期で、フラワームーブメントだのサイケだの出てきて、そろそろウーマンリブとか自己解放とかへんてこな方向に世界がばく進している最中で、その間ただひとつの香りを作ろうと石にかじりついて1000個も試作した結果、考え過ぎでちょっと脳内で時空が発酵してしまったのか、この1972年という時を分岐点に、背には近代香水史が大音量のフルオーケストラを従えてひと塊になり、目の前は真っ白、みたいな「時空の静止点」のように感じます。同じ超香圧のジョイは、ある意味時空を越えてどこまでも飛んでいく直球で、いつどこで嗅いでもジョイですが、ミルは明快な個性のある香りというよりは、1972年までに近代香水が紡いできたすべての時間に連れ戻しては放り投げる、ラッダイトの集合体のように思えます。

転じて最新のEDPでは、香圧でいったらパルファムの3割ほどに体感し、最初はこれが本当に同じ香りか?と思いますが、通して嗅げばやっぱりレトロで、フルオーケストレーションで時間が止まっているところは同じです。このEDPだけを嗅いでこれがクラシック香水のミルだ、と言える及第点には居ると思います。ベースからオークモスのとろみが引き、代わりに現代的なホワイトムスクが見え隠れし、持続もEDPにしては短めですが、いい意味で通気性が良く、つけていて体感が楽なのは圧倒的に現行品EDPで、もしミルがはじめてという方だったら現行品をおすすめします。ヴィンテージも現行品も正装度が高くシリアスな香りなので結い髪、お着物にもジョイ以上に似合うと思います。

ときに、10年かけて1000回も試作した中には、名調香師の試作ですから十分世に出せるものもあったのではないでしょうか。煮詰まる前の「258」とかそろそろ混沌の「742」あたりが実は「その辺でやめとけば」的完成度だったかも、と思うとちょっともやもやします。

 

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