La Parfumerie Tanu

The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes

Story #4 / Travel with hope, travel with joy 2

「おじいちゃんに会いたい」 後編

ロンドンから列車で2時間、そこから車で小一時間、ピーク・ディストリクト国立公園内にあるお宅に伺うのですが、日本の感覚で余り長居してはご迷惑になると思い、空港到着後、時差調整を兼ね正味1日ロンドンに滞在し、週末からお宅に2泊させて頂き、帰国前日には再びロンドンに戻りたい旨伝えると、何と「ヒースロー空港迄わしが車で送っていくから、是非とも帰国する迄うちにおりなさい。途中、わしの親友宅で休ませて貰うし」と仰るので、そんな長距離をお年寄に運転させ、お友達にまで御厄介になるのは何とも恐縮だったのですが、一歩も引かないご厚意に甘え3泊する事にしました。その上ロンドンのセントパンクラス・インターナショナル駅から最寄駅であるチェスターフィールド迄、特急列車の切符を手配して下さる際「何時頃こちらに来るかね」と聞かれ、少しでもご負担を減らそうと「昼頃でしょうか」と言いかけた所「朝8時?9時かね?」…ロンドンで5時起き?!さすがに自信がなかったので、正午前につく列車でお願いしました。程なく、おじいちゃんから予約してくれた切符が届きましたが、中には

『夢と希望を抱いて 無事においで』

と書かれたカードと共に、1等車の切符が入っていました。

 会いに行くと決めてから日本出発まで、おじいちゃんからのメールには必ず「会えるまであと何日」と書かれていました。一方、「ひとたびイギリスの土に足が触れた以上、全責任は我々にある。単独行動中の詳細な旅程表を我々に連絡し、危険な目にあっていないか、空港やホテル、駅についたらその都度必ず電話するように」と、初めてのお使いばりに心配して下さるので、ロンドンでは外出しても夕食はホテルで取る事にし、6時迄にホテルへ戻り電話します、と事前に伝えたのですが、そこは首都ロンドン、レサントゥールやロジャ・ダヴ・オートパフューマリー他、香水好きとしては外せない香水店訪問などミッションが多々あり、色々訪ね歩くうちホテルに戻るのが6時を過ぎてしまいました。部屋で一息ついてロビーに降りたら、フロントの女性が電話口で私の名前をあげながらもめているのが目に飛び込んできました。幸子は私ですが何か、と割って入ったら、電話の主はおじいちゃんで、心配でホテルまで電話をかけてくれていたのでした。なんでこうまで熱烈真摯にして下さるんだろう?

翌朝、ホテルを早々に引上げ、いよいよおじいちゃん夫妻の待つチェスターフィールド駅へと手配して頂いた1等車で向かいました。その日はおじいちゃんからいただいた3本のボトルから、一番自分に似合うマダム・ロシャスをつけました。丁度イギリスも3連休の初日で車内は満席、降り立ったイースト・ミッドランド線チェスターフィールド駅は昇降客でごった返していました。一通り人垣が切れると、遠くに大きく腕を広げたまま、笑顔で固まっている白髪の男性が見えました。…既に感動で顔を赤らめた、おじいちゃんが立っていました。横には満面の笑みを浮かべたおばあちゃんもいました。

駅で両手を広げ待ち構えていたおじいちゃんに、むぎゅうううとハグされ、ぶちゅううううと真正面キスされ「よう来た、よう来た」と大喜び。おばあちゃんと3人で「まずは家に帰ろう」と車でご自宅に向いました。駅を離れるとすぐに美しい田園風景が広がり「ここが見えると家なんじゃ」という小路を過ぎてお宅に着きました。庭には格子で区切って玉砂利を敷き詰め、謎の石灯籠と、前年に私が贈った信楽焼の狸が置いてある意味不明の和風な一角が造園されていました。


「『幸子の庭』じゃ」

そこは、私の名前が付けられた「日本庭園」でした。

 滞在中は、朝はおばあちゃんお手製のジャムにクランペット、おじいちゃん特製ミューズリーにミルクティを頂き、昼はお住まいの村や景観地、古城等を厳選して案内して下さり、夜はおじいちゃんの手料理を御馳走になりました。「米の炊き方を教えてやろう」と米料理を一緒に作った日もありました。おじいちゃんは事あるごとに感極まってむぎゅううう、ぶちゅううう、でした。そしておじいちゃんもおばあちゃんも話が止まりませんでした。ロンドンのフラム地区に住んでいた小学生の頃にバトルオブブリテンの前哨戦、ザ・ブリッツ(ロンドン空襲)に遭い、「今日はうちに泊まっていきなよ」と誘ってくれた友達に「だめだよ、黙って泊まったらママに叱られるから、僕帰るよ」と断って帰ったその夜の空襲で、お友達の住む一帯は更地になる程の爆撃を受け一晩で沢山の友達を失った話、ふたりの諸国旅行話、おばあちゃんが30代後半、悪性リンパ腫にかかり、長い闘病生活の末奇跡的に助かった事、アルツハイマーを発症したお母さんを92歳で看取るまでの話、地元ピーク・ディストリクトやイギリスの歴史、各種うんちくや昔話に武勇伝、そして…自転車競技の話。これまでも自転車の話はよく伺っていたのですが、英語力の乏しさから、趣味で自転車に乗るのが好きな位にしか理解しておらず、ふと見ると居間や食堂の棚には、所狭しと盾やトロフィー、レース中の写真が飾られ、さらにはおばあちゃんのレース写真もあり、大変驚きました。おじいちゃんは1952年ロンドンオリンピック出場予定だったスプリント選手、おばあちゃんはかつて女性で初めてツールドフランスに出場したイギリス女子チームの代表選手だったのです。お二人は自転車競技で知合い結婚、かつてのライバルは今や皆60年来の親友とのこと。帰路訪ねた親友ご夫婦も元選手で、特に奥様のほうは38年間女子タンデム記録保持者で、最近ついに破られたのよ、と悔しくも嬉しそうでした。只の年寄り連中ではなくバリバリの元アスリート集団だったのです。だからこんなに「熱い」のか!

 そしてもう一つ、熱烈真摯な理由が判りました。ご夫婦には子供がおらず、おじいちゃんのたった一人の妹も40歳で早逝、残された妹さんの一人息子を実子同然に可愛がっていたのですが、年明けにその甥御さんを51歳で亡くし、一方甥御さんの家族とは疎遠で、悠々自適な一方で寂しい思いもしているのでした。娘のように可愛がって下さるお気持ちを、肌で受止める事が出来た気がしました。おじいちゃんは、私が帰る日が近づくにつれ、食事が喉を通らなくなっていきました。帰国の日、次はいつ此処に来れるかと思うとお宅を出る際泣けてきました。すると「泣くんじゃない。君が泣いたら、わしも泣けてくるから」と仰るので、余計泣けてきました。空港まで4時間もかけ車で送って下さり、時間の許す限り最後のお茶を楽しみました。
「さあ、わしらが守ってやれるのはここまでじゃ。無事に帰るんじゃよ」搭乗ゲートで3度お辞儀をして別れました。機内では泣きどおしでした。

 会えて良かった。本当に、夢のように楽しい幸せな数日間でした。

 セントパンクラス国際駅のモニュメント