ピュアディスタンス第11作目の新作・ルビコナが、10月15日世界発売となりました。前々作アエノータス、前作ゴールドと続き、目を見張る勢いで国内での認知度が上がり、国内に輸入代理店がない以上、正確には日本上陸しているとは言えない状態で、ここまでの話題と実績を勝ち得たブランドは、私が不勉強なだけかもしれませんが、他にない気がします。
ルビコナの発売には、多くの困難と予定変更が伴いました。昨年のゴールド発売時、2020年には既に今作ルビコナが春に、第12作目にあたる次作、№12(発売時期未定)が秋に発売予定と商品カタログに掲載されていましたが、そこから半年も遅れた理由は、世のご多分に漏れず、現在も世界を侵蝕し続けている新型コロナウイルス感染症の影響で、ヨーロッパでは多くの国が3月からロックダウンに入り、スーパーやドラッグストア、郵便事業など生活必需業務(エッセンシャル・ワーク)以外は休業を余儀なくされる中、ピュアディスタンスなどを扱う高級香水店は、いの一番に休業対象となりました。オランダ北部フローニンゲンに本社を構えるピュアディスタンスも、3月下旬より在宅勤務に切替え、公式サイトの直販発送業務のみ社員1名限定で出社対応、オフィスではロックダウンが全面解除された6月下旬まで最低限の運営を行っていましたが、オンライン販売以外での販路をほぼ絶たれてしまった中での新作発表は、ブランドにとってリスクが大きすぎるため、あらゆる業界がプロジェクトやイベントを延期や中断、中止せざるを得なかったのと同じく、4月発売を目指して直前まで準備を進めていたルビコナも、やむなく9月まで発売延期となりました。
ルビコナは、ピュアディスタンス作品でもカルト的人気を誇るシェイドゥナ(2016)を手掛けた、パリ在住の独立系調香師、セシル・ザロキアンの作品で、フォス社長が2017年5月より第一コンセプトを伝え、1年強のブレインストーミング後、2018年8月に調香を開始した矢先、社長が突如1年間のブレストはご破算、と待ったをかけ「天地がひっくり返るほどシックな(Chic, inside out)、深く温かいルビーレッドの香りを作ってください」という、仰天のコンセプト変更が行われました。セシルさんはシェイドゥナでも第一世代完成後「オリエンタルすぎる」と一から作り直しとなり、その後フレンチシックとオリエンタルの見事な融合である現在のシェイドゥナが誕生したのですが、ルビコナは、試作品完成後1年間処方の微調整もしたものの、香りを色で感じる共感覚を持つフォス社長だけでなく、スタッフ全員からも満場一致で調整前のプロトタイプを選び直したそうで、更地スタート上等なブランドとしては稀な、かなりの安産だったと言えるでしょう。セシル・ザロキアンもまた(突然の指示変更にも屈せず)ヤン・エワウト・フォスというディレクターの脳内にダイブし、イメージの世界を共有できる稀有な調香師の1人と言っても過言ではありません。
紅玉色に輝く宝石・ルビー、熱狂的な憧れの対象となるアイコン、そしてロシア語で正教会の聖像を意味するイコナ、その言葉の響きから生まれた造語、ルビコナ。深く温かいルビーレッド…モチーフとなったのは、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ夫人であり、その後ギリシャの海運王、アリストテレス・オナシス夫人となった、ジャッキーことジャクリーン・ケネディ・オナシス(1929-1994)が、オナシスとの婚約時に贈られた指輪の、周りに1カラットのダイヤが施された17.68カラットのルビーの「色」そのもので、ジャッキー自身がモデルではありません。ちなみにこのエンゲージリングは、オナシスがヴァンクリーフ&アーペルにオーダーしたもので、お揃いのイヤリングとブレスレットの3点セットだったそうですが、この指輪とイヤリングがジャッキー逝去から約20年後の2015年5月、ジュネーヴで開催されたクリスティーズのオークションに出品、推定価格25万~35万米ドル(現レートで2,650~3,700万円)と言われています。
私は市井のブロガーである傍ら、2018年よりピュアディスタンスジャパンというブランドの日本サイトを運営しております。いよいよ発売が9月に決まり、8月中旬にプロモーション資材を受け取ったのですが、東京の8月といえばお天道様お許しください!といわんばかりの高温多湿、香水を楽しむには最も過酷な季節です。私の住む練馬は、関東の天気予報で熊谷と最高気温を競い合い、ゲリラ豪雨再多発地帯で知られる地域で、日中は40度近く、夜中も30度を下らない、そんな激烈な暑さの中、初めてつけたルビコナの第一印象は「なんだか、わからない」でした。とにかく、立ち上ってくるのは、鼻腔を突き上げるムンムンの甘いムスク。そしてどこからともなく聞こえてくる女性の熱い吐息。最初に浮かんだ言葉は「弛緩性の毒」。次に浮かんだのは、アラン・ベイツ主演のフランス映画「まぼろしの市街戦(1966)」のミューズ、コクリコ(ジュヌビエーヴ・ビジョルド、写真上)。何なの、この香り、わからない…
本社とのやり取りで、毎回社長や社員さんに「ルビコナ、どうだった?」と聞かれるので、率直に「今、東京は毎日暑くて、正直なんだかわかりません」と答えました。すると社長より折り返し連絡が来たのですが
「ルビコナの発売は、9月から10月に延期した」まあ、日本ではそれが賢明でしょう…
「日本は、気候に応じ、10月15日の世界発売より遅らせてもよい」あれ?延期って、日本だけの話じゃなくて?
「ルビコナは、摂氏25度以下の気温で使って欲しい。何故なら、25℃以上の気温では、その美しさが本領発揮できないからだ」ええっ、日中25℃以上での実装不可?東京じゃ、5月の連休明けから10月頭まで平気で25℃越えますよ?秋冬指定モデルなの??さらには「ルビコナは、強くてヘヴィな香りだから、日本では難しいと思うんだ…」と先行弱気発言。ピュアディスタンス作品中、実装気温指定が出たのはルビコナが初めてです。そういうわけで、とりあえず私もルビコナを肌で試すのをいったん中断し、最高気温が25℃を越えない日が続くようになるのを根気よく待ちました。そして秋になり、ルビコナは急激にその本領を発揮し始めたのです。
ルビコナは、70年代後半から80年代前半に登場した、シックでスタイリッシュなシプレフローラルと、その後に現れた爆香系の汽水域にいるフロリエンタルの系譜につながる香りで、まず彷彿としたのがロシャスのビザーンス(オリジナル版:1987、ニコラ・マムーナス、アルベルト・モリヤス共同調香)、更に時代を遡ると同じロシャスのファム(1944、エドモンド・ルドニツカ調香)にルーツを垣間見ます。ピュアディスタンス史上最高にエッチな香りで、官能的とかいうレベルではなく「女性という熟れた果実がいる危険な香り」という点ではファムに近い、圧倒的な存在感を放ちます。キーノートはイランイランとオレンジブロッサム。特にイランイランは催淫性があると言われるのがよくわかる香りです。立ち上がりは割とシャープですが、押しのけるかのように現れるイランイランとオレンジブロッサムが中心に、甘くスパイシーなクローブと硬さのあるパチュリがクリーミーに香ります。この甘さも中々扇情的で、ちょうどファムで味わった危うい感じを思い出すのですが、ミドル以降の主役となるのは、日向の乾いた温かさが重なるパウダリームスクで、女の肌として完成します。全体を通して肌に溶け込まず、そばに寄り添い併走してくれるのは、同じセシル作のシェイドゥナにも通じる作風です。非常に華のある香りなので、デイタイム向けの普段使い用としては少々気後れするかもしれませんが、気分を変えたい時の気合用にはもってこいだと思います。
9月下旬に天候が崩れ、一気に気温が下がった連休のある日、ルビコナをつけてジェントルマンと渋谷に出かけたのですが、気温は低いものの、ぐずついて湿度の高い曇り空の中、立ち上る香気に自分が自分ではないみたいエッチな女の気配を感じ、しばらく動揺しました。その一方で、帰宅後部屋に漂っていた残り香が、拍子抜けするほどイノセントで優しいフローラルで、もしかしたら、この女性は、お化粧を落としたら誰だかわからない、すごくシンプルな顔をしたあどけない女の子なのかもしれない…と驚きました。確かに、ルビコナのヴィジュアルに登場する女性(右上、通称ルビ子)も、よく見ると「子供か?」な意外性をはらんでいます。1、オパルドゥ、ホワイト、ヴァルシャーヴァなど女性に似合うピュアディスタンス作品は、キャラクターは違えど皆地顔のきれいな美人揃いに感じるのですが、ルビコナは、美人と言うよりはコケティッシュで、吸引力が強くて目が離せない、頭の中から追い出せない女性…体つきはまるで小学生のように平坦なのに、入念なメイクをして頭のてっぺんからつま先まで女に化けて男を幻惑する事に生きがいを感じるような、戦略的に女を生きている人が目に浮かびます。
そして…女という爆弾を仕掛ける意思が現れた化粧を落とした素顔が、別人のように子供っぽい。言うなれば「時限爆弾を抱えたイノセントな女の子」それがルビ子ことルビコナの正体。これから寒くなればなるほど、その肌のぬくもりで自分だけを温めてくれる、そんな女の幻影を抱かせてくれる香り。ピュアディスタンス作品の中では、人によっては難易度が高い香りかもしれませんが、忘れられない香り、いや、逃れられない香りなのは間違いありません。