2017年より継続的に紹介してきたパリのクチュリエブランド、マルク=アントワーヌ・バロワ。デビュー作であるB683(2016)より3年後、処女作より圧倒的にジェンダーレスな面立ちの作風で登場したガニメデが、英仏フレグランス・ファウンデーションのインディペンデントアワードを受賞、そしてアート&オルファクションアワードのファイナリストに選考されるという、ブランド2作目としては破竹の勢いで話題となった2020年。そのガニメデを手掛けた世界最大の香料会社・ジボダン所属の若手ホープ、カンタン・ビシュもまた、ガニメデ以外の作品でも数々の賞取りとなり、彼のキャリア上、現時点で最も沸いた年となりました。
1983年ストラスブール生まれのフランス人調香師、カンタン・ビシュは、彼がB683とガニメデを共に手掛けたバロワ氏と同い年の現在37歳。子供のころから調香師に憧れ、ベルサイユの調香学校、ISIPCAへの入学を目指し、まずはISIPCA入学の必須条件である理系大卒資格を取得するため、ストラスブール大科学部に入学するも数学・化学・物理が苦手で挫折(つまり、全く理系に向いていない)、1年で同大学演劇部へ転籍。演劇にのめりこみ修士課程まで進み24歳で卒業、その後パリで小劇団を運営していたそうですが、調香師への夢が諦めきれず、目指したのは難関、ジボダン・パフューマリースクール。1946年、ルール社の調香師だったジャン・カール(代表作・タブー)が開校し、ジボダンが1992年に買収し継承したジボダン・パフューマリースクールに入学するには、ISIPCAと同じく理系大卒か、香料会社での実務経験がないと入学できないうえ、毎年若干名募集に対し受験者数千名という全くの狭き門。そこでカンタンはなんと当時の学長だった大御所調香師、ジャン・ギシャール(オーレリアン・ギシャールの父、70-80年代濃厚系作品多数)に手紙を書き、体当たりで面接のチャンスをゲット。あいにく当時新規募集がなかったものの、激しすぎるカンタンの情熱に折れたギシャール氏が「次の受験チャンスまで、天然香料の学習と実務経験を積んでおくように」と助言。そこでカンタンはジボダンと同業で、天然香料に強いロベルテ(グラース)のラボ・アシスタントのポストを得るべく、今度はロベルテの調香師、ミシェル・アルメラック(パルル モア デ パルファム専属調香師)に体当たり。アルメラック氏も激アツなカンタンに根負け、ロベルテのラボ・アシスタントとして入社することになります。ロベルテで実務経験を積みながら、ジャン・ギシャールからの招へいにより、ジボダン・パフューマリースクールの二次面接を経て、晴れてロベルテ在籍中に夢のジボダン・パフューマリースクールへ入学します。
生来の勘所、そして何より運もガッツも凄かったカンタンは、卒業後2011年ジボダンへ入社、調香師カンタン・ビシュの名が登場するキャリアは2013年からですが、事実上のデビュー作はレミニッセンスのエッセンスだそうです(2010年、ロベルテのシニア・パフューマー、ミシェル・サラミト名義だが実際の調香はカンタン作、本人談)。
日本ではまだまだ知名度と言う点では現在進行形のカンタン・ビシュですが、海外では既にブランドの屋台骨となるようなヒット作をいくつも出している実力派で、同じジボダン調香師との共作も多く(エラケイのソニア・コンスタンなど)、実は日本でも入手できる作品も多くあるため、彼のインスタグラムに直接「マルク=アントワーヌ・バロワ品以外でのお気に入り作品はありますか?」と伺ったところ「いくつか教えるよ!」と、きさくに箇条書きで教えてくれました。「〇〇でやったの全部」「どこどこの全部」そんな感じの回答だったので、調べてみたら結構な数。ガニメデでカンタンファンになった方のために、カンタンすぎる回答からわかりやすくまとめてみました。
<カンタン自薦作品>※太字はカンタン回答、無修正
ELO all of them エタリーブルドランジュで手掛けた全4作の意
①La Fin du Monde (2013) ほぼデビュー作 30歳
・Hermann A Mes Cotes Me Paraissait Une Ombre (2015)
②Attaquer de Soleil Marquis de Sade (2016)
③Experimentum Crusis (2019)
Ex nihilo all of them イクス・ニイロで手掛けた全4作の意
④Fleur Narcotique (2014)
・Venenum Kiss (2015)
・French Affair (2017)
・Cuir Celeste Par Mathieu Cesar (2018)
Penhaligons terrible teddy ペンハリガン・ポートレートシリーズ
・Terrible Teddy (2019)
Chloe nomade クロエ・ノマド
⑤Chloé Nomade EDP (2018) / Chloé
Artisan parf Mandarina corsica ラルチザン・パフューム
・Mandarina Corsica (2018)
Jpg la belle le beau ジャンポール・ゴルティエ
・La Belle (2019) エラKのソニア・コンスタン(ジボダン所属)と共作
・Le Beau (2019) 〃
Chloe atelier des fleurs cedrus クロエ・アトリエ・デ・フルールシリーズ
・Cedrus (2019)
Pacollection erotic me パコラバンヌ・パコレクションシリーズ(日本未発売)
・Erotic Me (2019)
Ysl blouse and grain de poudre ル・ヴェスティエール・デ・パルファムシリーズ
・Blouse (2018)
⑥Grain de Poudre (2019) / YSL
Mugler angel muse and nova ミュグレー、エンジェル(1992)のドジョウ
⑦Angel Muse (2016)
・Angel Nova (2020)
Tanu's Tip :
①La Fin de Monde (2013) 世界の終わりが、こんなほっこりした香りみたいだったら、終わってもいいかな、と思わせる、なんとも穏やかなウッディパウダリー。商品紹介ではポップコーンの香りと記載されているが、そんなにポップコーンって食べないし、よくわからないけど、アイリス、キャロットシード、ガンパウダー、ベチバーで硬くなりがちな粉物感にほっこりした空気が漂うのは、何となくおいしい弾けたポップコーンのバタリーな味わいがあるからか。世界の終わり位、争いごとなんかやめようよ。そんな優しい香りです。
②Attaquer de Soleil Marquis de Sade (2016) ラブダナムは、幹から採れる樹脂の香料と、花や葉からの香料で質も香りも違い、樹脂のほうが上質とされるが、サド侯爵の太陽攻撃は通常はベースノートに用いられるラブダナムだけで出来ている。樹脂から花から、葉から何から何までラブダナム。焦げ臭いくらいスモーキーでずしんと来るラブダナムのソリフロールは「醤油だけで酒が飲める人」に近い価値観を感じる。従って、ラブダナムが好きな人には大いにお勧めするが、「悪徳の栄え」を読んだことのない人は読書家とは言わない、とは誰も言わない位、そうでない人へは勧めない。
③Experimentum Crusis (2019) ELOの高級ラインより。「決定実験」とは、科学的立証を行う際、二つの仮説が出た場合、どちらが正論か決めるための実験を言い、ここでは主にニュートンのプリズムにおける仮説や、万有引力を立証する際、リンゴを用いずバラでやったらどうだったか、というエタリーブルドランジュらしい言葉遊びがモチーフになっている。香りとしては、ざっくり「ガニメデローズ」。バイオレットとマンダリン、ミネラルノートで湧き水をたたえた岩石の吐息のようなガニメデの周りに、ネガポジで輝くバラが一斉に咲いたような、その分少しフェミニンな仕上がり。ELOは、メゾン系の中では良心価格帯でサイズ展開もあっていい会社ですが、時流に乗って高級ラインを出しました。せっかく尖がったブランドなので、最近メゾン・ヴィオレ(CYCLE001)やタウアーパフューム(FLASHシリーズ)、昨年セシル・ザロキアンを専属調香師に迎えたティーオ・キャバネルが展開しているようなディフュージョンライン方面に進み、業界の価格破壊をして欲しいです。
④Fleur Narcotique (2014) このフルール・ナーコティークはジャスティン・ビーバーの奥さん、ヘイリー・ビーバー御用達とセレブご愛用で話題になったもので、ブランドのベストセラー。香りとしてはイマドキスズランフローラル系、硬めで透明感のあるフレッシュフローラルという感じ。定価100mlで260€だが、eBayには100円入札や即決でも定価の1/6~1/4以下でロシアの出品者からフルボトルがワンサカ出ているので注意(円換算:定価32,500円→送料無料5,800円、ベストオファーOKなど)おそロシア!中には「原液希釈品」といった、手のうちが丸見えなまずい出品もあるので、まず確実に偽物と思われる。現在、アルメニアとの紛争が再燃、激化している戦闘地域、アゼルバイジャンの出品者もいる。eBayは、カンタンのパクリが、カンタンに見つかる非武装地帯です。ちなみにアラブではインスパイア系香油も出ている人気ブランドで、特にフルール・ナーコティークは人気。
⑤Chloé Nomade EDP (2018) 10年前に日本を席巻したクロエの支流ライン、クロエ・ノマド。ドジョウもすべてカンタン作。フリージアを主軸にミラベル(西洋のスモモ類)がアクセント、パチュリで整えた女性向けフローラルシプレ。オリジナルのクロエよりベースにウッディノートやパチュリがしっかり香るため代理店としては「クロエより大人の女性を演出」と言っていたが、その大人とは20代が30代になった程度の大人っぽさで、50を過ぎたもっと大人の私には既にキラキラすぎて気恥ずかしかった。その位若々しい香りです。
⑥Grain de Poudre (2019) YSLのル・ヴェスティエール・デ・パルファムのラインでは日本で一番人気のブラウスもカンタン作だとは知らなかった。なんとこのシリーズは池袋西武で取扱いがあり、近所で試せて買えるとは思わなかったが、今回LPTVで紹介した中では一番のおすすめでボトルを入手した充足感も高かった作品。非常に上品で静謐なパウダリーウッディ。粉物感をバイオレットとスウェードで演出、そこにセージ(肉の匂い消しに用いられるハーブ)が隠し味のため、みぞおちの滞りがすっと流れるような清浄感がある。女性である自分がつけても心地よいが、こういうノンセックスな香りは、美しい男性につけて欲しい。もしくは、男性がつけて美しくなって欲しい。よろしくお願いします。
⑦Angel Muse (2016) 2012年10月にブルーベルが代理店で日本上陸し、2014年7月に撤退したミュグレーは、1992年にエンジェルが登場して以来、ヨーロッパでは誰でも知ってる中間価格帯のグレートスタンダード。エンジェルは、それこそ発売から30年近く、連綿とドジョウが生まれているが、このエンジェル・ミューズはドジョウの中でもミューズのドジョウが出る位のヒット作で、調香師カンタン・ビシュにとっても間違いなく出世作。オリジナルのエンジェルがグルマン系の鼻祖としてチョコやキャラメル、バニラなどの甘々系にパチュリを過積載することで、熱湯が突沸して冷たいガラスがはじけ散るような激しさが身上だったら、エンジェル・ミューズは「やめられない甘さ」。メインノートは世界中に中毒者も多いと聞くヘーゼルナッツチョコクリーム、ヌテラ。ミューズは、このヌテラの香りにジューシーなグレープフルーツを絞り落したような「ヘーゼルナッツチョコタルト、シトラスフルーツ乗せ」甘いものが苦手な人も、グレープフルーツの爽やかさで何個でもイケる味に。肌なじみがとてもよく、つけていて心地よく、温かいけどくどくない、毎日つけても結構あきない、むしろ癖になる香りで、メインストリームの、しかもドジョウだから全くのノーマークだったが、これも買ってよかった香りの一つ。対象年齢も幅広く、ティーンエイジャーから妙齢加齢のご婦人までカバーできる、まさに「三世代にわたって愛用」できる秀作。機会があったら、偏見なく試してほしいと思った1本です。
カンタン名言
「調香師になった以上、自分の好きな香水をつけるのはやめた。次に使うのは、調香師を引退してからだ」
休日は常に試作品を実装している。仕事中は、自分の香りと香料が混濁しないよう、一切香りはつけられない。だから次に香水を楽しめるのは引退後だ。それまで、新しい挑戦を楽しもうと思っている
これは、ブロガーとしても耳の痛い話です。紹介したい香りが増えるほど、自分が本当に好きな香りをつける機会が減っていく。それでもやめられないのは出会いの楽しさ、カンタンの気持ちがよくわかります。
参考文献:
スイスのナイフメーカー、ヴィクトリノックスでのインタビュー。ヴィクトリノックスはフレグランス部門もあり、カンタンがスイス・アーミー・ロックス(2016)を手掛けた事からインタビューが掲載されたのですが、香水とは無縁な世界のアーミーナイフファンが読んでも理解できるように、非常に平明な表現で、結構鋭い質問をしているので、是非合わせてお読みください。2016年といえば、エンジェル・ミューズが発売された年でもあるので、ヨーロッパではおのずと注目が集まってきた時期だと思いますが、当時の私はカンタンのQの字も知りませんでした。
権威あるフランスの香水ブログ、Cafleurebonでのインタビュー(2016年)。出自からインタビュー当時までを振りかえるロングインタビューで、カンタンの激アツキャラがひしひしと伝わってくる、読み応えのある内容です。
最後に、今回冒頭のポートレートを転載させていただいたインスタブロガー、@perfume_of_the_day が掲載した一問一答インタビューをお届けして、カンタン特集をお開きにいたします。
お気に入りの調香作品は?
- Ganymede. ガニメデ
自作以外のお気に入り作品は?
- L’eau des Merveilles.
オードメルヴェイユ(2004)
好きな香りは?
- Ambrette. アンブレット
嫌いな香りは?
- Fucus. 海藻*
以下のうち、何が一番大事?
•𝗤𝘂𝗮𝗹𝗶𝘁𝘆
•𝗣𝗲𝗿𝗳𝗼𝗿𝗺𝗮𝗻𝗰𝗲
•𝗦𝗺𝗲𝗹𝗹
- Of course the 3 united. 品質/パフォーマンス/匂い すべての融合が大事
調香以外に好きな事は?
- I paint with ink. インク画を描く事
世界で一番好きな場所は?
- In front of a fireplace. 暖炉の前
あなたにとってアイドルは誰?
- Bjork. ビョーク
好きな曲は?
- How does it make you feel (Air). エール:フランスのエレクトロダンス系
好きな映画は?
- Interstellar. インターステラー(2014、英米合作)
*嫌いな匂いが「海藻(Fucus)」って、海に行ったら浜に打ち上げられてる生臭いアレですよね?浄土ヶ浜のうみねこパンなんか食べさせたら悶絶かも。フランスには海藻バターだってあるというのに。なんか特定の海藻みたいですが、海藻食べないフランス人にとって、きっとワカメもフノリもアオサも全部海藻だろうから、和食でおでんやみそ汁系は厳しいかな。きっとあの磯臭いのが嫌いなんでしょうね。