La Parfumerie Tanu

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Crepe de Chine (1925), F.Millot & the other side of Jean Desprez

Crepe de Chine / F.Millot (1925)
 
30年以上前の香水の本だと必ず登場してきた伝説のブランド、エフミロの代表作、クレープデシンです。今回ご紹介するブランドの中では、唯一40年近く前に消滅し、潰れたままの会社です。なのに、なぜこのエフミロという会社名とクレープデシンという香りが、いまだに耳にするかというと、日本でも根強い人気のあるバラベルサイユを作ったジャン・デプレと密接につながっているからなんですね。
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クレープデシン パルファム 容量不明
 
エフミロという会社は1860年にフェリックス・ミロという人が創業し、共同経営者を変えながら石鹸やオードトワレなどを販売していったトイレタリー会社ですが、創業者のミロ氏は創業15年も経たないうちに40の若さでぽっくり逝っちゃって、何年かたって残された奥さんが再起を図るんですが、既に孫もいた年齢だった奥さんの共同経営者になったのが、孫娘婿のアンリ・デプレで、この人はジャン・デプレのお父さんですね。息子のジャンは1922年、24歳でエフミロ社の専属調香師になるんですが、その3年後の1925年、エフミロ最大のヒット、クレープデシンを発売します。当時としてはメジャー路線のフローラルアルデヒドシプレで、戦前のよくあるフローラルアルデヒドにオークモスがもっさり入っている感じのもわっとしたちょっとアンニュイな感じが、キャバレーのムエットでお配りしたのは結構古そうなヴィンテージのパルファムですが、まだしっかりと香りが残っていますね。カビジュースになっていなくてよかったです。
 
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クレープデシンはその後エフミロ社の屋台骨となって、戦前戦後と半世紀も売りつながれた息の長いヒット商品になりましたが、調香したジャン・デプレ自体は3年後の1928年に独立してオーナー調香師になります。ジャン・デプレとしては1939年から作品を出し始めましたが、やはり最大のヒットは皆さんご存知のバラベルサイユの一発屋状態で、バラベルサイユが出たのが1962年でしょ、ヒットに恵まれるまで20年以上かかったから、ずいぶん遅咲きで、ジャン・デプレさんこの時すでに64歳ですよ。その11年後、1973年に75歳で亡くなりました。いっぽうエフミロも1966年に、当時デッチマで大ヒットを飛ばしていた毛皮商、レヴィヨンに買収されてしまいました。クレープデシンをはじめとするエフミロ品はレヴィヨンがブランド名を残して1980年まで販売を続けたので、戦後昭和の香水本にも必ず登場した、というわけです。ジャンデプレ自体も1994年、大手代理店のインターパルファムに買収された後、二流、三流どころを転々としていて、今では、版権だったら何でも買うようなアメリカのマーケティング会社(SEI corp.)に買収されて、バラベルサイユとジャンデプレという名前に登録商標、®マークをつけて商標ビジネスに食われてしまい、実際の香水は今どこが作っているのか、よくわからない状態になっています。諸行無常ですね。
 
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エフミロ、復興希望
追記)2017年11月に、エフミロ創業者の子孫と思しき方が、ブランドの歴史について回顧録を出版していました。フランス語版の他に英語版(写真)もあるので、同時代の事もわかりそうだから入手してみようと思います。
Millot, Parfumeur : de l'Eau magique à Crêpe de Chine, une histoire de famille
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