La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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Fidji (1966)

創業1957年、日本では戦後一世を風靡したクチュリエとしてというよりは、粗品のタオルセットとか箱入り靴下でその名を見かける方が多い、ギ・ラロッシュ。フレグランスもファッションと並行して発表するのが当たり前になった戦後世代のデザイナーですが、創業60年近い歴史がありながら種類としては12種類(うちオリジナルは6種類、他は派生品)とさほど多くないものの、フィジー(1966)とドラッカーノアール(1982)という世界的メガヒット作を従えているため、ブランドとこのふたつのクラシック香水、名前だけは知っているというお若い方も多いと思います。 

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当時の代理店が自社ビルを建てたほど日本でも大ヒット。しかしその後倒産、諸行無常

ギ・ラロッシュ初のフレグランスであるフィジーは1970年代から80年代、ここ日本で物凄くヒットした香りで、基本的に父親しか香水をつけない家だった我が家にもボトルがあった程*一般家庭にも広く普及し、12年後に続くアナイス・アナイス(1979)にお株を奪われるまで「女子大生といえばフィジーの香り」として誰もが愛したグリーン・フローラルです。ユースデュー(1953)、ノレル(1968)などを手掛けた女性調香師ジョセフィーヌ・カタパノの代表作でもあり、着物の日本人女性をイメージしたと言われる黒が効果的に使われたボトルはセルジュ・マンソーが手がけています。発売当時のキャッチコピーは「女は島、香りはフィジー」というヌードのお姉さんが大きなボトルを膝枕、な母性回帰的ポスターで女性のハートを次々と射止めました。フィジー発売と同じ1966年に森村桂の旅行記「天国に一番近い島」が爆発的ベストセラーとなっていた土台もあり、島違い(天国島はニューカレドニア)ですが一拍遅れて日本に入ってきた舶来香水フィジーは、そのネーミングから遠い幸せの象徴みたいな幸福感につつまれていたのかもしれませんが、実際の香りとしては「どこがフィジーなんだろう」と思わずにはいられない、どフランスで少しスパイスの効いたクリーミー・フローラルで、同世代のクリマ(1967)やシャマード(1969)、続くカランドル(1969)、シャネル19番(1970)などのグリーン・フローラル・アルデヒドおよびシプレといったヘディオンとモッシーノートの恩恵に色濃くあやかっており南国感ゼロ。その代わり、他のグリーン・フローラルアルデヒド(およびシプレ)には希薄な、何もかも抱こうとする真綿のような母性と、抱いても無用にまとわりつかないすべらかな肌感と体温を感じ、このジャンルの香りとしてはずば抜けた安心感があります。なるほど人に嫌われないのが大前提な日本人の香水アンテナが、チューニングを合わせずともキャッチしたわけです。はじめてフィジーを嗅いだ時、真っ先に浮かんだのが、ほんの小さい頃、食べこぼしで汚れた私の顔を、母が自分の涎を含ませて拭ってくれたガーゼハンカチの匂いで、当時の口紅や基礎化粧品はかなり香料が強かったので、香水をつけない母の口許からハンカチに移った匂いがフィジーを想起させるとは、いかに日本の化粧品業界がフィジーを模倣して化粧品やトイレタリーに賦香していたかがわかるのと同時に、母の行為そのものがフィジーのようにも感じます。パルファムはミドル以降のクリーミーな展開が本当に癖になり、朝つけると午後から夕方の疲れてくる心身を、深呼吸の度たて直してくれる心地よさがずっと側にいて欲しくなり、オードトワレはキリッとしたアルデヒドに始まり薄衣のように薫るので、ヴィンテージのパルファムをポイントに、現行のEDT を全身にまとうと最強の一日となるでしょう。そして封を切ったパルファムのフラコンを箱にしまわず机の上に置いておくと、どこからともなくふっと香り、誰か優しい人の気配を感じます。

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パルファム14ml、EDTフラコン125ml。現行品はEDT50ml、100mlアトマイザーのみ

 
現在ギ・ラロッシュ製品はロレアル・リュクスの1ブランドとして販売されており、パルファムやバスラインが豊富だったフィジーもEDT2容量に集約されました。残念ながら国内での販売は終了しておりますが、並行輸入品や海外通販では値頃な価格で入手可能です。日本でも相当な流通量だったからか、オークション市場などでも未使用品が頻出しており、手付かずのヴィンテージボトルが容易に手に入りますが、気を付けてほしいのがフィジーは劣化の早い香りなのと、アトマイザー式パルファム容器の品質が悪いのか、未開封品でも箱の中で劣化と蒸発が進み、箱を開けてみたら飴色の激臭に変わり果てた姿で現れた、という悲しい出会いもかつてありましたので、もしパルファムをオークションなどでお探しの場合は、アトマイザータイプは避けるか、ボトル未使用でも箱から取り出して水色の状態を確認できるものをお求めください。ヴィンテージで色が濃くなっても香りにあまり影響のないものもありますが、フィジーに限って言えば、椎茸みたいに茶色くなったものは未開封品でも絶対に手を出さないでください。 

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劣化品。新品未開封でもこのデザインの外箱&ボトルは接触厳禁

 

さて、今回ご紹介して参りました英国地方薬局特集で、なぜフィジー?とお思いの方もいらっしゃると思いますが、今回の旅で最後に出会ったのがフィジーでした。
実は今回の渡英中、なんと帰国の乗継便を共同運航していたルフトハンザがストライキに突入し、私が乗る筈だったマンチェスター~ミュンヘン便が欠航してしまい、同日の振替便が立たず、帰国できなくなってしまいました。共同運航元のANAが本来なら責任の所在ではないものの、1日遅れで当初のルートと同じ便を無償で確保してくれたのと、ウィットネル夫妻のご厚意でもう1日泊めていただけることになり、空港での待機や野宿など危険な目には会わずに済み、丸1日遅れで無事羽田へ戻ることができた上、せっかく1日足止めになったんだから、神様のご褒美だと思って遊びにいこう!とお連れくださったのが、ピーク・ディストリクトの中心地、古都ベイクウェルの郷土史料館でした。古民家に所狭しと展示された名もなきイギリス人の生活を忍ばせる生活道具や衣類の数々、一部戦争資料館ともなっており、刻まれた同じ苗字から兄弟・父子が一時に命を奪われたのが痛ましいベイクウェル地区の出征戦没者名簿、空襲に備えた乳児用ガスマスクや1950年第後半まで続いた食糧や日用品の配給手帳など、戦勝国ながら耐え難きを耐えてきた国民の記録が多数展示されており、ひとえに観光スポットとして通りすぎるには歴史がそうはさせないものがありました。しかし一番驚いたのが、何故かシルバーボランティアのガイドさんが、埴輪ばりの日本人(笑)国際結婚で長らくロンドンに在住後、リタイアしてベイクウェルにいるという在英54年のこのご婦人、私の姿を見かけるなり「あぁなたぁ、英語ぉ大丈夫ぅ?」と日本語で優しく声をかけてくれました。がしかし、既にその日本語は長年の英国暮らしでかなり怪しく、しかもマシンガントークの英語は日本訛りという、日本語というマイナー言語の限界を深く感じたひとときでした。帰り際にデイヴさんがガイドさんに薬局取材の話をしてくれたところ「私、香水はフィジーしか使わないの。あんなに柔らかくて心地いい香りはないわ。フィジーはね、ラストのサンダルウッドがいいのよ、クリーミーでしょ?昔はどこでも売っていたんだけど、最近はすっかり見かけなくなって、探すのが一苦労よ。とりあえず1軒、ベイクウェルの香水店でおいているところがあって助かっているけど、それでもパルファムはもうてに入らないのが残念ね、仕方ないから100mlのトワレをxxxで買って・・・」とマシンガン・ジャパニーズ・イングリッシュで熱く語ってくれたのですが、その時は状態の良いものをきちんと嗅いだ事がなかったので、そこまで熱く語られるほどいい香りなのか何とも返事のしようがなく、適当に「そんなにフィジーお好きなんですか、お似合いですよ」と返したところ「あなたは何が好きなの?」とカウンターオファーを受けてしまい「5番が好きです」と答えたところ「あらあ~、そうなの?!5番は私が若い頃、日本でもすごく人気だったのよ!」今では「香水臭い」の代名詞、5番も、日本という時の止まった女性の中では今だ健在。そしてそこまで熱く語られるフィジーで、今回の英国取材をお開きにしたいと思います。
 
 
*ただし、私が母の鏡台でフィジーのボトルを見かけた40年前は、ちょうど長姉が当時の代理店だった(株)わかばにてアルバイトをしており、フィジーはわかばでも屋台骨だったことから、テスターでももらってきたか、大学生なんだから香水ぐらいつけなくちゃ、と一番人気のフィジーを社販で買ったのかもしれません。妹が「お姉さんはお店でイギリスの香水を売っています」と作文に書き、小5の妹を粉砕したあの姉です。ちなみに今は亡き(株)わかばさん、フィジーの売上で自社ビルが建ったと伺っております。
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