La Parfumerie Tanu

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Story #5 / Papa

「父」 

 私の父は生前貿易商を営んでおり、商談・スーツで外出の際は、必ずシャネルの5番をつけていました。別にこだわりがあったからではなく、父の世代で最も名の知れた香水であること、海外出張の折には取引先の事務の女性へのお土産として、常に香水を買い置きしていたことから、自分でそのストック分を使用していたのではないかと思っていました。
他にストックしていたのはニナ・リッチのセット物かマダム・ロシャスでしたが、それも当時の免税店で最も値頃で名も知れていたため、山と売られているものをあげれば、ハズレも少ないだろう、と考えたのでしょう。そして、小さい方が荷物にならなくて良かったのか、ストックはすべて、パルファムでした。

 家で香水をつけるのは父と私だけでした。男性用の香水は一つもなく、気づいたら私も5番が一番気負わずにつけられる、定番の香りになっていました。ただし、予算の都合からオードトワレしか手が出ませんでしたので、他の濃度は試した事がありませんでした。父のボトルを借りる事もありませんでした。

 父は私が独立する頃には商売をたたみ、外出もしなくなったので、5番をつけることもなくなりました。残っていたストックの香水やサボンは、人にあげる必要もなくなったので、私が全部使いましたが、5番のストックだけは目に付く所になかったのを覚えています。80歳まで故郷の台湾に足を運んでいましたが、その後急激に衰え、晩年は特養にて過ごしました。

 ある時、シャネルのカウンターで5番のパルファムを試してみたら、まるでそこにこれから商談に出かけるいでだちの父が立っているような、元気だった頃の父の面影がいきなり蘇り、思わずカウンター前で涙ぐんでしまいました。父がつけていたのは値頃なトワレではなく、一貫してパルファムだった事を、シャネルのカウンターで知りました。一応事情を説明し、何も買わずにそのまま帰りました。お店の方はさぞご迷惑だったと思います。父は、5番のパルファムはあくまで自分用に求めていたこと、自分用のストックを使い切り、それ以降は買う余裕も、買う機会もなくなって、5番を使わなくなった事もわかりました。 後日パルファムを入手し、中身のないお守り袋に、綿いっぱいに5番を含ませて詰め、特養に行った際父に手渡し、覚えているかと聞いたら、無反応でした。認知症も進み、間に合わなかったのは残念だったけれど、いい香りをさせている分にはいいだろう、と、パジャマの胸ポケットに入れて帰りました。その後、パジャマを洗ってもらったのか、お守りはどこかへ行ってしまいました。

 2010年5月、父は特養にて家族の看取り介護のなか、85歳の生涯を終えました。納棺の際、死装束に身を包んだ父は、東洋の賢者の如く端正な顔をしており、立派な生涯を終えた我が父の姿に感無量の一言でした。棺を閉める前、持参していた5番の0.5オンスボトルを新しく開け、帷子や顔、手などに半分ほどまとわせました。通常、日本の香水の常識では、葬儀に香りはタブーと必ず書いてありますが、既に5番が体臭の一部となっている私と、私の父の関係では、それはタブーではなく親慕の証ですので、通夜も告別式も普段より多めに、EDTを全身にスプレィした後にパルファムを重ねづけして親族席に坐りました。香水嫌いの姉たちも「何、今物凄くいい香りがしたけれど、あなた?」と振り返るほど、5番はただの香水以上の意味を持って、残された私達姉妹をすら支えてくれました。

父にまとわせたボトルの残り半分はその年、私が使い切りました。今、1オンスボトルを遺影の前に供えています。

父(右)と父の友人

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