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La Parfumerie Tanu

The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes

Imprevu (1965) parfum / Coty, The Post War Dream : part 1

02-2. Classic H-M

Coty, The Post War Dream : part 1

近代香水の基礎を築いた3つのブランドはウビガン、ゲラン、そしてコティと言われていますが、前者が合成香料を初めて取り入れるという香料・調香技術面での革新を焦点に先駆と言われる一方で、コティはその商品企画及び経営戦略の方が際立つブランドと言えます。コティが初めてラ・ローズ・ジャックミノ(1904)を発売する際、取引を断ったデパートの店頭でわざとボトルを落として割り、突如溢れた妙香に居合わせた顧客が飛び付き取引成約、というパフォーマンスに長けた商売でスタート、また水薬の延長で大柄なガラス瓶から、ぐっと容量を少なくした上にひとつひとつの香りのイメージに合わせたボトルを当時はまだ新興のクリスタルガラスメーカー、ラリックに安く作らせ、一瓶あたりの単価を下げ手頃な価格で量販したのもコティが最初でした。

そんなコティも「香水王」こと創業者のフランソワ・コティが1934年、60歳でこの世を去ると、世界大恐慌や第二次世界対戦も影響しブランドとしての勢いは沈静化、アスマ(1934)、ミューズ(1946)などコティの晩年に共同調香を行ったヴァンサン・ルヴェールの作品や、現在も生産されているミュゲドボワ(1942,アンリ・ロベール作)等が名を残す位で、かつてのロリガン(1909)やエメロード(1921)、コティが単独で調香した最後の香りであるレーマン(1927)のように市場を牽引するほどの作品は輩出できませんでした。そして1963年、コティの遺族が存続に興味なし、との意思決定を表明し、コティ社とコティ・インターナショナル社を世界最大の製薬会社、ファイザーへ2,600万ドルで売却し、コティはファイザーの子会社となります。
日本でも1963年から代理店が当時の台糖ファイザー(現在のファイザー株式会社)に変わりますが、本丸のコティも創業より長らく本社を据えていたパリ近郊のシュレンヌから、ファイザーのあるニューヨークへと本社を移転します。ファイザーに買収されたコティは2年後、再び香水界へと戻って来る際、手土産に用意したとてつもない新作、それが「予期せぬ出来事」の名を持つアンプレヴーでした。

Imprevu (1965)

「25年ぶりの大型新人」と、その間発売されたミュゲドボワもミューズも何もなかったことにしてアンプレヴーは登場、次々と打って出る広告媒体、オリジナルCMソング、そして発売から2年後の1967年、米3M社が開発した爪でこするとマイクロカプセルが弾けて香りたつ試香紙、スクラッチ&スニフを初めて用いて香り付き雑誌広告を導入すると爆発的に大ヒット、翌68年には押しも押されぬ戦後コティを代表するヒット作となったのです。

香りとしては、当時流行のハリのある生地で仕立てられたひざ上のサックドレスをまとったショートカットの若い女性が目に浮かぶ、親近感がキーワードの爽やかで快活なグリーンフローラルシプレです。品格や高級感というよりはつけ飽きない普段着の親しみやすさが身上、それでいてモードとルックはしっかり押さえています。立ち上がりにアルデヒドの勢いでベルガモットやシダーウッドといった果皮や生木のフレッシュなバーストを体感した後はオークモスがしっかり支え、少々ダスティでクリーミーな、ほんわりしたグリーンフローラルシプレに落ち着きます。ここからバルマンのイヴォワール(1979)につながっていく予感のする一面もあり、ブレンドされたアクセントのレザーはあくまでドレスに施された革のパイピング程度、ソファにうつ伏せで沈み込んだり皮手袋で鼻の下を撫でられるような主張はありません。クラシック香水ファンなら一度は心揺れるオロナイン香も楽しめ、シーケーワンなどに代表されるニューシトラス系のような薄くて軽くていつまでも消えない執拗な「爽やかの押し売り」ではなく、体温の上昇と空気の流れで自然な爽やかさが香りたち、いつのまにか美しく消え入る、香水としての正しい起承転結に則ったくどさのなさも魅力です。良い意味で香りの個性が前に出ず、残るのは素敵な印象だけという、黒子に徹してよくよく計算された香調と言えましょう。

ビッグ・ウェンズディの如く時代の潮流に乗ったアンプレヴーでしたが、そのあまりに時代を切り取った香りはトレンドの変化と共に取り残され、80年代には戦前コティの黄金時代を売りにした復刻版、フランソワ・コティ・コレクションとも肩を並べることができず、乱発されるマス系商品にも弾き出され、ドラッグストアでただ同然の安値で投げ売りされたのち、1990年に廃番となった後は一度も復刻されていません。その頃のコティにとって「一昔前の顔」は既にお荷物で、クラシックとして生きる道も、マス商品として身をやつす代償に命を繋ぐことも経営戦略として勝算がなかったのでしょう。

余談ですが、先日特集したパルファムMDCIパリのオフィス(すなわちクロード・マーシャル氏宅)はブランド名のパリではなく実のところパリ16区に隣接した「ほぼパリ」シュレンヌにあり、フランスの地の利に相当暗い私は今回MDCIとコティの記事を書くに当たりシュレンヌという田園都市がシンクロしたので不思議に思い、マーシャル氏にお住まいのシュレンヌについて伺ったところ「そう、シュレンヌは香水にとって確かに特別な場所なんだよ。当時としてはとてつもなく近代的な設備を誇り、現在も稼働中であるコティの工場だけでなく、ウォルトやパルファム・ヴォルネィなど有名な香水メーカーがたくさん生まれた場所でもあるんだ。お隣のおばあちゃんがね、昔若い頃コティのシュレンヌ工場に勤めていたんだそうで、それはもう嬉々として懐かしそうに話してくれるんだよ。何てったって当時コティと言えば最もグラマラスな会社だったからね。そんなこともあって、(香水メーカーとして)花のパリに居を構えるのもいいけれど、シュレンヌもいいな、って最近はしみじみ思うのさ・・・」と思いを語ってくださいました。かつてはサン=ジェルマン=デ=プレ修道院の割当地であり、修道院なき後は要塞が建てられ、第一次大戦中は地元民を9000人も雇っていたコティが香水をフル稼働生産している一方で砲弾製造の一大拠点となり、そして第二次世界大戦ではドイツ軍占領下、1000人もの囚人や捕虜が命を落とした悲しい歴史も刻まれた小都市、シュレンヌ。グラマラスなコティに彩られたまま老いた住民の記憶、そしてコティが去った後もMDCIという香水への「思い」が今へと時を繋いでいるのが奇しき縁に思えます。

パルファム 15ml