La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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Appendix - J.Grossmith & Son Ltd. and Victorian / Edwardian era

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グロスミス社は、沢山の新聞や雑誌広告を残しており、広告にはたいがい製品のラインナップと価格が明記されているものですが、それが当時の物価ではどの程度のものだったのか、ましてや現在の通貨価値と比較するのは、かなり困難です。しかも、現在イギリスで流通している通貨、ポンド(£)と補助通貨のペンス(p)が適用された1971年2月15日のデシマル・デーより以前は、イギリスの貨幣制度は10進法ではないうえ、ポンドの補助通貨が3段階(シリング>ペンス>ファーリング)もあり、ちょっと当時の広告を見ただけでは、一体それが幾らなのかすら、我々日本人にはピンとこないのが当たり前です。
デシマル・デー以前のスターリング・ポンド:1ポンド(£)=20シリング(/またはs)=240ペンス(d)
(12ペンス(d)=1シリング(/またはs)、20シリング=1ポンド(£)
表記例/2ポンド14シリング5ペンス:£2 14s 5d
(デシマル・デー以後のスターリング・ポンド:1ポンド(£)=100ペンス(p))
デシマル・デー以前まで流通していた主な通貨表記例とその読び名
  • 1/2d=0.5ペンス、ヘイプニー
  • 1d=1ペンス、ワンペニー ※グロスミス製品で頻出
  • 3d=3ペンス、スリーペンス
  • 6d=6ペンス、シックスペンス ※グロスミス製品で頻出
  • 1/=1シリング、シリング
  • 2/=2シリング、フローリン
  • 2/6=2シリング6ペンス、ハーフクラウン ※グロスミス製品で頻出
  • 5/=5シリング、クラウン
  • 10/=10シリング、ハーフソヴリン(1937年廃止)
  • 20/=20シリング=1ポンド、ソヴリン(1937年廃止)
  • 40/=40シリング=2ポンド、ツーパウンド(1937年廃止)
  • 5£=5ポンド、ファイヴパウンド
そこで、19世紀末から20世紀初頭に掲載されたグロスミス社の広告や取扱店あて見積書に記載されている価格を、ちょうど同時代の時代設定で書かれたシャーロックホームズの一連の話に登場するレストランや消費財の物価と比較してみます。
(参考文献:シャーロック・ホームズと見るヴィクトリア朝英国の食卓と生活、関矢悦子著、原書房刊)
例1) 1897年、ヴィクトリアン・ブーケ広告

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ヴィクトリアン・ブーケは、大英帝国を築いたヴィクトリア女王の即位60周年を祝して1897年グロスミス社が謹製した香りですが、発売当時の広告では「大英帝国に咲く異国の花々を摘み作られし、類稀なる香りの集大成」ヴィクトリアン・ブーケの広告には「香水2/6から(2シリング6ペンス/ハーフ・クラウン)、サシェ6d(6ペンス/シックスペンス)」と書かれています。まずこの「2/6」「6d」で何のことやら…ですが、とりあえず上記通貨表記表から当時の通貨でいくらかはわかりました。さて、これがどの位の貨幣価値に相当するのか?
そこで、参考文献に登場する創業1828年の老舗高級レストランで、ローストビーフで有名なシンプソンズ で19世紀末に食べられた肉料理がメインのランチコースが、ヴィクトリアン・ブーケと同じハーフクラウン。現在のシンプソンズのランチメニューで3品(スターター、メイン、デザート)のコースが£32(≒4,700円、2017年7月現在の1ポンド≒147円)なので、ざっくり香水1本5,000円でおつり、というところでしょうか。
ただ、現代とは生活必需品も異なりますし、物の物価も違うはずで(例えば農作物でも昔は卵やバナナは高級品だった、という塩梅に)腹を満たすために最低限必要な額も違ってくるでしょう。そこで明日の食事にも困るような労働者家庭にとっての2/6は、どの位の食費を賄えた価値があったかも参考に見てみましょう。19世紀末の生活調査「貧乏研究」によると、ヴィクトリアン・ブーケが発売された当時の最も貧困度の高い家庭(夫婦+子供5人)の週給が17/6(17シリング6ペンス)、うち主婦の内職が週給2/6ですので、ヴィクトリアン・ブーケの一番安いサイズは主婦の内職1週間分に相当するのも、なかなかリアルな話です。確かに、専業主婦の内職で月2万円、週換算5千円…という感覚でしょうか、ちょっとそれでは手が届きません。でもヴィクトリアン・ブーケは香水だけではなく、この広告だとサシェ(タンス用匂い袋)が6d、6ペンスで売っています。当時6dで買えたものはキャベツなら3-4個位なので、ざっくり8-900円といった感じで、8-900円なら香水は手に届かないけれど、女王様の香りをタンスで衣服に移すことができるので、頑張ればたまのお給料日(当時のイギリスは週給制で毎週金曜日が給料日)にサシェ1個くらい買ってもばちは当たらなそうです。
例2) 1913年、シェメルネッシム広告

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1913年は第一次世界大戦が勃発する前年です。すでにこの頃には2代目オーナー&調香師、ジョン・リップスコム・グロスミスの代になり相応の年数が経ち、グロスミス・ロンドンが復刻したクラシック・コレクション3点もすべて発売済みで安定したヒットを飛ばしている時代です。クラシック・コレクションで一番年の若いシェメルネッシム(1906)が「アラブの香り」として雑誌の一面広告で登場、その中に数々のトータルラインが価格と合わせて掲載されています。
  • 香水 2/6, 4/6, 8/6 (≒4,700円、8,400円、16,000円)
  • ヘアローション 3/3 (≒6,000円)
  • トイレットウォーター(オードトワレ)3/(≒5,600円)
  • フェイスパウダー 1/ (≒1,800円)
  • デンティフリス(歯磨き粉) 1/(≒1,800円)
  • バスクリスタル(入浴剤)2/6、4/6(≒4,700円、8,400円)
  • 石鹸 6d、1/ 各サイズあり (≒900円、1,800円)
  • ブリリアンティーン(ポマード) 1/、1/9(≒1,800円、3,300円)
  • トイレットクリーム(肌用クリーム)ポット入り 1/9(≒3,300円)
  • サシェ(匂い袋)6d(≒900円)
  • カシュー(お口の匂い消しキャンディ)3d 箱入り(≒450円)
ものすごい充実したラインナップですね、シェメルネッシムの香り付き歯磨き粉はまだしもブレスケアって、口からシェメルネッシムの香り…うまいのかそれ?って感じですが、ロッテがバラの香りのガムを出していたような、そんな感じでしょうか。フェイスパウダーがあってタルカムパウダーがないのは充実したラインナップにしては不思議ですが、ポマードや歯磨き粉、ブレスケア的キャンディがあるところはグルーミング製品に強いイギリスのメーカーらしい点とも言えましょう。
ヴィクトリアン・ブーケ発売から16年後の1913年ですが、一番安い香水およびサシェの価格が同じなので、1)それほど物価は変わっていないのか、2)グロスミス側でスケールメリットが出て価格据え置きが実現したか、3)ステルス値上げで容量が減ったか、いずれかだと思いますが、まあ計算が楽な1)の線でいくとして、現在の日本円換算で行くと上記のようになります。入浴剤が香水と同じ価格帯なのは、容量の明記がないので断定はできませんが、当時イギリス人にとって入浴は毎日のことではなく、せいぜい1週間に1度だったので、そのうえ入浴剤なんて贅沢の極みだったのでしょう。 
例3) 1931年、取引店への見積書

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グロスミスは、1901年から25年の間に、3つのロイヤルワラントを賜りますが、これはその3つがそろった時代、1931年に使用された公式レターヘッドです。アレキサンドラ女王のワラント表記が、故人扱い(her late majesty)なので、紋章を見るとワラントしたご本人の生存確認ができるわけですが、一応グロスミス・ロンドンの公式ウェブサイトではワラント期間は1901-1925となっているものの、アレクサンドラ女王が1925年に逝去しても御威光が失効していないのが不思議です。逝去してなお御用達?イギリス以外の2王室のワラントも、どういう風に終了したかは不明です*。1931年といえば、2代目オーナー、ジョン・リップスコム・グロスミスも、その息子で3代目スタンリー・グロスミスも亡くなっており、時代の趨勢とともに経営の舵取りにも陰りが見え始めた時代です。
グロスミス社のレターヘッドにタイピングされたこの見積書は、本来はグロスミス・ロンドンとしては3つのロイヤルワラントを誇らしく紹介するため、資料画像の一つとして提供されているのですが、注目はレターヘッド後半の見積もり部分です。これは何の見積書かというと、今でいうところの「香りのムエット」つまり香り付きカードの見積書です。当時は、例1、2で紹介したトイレタリー製品すら手が届かない、つましい人々が数多くいたので、そういう方々のために1枚1ペンスでえええ~香りが楽しめる、香り付きカードを薬局などで販売し、買った人は本やノートなどに挟み、あるいはハンドバッグなどに入れ、開くたび、えええ~香りや…とつかの間の安息を得たのだと思います。また一方では、募金を募るため、寄付してくれた方へのプレゼントとして香り付きカードを配布した記録もあり、今でいうところの赤い羽根募金ならぬ香り付きカード募金とでも言いましょうか、表にはグロスミスのエキゾチックなお姉さんの絵、裏には活動団体や店舗名、双方ウィンウィンの広告にもなったわけです。 
「香り付きカード 各種アソート、片面印刷:
プールナナ、シェメルネッシム、チャン・イハン、オールド・コテージ・ラベンダー、ワイルド・ハニーサックル、スウィート・ブライア、ジャスミン
1,000枚:30/ (≒56,000円、@56円)500枚:16/(≒30,000円、@60円) 250枚:9/6(最低ロット、≒17,800円、@71.2円)
上記より、1枚1d(≒156円)で販売した場合、粗利益は1000枚:53/4(≒100,000円)、500枚:25/8(≒48,000円)、250枚:11/4(≒21,200円)となります。なお大多数の取引店様においては1枚2d(≒310円)で販売していることを鑑みまして、御社の利益はいかばかりか知れません -中略-包装枚数指定、連番印刷および裏面印刷は別途お見積りとなります:連番印刷代は1000枚あたり2/6(≒4,700円)、片面印刷のみでのお渡し不可」 
見積書では最低受注ロット及び一般小売価格に対しての粗利を計算し「こういうわけで、儲かりまっせ」的なアドバイス付きなんですが、問題は、この価格はあくまで基本価格であって、通常は裏に取引店の名前やカードの連番が入って、販売する側の宣伝にも使うのですが、それは「別途お見積り」で、しかもグロスミスの柄だけ入った片面のみのカードは売りません、と要は裏面印刷は必須なのにここの部分がグレーなので、本当の粗利はいくらになるかは未知数なのに「1枚1dで売ってもこれだけの儲けが出る上、たいていの販売店様は1枚2dで販売されておりますことから、御社の利益は計り知れません」って、あきんど魂炸裂の見積書です。とはいえ世が世なら、こんな見積書が来たら「お手数ですが、印刷代込みのお見積りを枚数別にお願いします」って速攻つっ返しますけどね。
お楽しみいただいたグロスミス特集、明日はLPT始まって以来の豪華プレゼントコーナー開催です。お見逃しなく!
 
*補足:エレナー・ブルックさんより「ロイヤルワラントは、企業内の一個人に対し授与されるもので、授与した国王や王妃が逝去した後も数年は御用達を賜った証としてワラント章を使用しても良い事になっていました。例えばこの見積書にあるワラント章に『アレクサンドラ女王』と表記されているのは、女王が既に逝去しているという意味です」とのコメントを頂きました。やはり、逝去してなお御威光が燦々と降り注いでいたんですね
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