La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

無断転載禁止

Cabochard (1959) original version EDT

Cabochard (1959) original version EDT

フランスの戦中から戦後を代表するフランスのクチュリエ、マダム・グレの 代表作、カボシャールのオリジナル版オードトワレです。調香は他にアラミスやアロマティクス・エリクシール、ホルストンなど、 シプレ系の名香を輩出しているベルナール・シャンです。

縁あって、カボシャール発売直後である1959年もののEDTボトルを入手すること ができ、亡骸のように香りが痩せてしまったと嘆く声も多く聞かれる現行品の香りは分からないまでも、オリジナルはそれ自身どれだけふくよかなのかと期待に胸膨らませて使用したところ、オードトワレは案外にあっさりとしており、もともと愛想を持ち合わせていないから作り笑顔もあえて返さない、正直なのか浮世下手なのか分からない、真摯な女性像が浮かぶビターなグリーンレザーシプレで、最初から最後まで甘さが何処にもありません。未開封とはいえ50年の時を経て現れた初代カボシャールは、時の流れの中に甘露を置き忘れたのか、グリーンの強いアルデヒドからいきなり渋いレザーノートへと表情を変えて落ち着きます。同じレザー・シプレ系のバンディと比べると、バンディは上目遣いで不敵な薄ら笑いを浮かべているかのようですが、カボシャールは全く笑っていません。 最近でも並行輸入品でそこそこ流通しているミニボトルのEDPはフラワリー感や 甘さなど、もう少し愛想があった記憶があるので、同じヴィンテージでも濃度が違うとまた違うのかもしれません。現代のお若い方には全くお奨めできません。

カボシャール生みの親であるマダム・グレことアリックス・グレは1903年ジェル メーヌ・エミリー・クレブスという名で生まれ、30代になるとアリックスと名乗るようになり、結婚後は夫の名であるセルジュを逆読みした「グレ」を自らのメゾン名 につけ、1993年に南仏で亡くなった後も翌年ル・モンド誌にスクープされる迄その死も明らかにされなかった程、生涯「本人」を前面に出すのを頑なに嫌ったかのようでした。そのマダム・グレは隙のないカボシャールにすべてを語らせ、無駄な笑みはくれてやらない「公」と1人の妻、1人の母、ひとりの女性としての「私」の境界線をくっきりと引いたのではないか、と感じます。

マダム・グレの才能は戦中から花開き、戦後はレジオンドヌール勲章の授与など 華々しい限りのクチュリエ人生を歩んでいたのですが、残念ながら80年代に入り、経営が傾いたクチュール部門の建て直しのため、当時最も利益をあげていた香水部門の売却を図り、1981年にブリティッシュ・アメリカン・タバコへ、その後1984年フランスの青年実業家、ベルナール・タピに香水部門を売却しますが、3年後の1987年あっけなくジャック・エステレル・グループへと転売されグレ・ブティックは破産、マダム・グレが1976年より理事長を務めていたパリジェンヌ・クチュール雇用者組合からもその負債の為に追い出されラペ通りにあるグレ・ブティックはまるで打壊しのように処分されてしまいます。

その後グレの商標は現在も商標権を持つ大阪のアパレル系代理店・八木通商が買収、 香水部門は香水代理店やファイナンス会社を転々とし、途中エスカーダが代理店だった事もあり、2003年よりスイスにパルファム・グレが再建、細々と新作も出して いますが、1990年代のカボティーヌのヒットを最後に、いずれも正当な評価を得るには道程が遠そうな新作と、カボシャールを売りつないでいます。クチュリエとしての歴史は2012年、最後のブティック(パリ)閉店をもって幕を下ろします。

ちなみに、日本ではわかばが代理店だったのでデパートや輸入化粧品を扱うバラエティ ストアで手軽に入手できたカボシャールですが、現在は正規代理店がありません。

1959年発売当初のEDT.最近では殆ど見かけないエアゾールタイプで、押せば押すだけガスで噴霧される

contact to LPT