La Parfumerie Tanu

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- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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Shiseido domestic perfume lines, '60-'80's

Shiseido domestic perfume lines, '60-'80's

創業よりいち早く国産香水の生産に着手した資生堂は、日本を代表する化粧品メーカーとして数多くの香水を輩出し、ブランドを代表するホワイトローズナチュラル(1936)やすずろ(1976)といった高価なものから、街の化粧品店で誰でも手の届く値頃な定番品まで、幅広く取り揃えていましたが、欧米品に手が届きやすくなった1990年代を境に徐々に勢いをなくし、1990年にパッケージリニューアルと廃番整理、2009年9月にはバブル期以前(〜昭和50年代)に発売された定番品のアイテムを一挙整理、現在は下記のオーデコロン(むらさきのみオードパルファム)のみ細々と生き残っています。人気のあったスーリールもこの時点で廃番となっています。

・メモアール(1963)*
・禅(1964)
・琴(1967)*
・モア(1969)*
・むらさき(1980)
    *はファンシーパウダー(ボディパウダー)も販売継続

これら5点は、2009年廃盤になるまでパヒューム(香水)がしっかりと作られていました。香水・オーデコロン・ボディパウダーという、ミニマムなライン使いで香りの奥行きを愉しめる算段となっていたのですが、香りの核となるパヒュームが廃盤となってしまったのは本当に残念です。 また、上記5点のうち共通しているのは、ひとりの調香師が芸術性を柱に調香したのではなく、数名による開発チームが、女性の嗜好をしっかりと市場調査して作り上げた、「身の丈」の香りという点です。このうち禅とむらさきは、販路を海外にもつ資生堂インターナショナルにより流通したため、欧米の資生堂カウンターでも販売されましたが、残り3点は国内向け商品なので、アジアはともかく少なくとも欧米での販売はなかったはずです。

いずれもよい意味で脇役に徹してくれる、香り自身がつける人より前に出ることの決してない香調ですが、かといって香りが弱いわけでも、薄いわけでもありません。共通してグリーンで立ち上がり、パウダリーで終わる、資生堂ここにありという香調は、日本人の嗜好と高温多湿の気候、そして昭和という時代によしとされる女性のあり方そのものだったのかもしれません。

街中の化粧品店は、昭和の国産香水と共に絶滅の危機に瀕しています。現在ひっそりと化粧品店やスーパーの化粧品カウンターの隅で売られている、資生堂のクラシック香水達が消える日は、すなわち昭和の文化がまた一つ終わる日でもあり「化粧品店」という存在も終わる日ではないか、と諦観しています。いよいよ資生堂自身が2012年4月より3000品目を取り扱うオンラインショップ、ワタシプラスを立ち上げた中、不回転商品の見直しがあるのは必至な上、定価販売を余儀なくされている全国の資生堂化粧品店の存在意義も更に希薄化していく事でしょう。

次回より、現行販売品から3種と廃番になったスーリール、昭和末期の花椿会感謝品の香り2種を紹介します。

 

資生堂花椿会感謝品 花菫(1989) ケースは上村松篁画

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