La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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No.5(1921)

 私の父は生前貿易商を営んでおり、商談・スーツで外出の際は、
必ずシャネルの5番をつけていました。別にこだわりがあったから
ではなく、父の世代で最も名の知れた香水であること、海外出張の
折には取引先の事務の女性へのお土産として、常に香水を買い置き
していたことから、自分でそのストック分を使用していたのでは
ないかと思っていました。
他にストックしていたのはニナ・リッチのセット物かマダム・ロシャス
でしたが、それも当時の免税店で最も値頃で名も知れていたため、
山と売られているものをあげれば、ハズレも少ないだろう、と考えた
のでしょう。そして、小さい方が荷物にならなくて良かったのか、
ストックはすべて、パルファムでした。

 家で香水をつけるのは父と私だけでした。男性用の香水は一つもなく、
気づいたら私も5番が一番気負わずにつけられる、定番の香りになって
いました。ただし、予算の都合からオードトワレしか手が出ません
でしたので、他の濃度は試した事がありませんでした。父のボトルを
借りる事もありませんでした。

 父は私が独立する頃には商売をたたみ、外出もしなくなったので、
5番をつけることもなくなりました。残っていたストックの香水やサボンは、
人にあげる必要もなくなったので、私が全部使いましたが、5番のストック
だけは目に付く所になかったのを覚えています。80歳まで故郷の台湾に
足を運んでいましたが、その後急激に衰え、晩年は特養にてすごしました。

 ある時、シャネルのカウンターでパルファムを試してみたら、まるで
そこにこれから商談に出かけるいでだちの父が立っているような、元気
だった頃の父の面影がいきなり蘇り、思わずカウンター前で涙ぐんで
しまいました。父がつけていたのは安いトワレではなく、一貫して
パルファムだった事を、シャネルのカウンターで知りました。一応事情を
説明し、何も買わずにそのまま帰りました。お店の方はさぞご迷惑だったと
思います。父は、5番のパルファムはあくまで自分用に求めていたこと、
自分用のストックを使い切り、それ以降は買う余裕も、買う機会もなく
なって、5番を使わなくなった事もわかりました。

 後日パルファムを入手し、中身のないお守り袋に、綿いっぱいに5番を
含ませて詰め、特養に行った際父に手渡し、覚えているかと聞いたら、
無反応でした。認知症も進み、間に合わなかったのは残念だったけれど、
いい香りをさせている分にはいいだろう、と、パジャマの胸ポケットに
入れて帰りました。その後、パジャマを洗ってもらったのか、お守りは
どこかへ行ってしまいました。

 本年5月、父は特養にて家族の看取り介護のなか、85歳の生涯を
終えました。納棺の際、死装束に身を包んだ父は、東洋の賢者の如く
端正な顔をしており、立派な生涯を終えた我が父の姿に感無量の一言
でした。棺を閉める前、持参していた5番の0.5オンスボトルを新しく
開け、帷子や顔、手などに半分ほどまとわせました。
通常、日本の香水の常識では、葬儀に香りはタブーと必ず書いてありますが、
既に5番が体臭の一部となっている私と、私の父の関係では、それはタブー
ではなく親慕の証ですので、通夜も告別式も普段より多めに、EDTを全身に
スプレィした後にパルファムを重ねづけして親族席に坐りました。
香水嫌いの姉たちも「何、今物凄くいい香りがしたけれど、あなた?」と
振り返るほど、5番はただの香水以上の意味を持って、残された私達姉妹を
すら支えてくれました。

父にまとわせたボトルの残り半分は今年、私が使い切りました。今、1オンス
ボトルを遺影の前に供えています。
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