La Parfumerie Tanu

- The Olfactory Amphitheatre -

- The Essential Guide to Classic and Modern Classic Perfumes -

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Le Dandy (1925/1999) EDT

A Gentleman Takes Polaroids Chapter Fourty One : Macho Mucho Gentleman
 
つけ始め:今まであまり体験して来なかった香りだ。甘いようなスパイシーなような。ラム酒とかブランデーみたいな洋酒の香りという感じも。朝から酔いそう。
 
昼:むーまだ甘い。でも濃厚な甘さという感じではなく背景に微かに爽やかさが潜んでる。この爽やかさが私的には鬼門。というかこの香りはガチャガチャで売られてるガムボールそのものではないかと。
 
15時位:ここに来てだいぶ落ち着いて来ました。お、薄まると割といい感じ。アフロお兄ちゃんがいきなりクルーカットに変貌。聴いてる音楽もパーラメントからシックになった感じだ。いや、音楽としてはどちらも好きですが・・・四六時中ファンカデリックだと胸焼けするというか・・・・
 
夕方:ここまで来るとかなり良い。今回のは大体死にかけのタイミングでようやく分かり合えるという感じの香りが多いですね。あとは黄泉の国ー
 
ポラロイドに映ったのは:パーラメントの「The Clones Of Dr. Funkenstein」のジャケット

ル・ダンディ(1999年版) EDT 50ml
Tanu's Tip :
 
今年は6月で梅雨が明け、いきなり夏が来たものの、時々「俺にはやり残したことがある」とばかり、梅雨みたいな天気になるのは勘弁してほしいところです。高温多湿は香水ファンの天敵。それでも暑い時に暑苦しい香りをつけるのは、夏にこたつで鍋焼きうどん、冬にふんどしで寒中水泳という日本の伝統に違わぬとばかり、特に季節外れの男むんむん「ますらお」な香りを集めてきました。名付けて「ますらおジェントルマン」(原題:マッチョ・ムーチョ・ジェントルマン)です。
 
まずは、久しぶりにゾンビ系ブランドの話をしたいと思います。
2019年にリローンチし、翌年表参道に賑々しくフラッグシップ店がオープンしたドルセー。6年前のジェントルマンコーナーや、2018年2月開催のCabaret LPT vol.6 : The Time Traveller 1925でも、代表作ル・ダンディを紹介しました。ドルセーは1830年創業、と言う事になっていますが、現在のオフィシャル・ヒストリーはドルセージャパンの公式サイトでご確認いただく事にして「歴史は、その時権利を持つ者に最適化される」という、歴史の大前提に則り、実際の沿革を調べてみました。
ドルセーの香りが商品化したのは、創業者と言う事になっているフランス貴族、ガブリエル・アルフレッド・ギヨーム・ドルセー(1801-1852)の死後、遺族がオランダとドイツに展開する投資家に、ドルセーが生前遺した処方使用を許可し、貴族であるドルセーの名を看板に商品展開を開始したのが始まりで、1908年にはフランスに凱旋帰国する形でパルファム・ドルセーが誕生しました。フランスのブランドになるまで、50年以上オランダとドイツで商売していたわけです。フランスでの稼働開始後はフランス各地に工場や営業所を構え、一時は200とも500ともいわれる従業員を抱える、そこそこの企業に成長しました。ブランドとしてのピークタイムは、やはりル・ダンディが誕生した1925年で、多くの香水ブランドがパリ万博に合わせ商品をぶつけてきましたので、突貫で作ったものもあれば、発売を遅らせてまで万博に参戦した会社も多かったです。

ドルセーのボトル変遷。今回の1999年版は昔からあったデザインを踏襲したわけではなかったことがわかる。上段左の黒い8角形ボトルは、販売期間が戦後まで長く、ヴィンテージ品としてオークションサイトなどで今でも散見する
その後1936年から1983年までの約半世紀は、独蘭資産家からゲラン一族(香りの王室のGuerlainではなく、Guérin)へドルセーの権利が委譲され、パリやニューヨークの一等地に瀟洒な店舗を構えていましたが、1983年、2代目ゲラン家オーナー、ジャック・ゲランが経営から離れ、買い手がつかないまま10年経過した後、1993年、フランスの大手不動産会社、グループ・マリニャン(Groupe Marignan)が買収、ディレクターとしてクロード・ブロルという方が迎えられリローンチ。今回のルダンディはこの時代のものです。しかしグループ・マリニャンとブロル氏は、異業種あるあるでフレグランス事業の経営戦略に失敗、思うように拡販できず経営的にタイムアウト。そこでグループ・マリニャンから2007年にドルセーを買収したのが、当時若干27歳の新進マーケッター、マリー・ウエでした。まあ、大学出てそこそこの女子がブランド買収って、中々勇ましい話ですが、当然親がかり。マリー・ウエさんがスポークスマンとしてはよくインタビューに答えていましたが、実際の権利は父子共同所有でした。売上の85%は輸出、最盛期には27か国、230拠点で販売するも、2007年3月~2016年9月と10年足らずでドルセーを売却してしまいます。

過去LPTで紹介したのは、このマリー・ウエ時代のもので、日本では大同が輸入代理店で「フランス貴族の香り」として販売していましたが、確かに2016年以降、ルダンディやエチケットブルーが自社サイトやECモールで投げ売りされていましたので、大同との縁も売却と同時に切れました。

その後、2年ほど市場から沈黙、公式サイトもリンク切れになって脳死状態でしたが、2019年末あたりから、SNSなどで頻繁に見かけるようになり、現在のドルセーにつながります。

マリー・ウエからドルセーを買収したのは、ベトナム系フランス人実業家、アメリー・フイン(Amelie Huỳnh:姓のフランス語読みはユインヌ)がオーナーのアエラ・ノヴァ(ÆRA NOVA)で、現在のドルセー社長もアメリー・フインです。彼女は父、キム・フイン(Kim Huỳnh)の所有するグループ企業、Groupe DC&BVから2011年にアエラ・ノヴァを起業し、フランスのブランドを買収しアジアで販売する事業を開始。自社ジュエリーブランドも手掛けるなど結構な事業家です。2017年には没落したワインシャトーも姉妹で買収し、まさに仏領インドシナの逆襲と言う感じです。
2015年、新規事業の一環で、父親より「歴史あるフランスの香水ブランドを買収してリローンチするように」と指示を受け、当時まだ普通に新作も出して通常営業中だったはずのドルセーの権利を、マリー・ウエとその父親から買収する事になり、1年後の2016年9月に買収完了、完全にマリーさんの手から離れます。アメリー・フインはドルセーの全カタログを廃番、3年の準備期間を経て2019年にリローンチしました。新生ドルセー1号店はパリ、それはいいとして2号店はいきなり表参道です。日本支社であるドルセー・ジャパンも同時創業、全くの異業種、グリーンスタンプが輸入しています。日本にターゲッティングしたのも、アジアに強いアエラ・ノヴァ及び親会社のコネクションありきだったのでしょうか。フランス貴族と表参道に弱い日本の香水ファンにすぐさまジャストミート、多くのファンを獲得しました。ちなみに前オーナーのマリー・ウエは、ドルセー売却後、ITコンサル会社に就職しなおして現在は会社員として働いています。まだ40そこそこですし、ドルセーはいい思い出、人生これからですよね!なお、マリーさん時代のドルセーが最後に発売したアルキミヤシリーズと言う、いかにも中東狙いのウード&アンバー作品も、いつかご縁があったらレビューします。
現在のドルセーが、どの位「ドルセー」なのか、新しくなってから全く近寄っていないのでわかりませんが、とにかくドルセーというブランドは、アルフレッド・ドルセーの死後、最初から彼の名と貴族の血、そして都市伝説級の歴史を旗印に運営してきた、数々の異なる会社という感じで、1からブランドの認知度を上げる必要がない、しかも①フランスの②貴族が興した③伝統ある香水ブランド、という三種の神器を探してこい、という現オーナー父の指示は、品はないですが手堅い所を押さえています。個人的には、現在進行形のブランドを買いはがすのではなく(実際はウィンウィンだったと思いますが)、どうせやるならF・ミロとか、本物のゾンビを蘇らせて欲しかったですけど、根気を伴う蘇生術も必要ない程度で、というところで休眠会社は対象外だったのかもしれません。この辺は、イギリスですが1999年に営業中のクラウン・パフューマリーを買収し、ヴィクトリア女王のワラントと商標だけ取って全廃番したクライヴ・クリスチャンとよく似ています。
肝心の香りとしては、調香は資生堂のブラバスやバサラを手掛けたドミニク・プレイサス(現CPL Aromas)で、ウエ版ルダンディ(2007年版、EDP)との比較になりますが、ブロル版(本作、1999年版EDT)は甘さが控えめ、洋酒の香りが強めで、フルーツたっぷりのスモーキーなウッディノートという基本的な骨格は、1999年版を基に2007年版が出来ている(濃度差だけで処方が同じ)のか一緒だけれど、多少水っぽい?その分、つけ心地が軽やか。といった感じで、完全未開封の未使用品をドイツのセラーから入手出来たおかげか、トップに劣化も感じられず、立ち上がりのシトラスもしっかりしています。この爽やかさが鬼門のジェントルマンには低評価でしたが、ウエ版EDPではバーボンウィスキーをバーで飲む男のイメージがしっかり映っていたのに、ブロル版EDTではパーラメント。やけに汗臭くファンキーなものが映りました。その差は、6年という時の流れによる、ジェントルマン自身の人生の積み重ねによるものかもしれませんし「今まで体験した事のない香り」と、6年前のレビューを完全に忘れている点(しかも当時は高評価だった)も、忘れる事で人生の良き年輪を重ねた、何よりの証拠です。

パーラメント。ド派手な衣装とホーンセクションで、ファンカデリックと共にPファンクと言うジャンルを築いた。アース・ウィンド&ファイアーの「宇宙のファンタジー」など
70年代はファンクと宇宙の融合が散見されるが、過分にその宇宙は脳内か?と思わせる。
リーダーのジョージ・クリントン自伝「ファンクはつらいよ」も気になります
ドルセー史参照:

 

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