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Grossmith London, the Greatest revival ever : day2

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Episode one - The History of J.Grossmith & Son, 1835-1980
創業期
1835年、ハンプシャー州ビショップス・ウォーザン*出身の社会改革主義者であるジョン・グロスミス(1813-1867)が若干22歳でロンドンに創業したイギリスで最も古い香水店のひとつであるグロスミス社は、創業16年目にあたる1851年に開催された第1回ロンドン万博で、イギリスの出店企業としては唯一の受賞者となりました。当時のヨーロッパでは万博で受賞する事は猛烈なプロモーションになり、その後の成功に直結しましたので、1854年には、以降長らく本社および研究所を構えたニューゲート・ストリート(セントポール寺院そば)に移転し、5階建ての社屋にはデパートさながらのショールームも構えました。
 
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ジョン・リップスコム・グロスミス(1843-1919)。
彼の父で創業者のジョン・グロスミス(1813-1867)は、社会改革思想を打ち立てながら香水店を創業

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各国の万博で受賞したメダル(左)とニューゲート・ストリートのグロスミス本社屋(右)

 

黄金期
それから約30年後、グラースで修業し調香師となった創業者ジョン・グロスミスの息子、ジョン・リップスコム・グロスミス(1843-1919)の時代、グロスミス社はロンドン万博時代をしのぐ成功を収めます。先代が1867年に逝去し、やはり若くして24歳で2代目となったジョン・リップスコムは、グラースで調香師になるべく修業した方で、製品に最高級の天然香料をふんだんに使用し、自社工場で香料段階から製造できたグロスミス社は、ヴィクトリア朝という時代と共に栄華を極めました。現在復刻が叶ったハスノハナ(1888)、プールナナ(1891)、ビトゥラウザル(1893)もこの時代にオリジナルが発売されました。
 
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ヨーク公(左)とメアリ・オブ・テック(右)。ふたりの婚約を祝しビトゥラウザルを謹製
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ビトゥラウザル広告
ヴィクトリア女王のダイヤモンド・ジュビリー(即位60周年)にあたる1897年は、グロスミス社にとって黄金期ともいえる2度目の節目となる年で、女王の即位60周年を記念したヴィクトリアン・ブーケを発売した同社はベルギー万博にも出展、当時の雑誌に「1日グロスミス探検」という紹介記事が掲載されたほど、この時代のグロスミスはとにかく勢いがあり、本社にほど近いパターノスター・スクエアに工場兼倉庫も構えた同社は、このヴィクトリアン・ブーケをきっかけに3つのロイヤルワラントに輝くことになります。

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1897年、ビクトリアン・ブーケ広告(左) ブリュッセル万博でのグロスミス社出展ブース(右)
ロイヤルワラントと社運の陰り
20世紀前半(1901-1925)にはアレクサンドラ・オブ・デンマーク(エドワード7世の王妃:エドワード7世はヴィクトリア女王の長男で、即位時はエドワード調と呼ばれる)による英国王室御用達をはじめ、王政復古時代のスペインより、アルフォンソ13世治世のボルボン朝スペイン王室御用達、英露仏の保護王朝・ギリシャ王国のグリュックスブルク家御用達を賜わるなど、グロスミス社はさらなる栄誉を手中に収めました。しかし1919年、実質的にグロスミスという香水会社を王室御用達にまで押し上げた立役者であった2代目ジョン・リップスコム・グロスミス(1843-1919)が逝去、そして5年後の1924年、事業継承していた同じくオーナー調香師の3代目、スタンリー・グロスミス(1879-1924)が45歳の若さで急逝してから、グロスミス社の社運に陰りが見え始めました。

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1931年当時のレターヘッド ロイヤルワラント章つき

 

ロンドン空襲に灰と化す
1939年9月、ドイツ軍のポーランド侵攻により始まった第2次世界大戦の影響による戦時中の資材不足で、それまで使用していた最高級の天然香料が調達できなくなり、同等品質の生産を続けることが困難になったグロスミス社の息の根を止めたのは、ドイツ軍の熾烈な空襲による社屋損壊でした。開戦から1年後、グロスミス社の本社屋および倉庫工場のあるニューゲートおよびパターノスター・スクエアは壊滅的な被害を受け、廃墟と化してしまいました。現在グロスミス・ロンドンの手元にあるのは、復興を聞きつけたボトル所有者が寄贈してくれたもので、中には「婚約者がグロスミス社の香水をプレゼントしてくれようと買っておいてくれたが、出征してしまい戦死、その後未開封のまま大切に持っていた」という、悲しい歴史を背負ったボトルも寄贈されたとのことです。終戦後、何とか立てなしたグロスミス社は1950年代まで続くガラスの配給制によりボトルサイズを小さくし、合成香料を使用して新作を発売していき、ホワイト・ファイアーを筆頭にそれなりに好評でしたが、1970年までには香水の製造を中止、その後化粧石鹸の製造に集約するも経営を維持することができなくなり、1980年代初めに休眠会社となりました。
 

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*Bishop's Waltham, Hampshire - ロンドンから特急で約1時間半程にある町で、中世は商業で栄えた。古刹セント・ピーターズ・チャーチ(The Parish Church of St Peter, Bishop's Waltham in the Anglican Diocese of Portmouth、写真)にグロスミス家代々の墓がある。

 

 

 
次はなぜ、21世紀の現代にヴィクトリア朝の香水会社・グロスミスが蘇ることになったのか、そのきっかけになった時代背景も踏まえてご紹介いたします。

 

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