La Parfumerie Tanu

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Story #4 / Travel with hope, travel with joy 1

「おじいちゃんに会いたい」 前編                                          

 2009年の春、英ネットオークションサイト、eBay.co.ukを見ていたら「50年間タンス保管の未開封香水」というのが出てきました。歴史的名香、マダムロシャスPDTとカボシャールEDTのヴィンテージで、マダムロシャスは1960年、カボシャールも1959年発売ですから、ざっと計算しても当時発売されたばかりの究極のオリジナル版です。日本に発送可能か出品者に送料を照会したら、普通個人情報は伏せて取引できるオークションのはずなのに「個人のメールアドレスをご連絡下さい」と返事が来ました。まあ、アドレス位いいか、と返事を出したら、まだ入札もしていないのに長いメールが届きました。

「私は、家内の代理で香水を出品している、70代後半のデヴィッドです」

お、おじいちゃん?メールはまだまだ続きます。昔奥さんはモテモテで、皆に香水をプレゼントされるも、本人は定番の香りがある為殆ど友達にあげてしまっていたが、これだけタンスに残っていたとの事。内容の大半は家内自慢でした。御礼かねがね入札後再度メールすると、更に長く、しかも驚愕の返事が帰ってきました。「他にも競合者がおるようじゃが、競り合って夜更かしや無駄遣いはせんように。わしらの友情の証に、落札できても出来なくても、出品していない他の香水を送ってあげるから」…友情の証?この時、おじいちゃんの中では私が友人になっている事を書面で知りました。しかもこの未出品の香水というのが出品すれば瞬間値がつく、マニア垂涎、ル・ガリオンのソルティレージュ(1937)だったのです。出品は家のガラクタ整理であって、お金は関係ないとのこと。メールは最後にこう締めくくられていました。

 「…これからは、デイヴと呼んで、くれんかのう」
(原文:...As you are now a friend, better call me Dave!!!)

オークション最終日、案の定数名と競り合い始めましたが、成り行きに任せようと、私はいつもどおり寝ることにしました。翌朝パソコンを見ると、マダム・ロシャスもカボシャールも落札できていました。不思議に思い、よくよく入札履歴を見ると、時差の関係で未明に終了するオークションに最後まで参戦できない私のため、おじいちゃんは何と途中で出品を取下げ、早期終了してくれていたのでした。しかも、その後発行してくれたインボイスには、送料の記載がありません。送料無料で発送手配までしてくれたのです。届いた香水はみな極上のコンディションで、マダムロシャスもカボシャールも、友情の証に同梱してくれたソルティレージュも、シュリンク包装そのままで、まるでタイムスリップしてきたかのように新鮮でした。

 かくして突然友達になったイギリスのおじいちゃんはその後もメールを頻繁にくれるようになりましたが、さすがはご隠居さん、毎回有り余る時間を最大限に有効活用した超長文で、話題は第2次世界大戦まで遡り、昔話と健康・介護が中心。昔の写真も沢山送ってくれました。だが、堰を切ったように語り始めた一老紳士の「問わず語り」…幼少に戦火を越え、親の再婚と確執、妻の看病、その後実母の介護と見取り、そして現役引退…と、数々の経験を積み上げた方の「手紙」は毎回胸に沁みるものがあり、話を伺うのも他生の縁。そして何より自分の両親を通して実感した「年寄の時間は短い」…昨日できた事が今日から突然できなくなり、ひとつ、またひとつ階段を降りてゆく、その繰り返しで急激に衰えていくのがお年寄りの時間。メールだって、いつぱったり来なくなるかもしれない。1回1回を大事にしよう、と一生懸命辞書を引きながら返事を書きました。そんな、ちょっと切ない予感もはらみながらも、「今度電話をくれんかのう」と言われ、さすがに閉口していた私でしたが、転機は突如襲った2011年3月11日の東日本大震災でした。

それまでは、月に2,3回、超長文メールが来て、一生懸命辞書を引きながら読んで、それに対して自分の近況を交えながら返事を送るというやり取りだったのが、大震災が起き、真っ先に安否を気遣ってくれたのが、イギリス時間では朝6時前に発生した未曾有の大震災を、朝のテレビニュースで見たおじいちゃんでした。震災の当日は、かろうじて「私も家族も、会社の友人も皆無事」と手短にお知らせするのが精一杯でしたが、その後国内外から続々と来る安否確認のメールに対し、1週間ほどして状況説明と、地震もさることながら震源地ではない東京において一番の懸念であった福島第一原発事故の影響について、雛形を書いて多少てにをはを変えて返信しました。そのメールの締め括りに、感謝を込めて「敬具(Kindest Regards)」と記したのですが、送信して程なく、おじいちゃんから烈火の如きお怒りの返事が来たのです。「君と友達になって2年、こんな他人行儀な『敬具』などと締め括ったメールを受け取るほど、わしは何か失礼な事を君にしたかね?'Kindest regards' なんて単語は、顔も知らないような商売相手に使うもんじゃ!!」普段なら、多少の英語の過ちは逆にネタにして面白がってくれるおじいちゃんが本気で怒っているのを見て、有事に遭遇した、滞在経験も留学もした事のない下手くそな一日本人の英語から、全身全霊で状況を想像し、理解しようとしてくれる、体当たりの思いやりに驚き、怒りながらも「とにかく、危険な状態が続くなら、一日も早くわしのうちに避難して来なさい」とも書かれてあり、申し訳なさで一杯になりました。そして、辞書を引いて、最大限の感謝を表したかっただけで他意はなかったこと、メールだけでは伝えきれない事が多いから、電話で声を聞かせたいと申し出たのが、その後月に2回、今では毎週日曜日楽しみにしてくれている「おじいちゃんとお電話」の始まりでした。まあ、メールと同じで、ほとんどはおじいちゃんの近況と昔話を延々と聞き、足りない英語でぽつぽつと私が返事をする、といった、ほぼ傾聴に近い状態の会話ですが、却ってそれが話好きのお年寄りには良かったのかもしれません。最初は固定電話にかかってきましたが、通話料もご負担になる事から、お互いスカイプを導入する事にして、インターネットテレビ電話に切り替えました。

テレビ電話でお会いする度、海外オークションで知り合い、今ではメールや電話で頻繁に連絡を取る昵懇の仲となったデイヴ翁も御年80、今は元気でもいつ急に連絡が取れなくなるかもしれない、これだけ仲良くして頂いて一度も会えなかったら一生後悔すると思い、お元気なうちに一目会いたいと思い、2012年の5月、連休を利用して会いに行くことにしました。2月末、おじいちゃんにご予定を伺うと「何と…遠路わしらに会いに来てくれるのかね?!万歳!万歳!!」と猛烈に喜んでくれました。電話に普段は話さないおばあちゃんも出てきてくれました。しかし、この猛烈っぷりは、ほんの序の口だったのです。 

コテージパイとベイクドビーンズ 

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