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Period X : Chanel No.5

Period X : Chanel No.5

 

「すべての道はローマに通ず」の如く、アルデヒド系香水が帰結する原点、シャネル5番を語らずして、この章に幕を下ろすことは出来ません。5番は、初めてアルデヒドを使用した香水が実際にはウビガンのケルクフルールだろうと、ゲランがいや、それはルールブルーだと主張しようと、「元祖」の玉座を降りる事なく、その功績は未来永劫に語り継がれる事でしょう。時代を超越した5番には、敬意をこめてperiod Xを贈るとともに、現行発売の3濃度(パルファム、EDP、EDT)及びオー・プルミエールを一挙紹介します。

Parfum (1921)

 5番の歴史及び数々の伝説は、シャネルの公式ウェブサイトに掲載されているムービーやたいがいの香水本で紹介されているので、ここで改めて語ることもないので割愛しますが、世に出て90余年の間には幾度かの大々的な処方変更及びニトロムスク、オークモス、果てにはジャスミンなど、決め手となる香料の使用規制によるマイナーチェンジを重ねても、頂点に君臨し続けられるのは、老舗の和菓子店が100年変わらぬ美味しさと銘打って、実の所は100年前の甘さでは、今では甘くて食べられないはずのあんこを時代や季節に応じて砂糖の塩梅を微妙に変え、変わらぬ印象と賞賛を保ち続けているように、変わる価値観、変わる嗜好性の中にも変わらぬイメージと存在性を保てるよう、語るほどでもない微調整と品質維持を丁寧に重ねているからこそ、永遠の香りであり続けられるのだと思います。だから、シャネルカウンターでどなたに伺っても「発売当時からひとつも香りを変えていません」とお答えになるのは、その存在性を変えているつもりはない訳なので、道理に叶っている話だと思います。実際には、70年代、90年代初頭、そして現行のパルファムでは、経年変化を考慮しても持続力も香り立ちも違いますが、一貫した香りの印象は「迷いのない美しさ」。ヴィンテージではベースのムスクやオークモスが香りをくぐもらせ、眼のすわった美しさをもたらしており、男性の力強さすら感じ、相応の男性が身に着ければ、下手な男性向け香水よりも確信犯的にキマりますが、90年代以降のパルファムはアニマリック感が薄れ、ベースの印象が淡麗になり、明るくはじけるアルデヒドがよりフラワリーな部分を強調し、徐々に増すパウダリー感もきめが細かく感じます。一番の違いは持続力ですが、現行のパルファムを往年の5番に近い香り立ちで楽しむヒントとしては、肌につける時、細かいミストで拡げるのではなく、盛るように肌に乗せ、乾くまで触らないか、アトマイザータイプのボトルでつける場合は、肌から近い位置(5cm位)へ、狭い範囲が濡れる程プッシュしてみて下さい。ちなみに、現行品で天然オークモスを使用しているのはパルファムだけで、他の濃度にはオークモスは使用されていません。万が一、現行のパルファムやヴィンテージの5番をつけて湿疹やかぶれなどを起こした事があるが、EDPなど他の濃度のものでは大丈夫、という場合は、オークモスアレルギーを疑って下さい。

ここ日本では、世界で最も売れている香水という逸話に水をかけるような「彼女に絶対プレゼントするな」「お化粧臭くて気分が悪くなる」という声が多く、実際シャネルカウンターでも余り売れていないのが実情のようで、精神的ネオテニーが進んでいるのか、成熟した女性らしい香りは5番に限らず男女問わず敬遠される傾向にあり、親子の代から5番を髄液の如く偏愛している私としては悲しい限りなのですが、もし5番が名ばかりの違う香りになったり、よもや廃番になってしまう日が来たら、それは香水の終わり、文化の終わり、女の終わりだと思います。

EDT (1960)

 ご存知の通り、シャネル5番は1921年、エルネスト・ボーがココ・シャネルの依頼で調香し、世界を席巻して90年余りとなりますが、当時は香水と言えばパルファムだけで、オーデコロンは別として(オーデコロンは香水として勘定しないのだと思います)濃度違いが同時発売されるようになるのはもっと後の話で、ご多分に漏れず5番もパルファム以外の濃度は1960年、シャネル2代目調香師であるアンリ・ロベールがオードトワレを作るまでありませんでした。その後ロベールは19番(1971)、クリスタル(1974)と、シャネルの香りの歴史に次々と「軽さ」をもたらしていきます。

EDT版5番は、5番の持つフレッシュネスを最大限に拡大解釈した明るくきびきびした表情が持ち味で、しゃきっとしたアルデヒドのリフトにフルーティなローズやジャスミンが乗り、イランイランで円やかにまとめられており、重さはありません。何よりパルファムに比べたら手の届く価格であること、またギフトセットにミニサイズボトルがついていたり、サンプルボトルも出回っていたことから、EDTイコール5番、と思っていた方は結構多いのではないでしょうか。1990年代に5番の調香が一斉に見直されてからは、よりフルーティな表情に輝きが増し使いやすくなったので、食わず嫌いの方にもまず取り掛かりとしてお試しいただきたいのがこのEDT版です。

EDP (1986)

 時代が変わり、シャネルの専属調香師もアンリ・ロベールから現在の3代目調香師、ジャック・ポルジュへと交代します。ポルジュ氏はシャネルの過去の遺産を受け継ぎ、真摯な解釈で新しい濃度を展開していきますが5番も1986年初めてオードパルファムが発売されます。時代の流れとして段々パルファムの下火傾向が見えてきた頃で、パルファムでは重いし値も張る、でもトワレでは持続も短いし物足りない、という隙間を埋める存在のオードパルファムですが、5番のEDPはそれまでの濃度及びその後作られる新しい濃度(Elixir Sensuel, Eau Premiere)の5番と、その表情は一線を画しています。

EDP版5番は他の濃度と比べ、格段に表情が穏やかです。体感的には一番パウダリーで、アルデヒドのリフトに乗ったパウダリックなアイリスやローズが、一過性の柑橘系にはない持続性の高い清浄感をもたらします。EDTと比べたらフルーティさは控えめで、逆によりフラワリーな優しさが強調されており、香り立ちはEDTより柔らかく、持ちもEDTとさほど変わりません。持続を期待してEDTよりEDPを選ぶと、少し期待はずれかもしれません。5番の場合は、香り立ちや表情の違いを理解してお好みを見極めたほうがよいと思いますので、是非購入の際はカウンターで実際に肌に乗せ、半日でも置いてからお選びになることをお奨めします。

正直なところ、長年EDTを使いつけていた私にとって、EDPはどこか勢いがなく凡庸に感じ、5番であって5番にあらず、と受け止めていた部分があったのですが、この夏縁あって再びEDPを、しかも盛夏につけてみて、5番の持つ多面体的な表情のうち、ポルジュ氏は「優しさ」に焦点を絞り、真摯に解釈した結果がEDPなのではないか、と気づいた時、別格としての愛用の一瓶となりました。
5番のパウダリーな部分が好き、という方には何よりお奨めの濃度です。

Eau Premiere(2008)

 EDP発売より更に22年後、そしてEDTより実に48年後に現れた、21世紀版5番です。調香は専属調香師であるジャック・ポルジュとクリストファー・シェルドレイクの共作で、今様の香水の基本であるライトでシアーな作りとなっており、薄くて軽いのに持続はしっかりしているので、これまでの5番とは身体構造が違う、といった所の最新作です。例えば、緻密な立体裁断で重さと張りのある生地をなめらかに体にフィットさせたドレスではなく、ライクラのように最初から伸縮性のある生地で定型を作り、体型に合わせて自在にフィットするシームレスなドレスのようです。
ちなみにシャネルカウンターにて確認したところ、オー・プルミエールは濃度的にはEDPなのだそうで、なるほど持続が長いのもうなずけます。

EDT(1960)やEDP(1986)のように、パルファムから枝分かれした解釈の違い、というよりは、5番の持つイメージを現代的に再構築したものなので、これを5番としてではパルファムを使ってみよう、とはならないと思いますし、既存の濃度を使い続けていて、モダンな5番として定番になるかといえば、そうでもない気がします。「シャネルの5番はシャネルだし憧れだけど、クラシック香水はおばあちゃんの鏡台の匂いがして臭い」という世代向けなのだと思います。オー・プルミエールを上市してすぐに、オドレィ・トトゥを起用して大々的に5番のプロモーションを行ったり、日本でも新サイズのEDTを発売したりしていますので、シャネル側としても既存の5番とは路線を同じくしていない事がよく分かります。

左からパルファム、EDT,EDP

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